第6章

彼氏……ではありません。

 目が覚めた時、軽い頭痛を覚えた。


 とてもイヤな夢を見ていた。

 この頭痛は夢見の悪さからくるものなのか……、そう思ったけど、すぐに違うと気付く。


 天井は真っ白で殺風景な部屋。

 どうやら病院らしい。


 病室は暗く、枕元にある照明が淡く光っている。窓はカーテンが閉まっていて外は見えなかったけど、外はすでに暗くなっているのが分かった。


 鈍い頭痛に顔を歪める。


 頭が痛いのは、根本に薬をうたれたからだと思い出す。

 すると、堰を切ったようにこれまでの出来事が頭の中を駆け巡った。


 自分のせいで傷だらけになってしまった倭斗くんの姿を思い出し、胸がズキンと痛んだ。


 その時、白衣を着た女性が入ってきて点滴を見ながら、何やらメモをとっている。


「あの……」


 声をかけると、看護師さんが少し驚いたように、私を見下ろした。


「あら、起こしちゃった?」


「いいえ、あの、一緒に男の子が運ばれてきませんでしたか?」


 すぐさま質問した私に一瞬驚いたけど、看護師さんはすぐに答えを返してくれた。


「桐谷さんのこと? すっごいイケメンの男の子でしょ?」


「あ、はい。彼は無事ですか?」


 せっつくように聞く私に、看護師さんは笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。手の傷は縫合したけど、他の傷はたいしたことなかったみたいよ」


 看護師さんの『大丈夫』という言葉を聞いて安心する私の顔を、看護師さんが覗き込んできた。


「気分はどう? 吐き気やめまいはある?」


「特に……少し頭痛がします。でも大丈夫です」


「一応、熱を測っておきましょうか。後で先生からお話があると思うけど、睡眠導入剤を注射されたけど量は多くなかったみたいだから、心配ないそうよ。念のため今日は入院してもらって、問題なければ明日には帰れるわよ。ご両親も先ほどまでいたけど、今日は目覚めそうもなかったし、帰ってもらったの。明日の朝一には来るっておっしゃっていたけど、連絡出来そうならしてあげて、安心すると思うわ」


 そう言うと、看護師さんが体温計を手渡してくれた。

 その体温計を受け取ると、起き上がって脇に挟む。


 普通に熱を測っているだけなのに、看護師が私の顔を伺うようにのぞき込んできた。


 首をかしげる私に、看護師さんがニコッと微笑む。


「素敵な彼氏ね」


 思ってもみなかった言葉をかけられ、思わず目を見開いた。


「か、彼氏? 誰が? 誰の?」


 看護師さんの言葉をうまく消化できずに声が上ずる私に、逆に看護師さんが驚く。


「あれ? 桐谷さんはあなたの彼氏じゃないの?」


 言われて慌てて否定する。


「まさかッ! 違います、違います! 倭斗くんが私の彼氏だなんてウソでも口にしたらどんなことになるか……」


「え? 違うの? だって、真っ先に桐谷さんの事を聞いてきたし、彼も……え? でも、ああ、ふ~ん、そうかそうか、なるほどね。青春してるのね」


 驚いたかと思うと、何故か一人で納得する看護師さんに、急に不安になる。


「な、なんですか?」


 尋ねる私に、看護師さんは意味ありげにほほ笑んだ。


「ふふふふ、彼ね、救急車に乗っている時から、ずっとあなたの手を握っていたらしいわよ。彼、相当ボロボロだったから、別の処置室で治療しようとしたんだけど、あなたの無事を確認するまでは自分は治療を受けないってきかなくて。あなたの無事が確認できてようやく治療を受けたのよ。治療中もね、大丈夫って言ってるのに自分のことよりあなたの様子ばかり聞いてきたし、よっぽどあなたのことが心配だったのね。ひと時も離れたくないって感じだったわ。あなたの親御さんがお見えになった時も、『守れなくて申し訳ありませんでした』って平謝りだったのよ。でも彼が悪いわけじゃなかったし、逆にあなたのことを『守ってくれてありがとう』ってお礼を言っていたけど、見ているこちらが可哀そうに思うくらい申し訳なさそうに項垂れてちゃって……。それに、今日は目覚めないかもしれないからって言ったんだけど……」


 言葉を濁す看護師さん。

 倭斗くんがまだこの病院に居るのだと気付いた。


「え? もしかしてずっと待ってるんですか?」


 外も見えないし、時計もないからあれからどのくらい時間が経っているのか見当もつかない。


 待ち合わせの時間は十時。

 それから迷路を巡って……根本に捕まった時にも意識を手放してしまったからまったく時間の計算ができない。でも単純に考えても一時間や二時間では済まなそうだ。


 ぐだぐだと考えている私に、看護師さんが少しいたずらっぽく笑った。


「あなたが目覚めたら教えてあげるって言っっちゃんだけど……」


「え? えっと……あの、今何時ですか?」


 少し聞くのが怖かったけど、聞かずにはいられない。

 看護師さんは腕時計を見た。


「八時二十三分――」


「は、八時二十三分? ちなみにここに運ばれてきたのって何時かわかりますか?」


「え~と、二時頃だったかしら」


 ということは、六時間以上も倭斗くんは待ってくれてるの?


 その時間にも驚いたけど、看護師さんの話をすぐに信じることができなかった。

 だって、あの倭斗くんがずっと私の手を?


 うそでしょ……。

 しかもずっと私が起きるのを待ってるなんて……。

 なんで?


 浮かんでくるのは疑問ばかり。 


 看護師さんが私にウソをつく必要性は全くないし、ウソをついたところで看護師さんにはなんのメリットもない。


 看護師さんが私をからかってるだけかとも思ったけど、それこそあり得ない。


 と、ここで、ピピピピピ……という電子音が聞こえた。


 いったん思考を止めて、体温計を看護師さんへ渡す。


「熱はないわね」


 そう言うと、看護師さんはサッとメモをすると視線だけを私に向けた。


「彼、そこで待っているけど、どうする?」


「え? ずっとそこに居るんですか? 面会時間過ぎてるんじゃ……」


「彼、体中傷だらけだったから、一応検査する必要があってね、彼も今日ここに入院するの」


 いったん言葉を切ると、看護師さんは私に顔を近づけると小声で続けた。


「どうしてもあなたのことが気になるのね。寝てなきゃダメって注意したんだけどね、まったく聞く気がないみたい。ガードマンみたいに怖い顔して立っているわよ」


「え?」


 驚く私に、看護師さんはニタっと笑った。


「顔、見せてあげれば? そうすれば彼も少しは安心できるんじゃない? あなたが嫌じゃなければだけどね」


 そう言いながらも、看護師さんは私が拒否しないと思っているのか、乱れた髪や衣服を整えてくれる。

 

 私も倭斗くんの様子が気になっていたから、直接話ができるのであればその方がいいと思うけど、何故か看護師さんの方が落ち着きなくソワソワしだすので、こちらもそれにつられてドキドキと胸が高鳴る。


「よし、じゃあ呼ぶわよ」


 そう言うと、看護師さんは私の返事も待たずに行ってしまう。


 看護師さんが行ってしまうと、急に部屋が静かになり、さらに緊張してしまう。


 でも、すぐに倭斗くんが入ってくると思っていたのに、倭斗くんはなかなか病室に入ってこない。


 落ち着きなくひとりソワソワしていると、コンコンと遠慮がちにノックする音が聞こえた。


 その音に心臓のドキドキも加速する。


「は、はい」


 思わず声が上ずる。


 返事をすると、ゆっくりとドアが開いた。

 現れたのは、顔や腕にガーゼを貼り、手には白い包帯を巻いた倭斗くんの姿。

 その姿にズキンと胸が痛む。


 倭斗くんはいつになく緊張した面持ちをしていたけど、私の顔を見ると、少しホッとしたように表情を緩めた。


 私が寝ているベッドの横にくると、倭斗くんは深々と頭を下げた。


「ごめん」


 開口一番、倭斗くんが謝ってきた。

 謝る必要がどこにあるのだろう。根本のナイフから身を挺して守ってくれたのは倭斗くんなのに。


 そのせいで倭斗くんは手に傷を負った。謝らなければならないのは自分の方だ。


 私が口を開きかけた時、勢いよく病室のドアが開いた。

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