誰を守る仮面?

 今日の体育の授業はバスケットボールだった。


あまり運動が得意じゃない。

特に球技が苦手で、憂鬱な気持ちで準備運動をしていた。


「乙羽、くれぐれも言っとくけど、バスケットボールはドッジボールじゃないんだからボールから逃げないでよ!」


 ストレッチしながら杏子ちゃんが釘をさす。


「パスしたボールから逃げるのは、乙羽ちゃんくらいですよ」


 美幸ちゃんからも注意を受け頭をもたげる。


 苦手意識からか常にボールから遠ざかってしまうから戦力外になる。だから常にノーマーク。敵から戦力外と見なされても味方にしてみればチームメイトに変わりなく、味方がボールをキャッチした時にノーマークの私にパスを出してくるのは当然のこと。でもいつもコートの隅の方にいるから勢いよくボールが飛んでくる。


 でも勢いよく飛んでくるボールなんて怖くて受け取れるわけがない。運動神経は皆無に等しいけど、防衛本能は備わっているのか、味方が投げたボールからついつい逃げてしまう。それ故に杏子ちゃんと美幸ちゃんから注意を受けることになったけど、いくら親友の言葉でもこればかりはどうにもならない。


「ゲームをやっているのに、見物人になるのだけはやめてよね」


「がんばります」


「とりあえず、ボールを追いかけていればなんとかなりますよ」


「うん。わかった」


前向きな返事をしているにも関わらず、二人の視線はなぜか冷たい。


「な、なんか今日はみんなワサワサしてるね」


 二人の視線から逃れるように話題を変えた。

 準備運動そっちのけでキャッキャッ、キャッキャと騒いでいる。


「今日は男子もバスケの授業ですからね、そりゃあ、浮足立ちますよ」


 美幸ちゃんの言葉にそうか、と納得した。


 男子のほうの体育教師が出張でいないので、今日は男子と合同でバスケットボールの授業をすることになったのだ。


 見れば、倭斗くんがちょうどフリースローの練習をするためにゴール前に立っていた。


 ボールを三回ほどつくとシュートの構えをとる。軽くジャンプをしながらボールを放つと、ボールはきれいな放物線を描き、吸い込まれるようにゴールに入った。


 ひと際大きな歓声が沸いたのと同時に、集合の合図がかかった。


 あからさまに女子たちのテンションが下がった。


「センセー、私今日見学しまーす」


 一人の生徒が言うと、「私も」と次々と見学者が増える。

 それを受けて先生はニッコリ微笑んだ。


「いいけど、正当な理由なく見学する人は評価下げるからそのつもりで」


この言葉で続出した見学者はひとりもいなくなった。

 でも、ゲームをしている者以外は皆男子の、倭斗くんの姿を見るのに一生懸命だった。


「はい、じゃあAチームとBチームで試合を始めます。礼」


 お互いのチームが一列に並び挨拶を交わす。


 私はBチームで美幸ちゃんと杏子ちゃんと同じチーム。

 対するAチームには倭斗くんのファンクラブの子がいて私のことを睨みつけていた。


 試合開始のホイッスルが鳴った。


 美幸ちゃんと杏子ちゃんの言葉を受けて、今日はとにかく傍観者になることだけは避けようとボールの後を必死に追う。


 けれど、すぐに躓き転びそうになる。そうかと思えば足を踏まれたり、背中を押されたりと地味に攻撃を受けていた。


そんな中、誰かの肘が脇腹に刺さった。


 ゴホゴホとせき込む。


 普通なら先生が注意するところだけど、あいにく先生は男子の方へ行っていて見ていなかった。


「奥村さーん大丈夫? 今日はずいぶんやる気なのね」


「倭斗君がいるから、いいカッコしたいの? まあ、せいぜいケガしないようにがんばってね」


見かねた杏子ちゃんが向かっていく。


「ちょっとあんたたち……」


「杏子ちゃん! 私なら大丈夫だから」


慌ててひきとめると、杏子ちゃんはしぶしぶといった態で口をつぐむ。


今朝のことがあったからなのか、ファンクラブの子たちの攻撃が激しくなっている。それを察したのか美幸ちゃんが気遣ってくれる。


「乙羽ちゃん、さっきの言葉は撤回します。いつも通り今日も見物人に徹してください。ドッヂボールなみにボールからも人からも逃げてください!」


 今日はなんだかいつもと様子が違う。だからその言葉に素直に従うことにした。


 これ幸いとばかりに見物人に徹しようとしたけど、今日ばかりはうまくいかなかった。


 何故か私がいるところにばかりボールが集まる。逃げても逃げてもボールが私を追いかけてくるようだった。


目の前の子にボールが渡った時だった。


ニヤリと笑うと思いっきり私めがけてボールを投げてきた。


私がどんくさいという以前に、至近距離でボールを投げられれば逃げる余地もない。


力強く投げられたボールは、お腹にめり込むように突き刺さった。


痛いというよりも熱かった。


 その熱さが胸にこみ上げてきて呼吸することさえも困難になりその場にうずくまった。

「乙羽ちゃん!」


すぐさま美幸ちゃんが駆け寄ってきた。

なんとか息をすることはできたけど、声を発することができない。


「奥村さーん大丈夫? ほ~んと、どんくさいのね。男に媚びうるのは上手なのにね」


「何バカな事言ってんのよ! あんたがわざとボール当てたんでしょ」


杏子ちゃんが突っかかるけど、やった本人は素知らぬ顔をしている。


「やだ、ヘンないちゃもんつけないでよ。奥村さんがどんくさいのを私のせいにしないで」


 悪びれる様子もなく逆に怒りを露わにする女の子の顔の横を、ものすごい勢いで何かが通り過ぎた。


バーンッ! という大きな音が体育館に響いた。


 これまでざわついていた体育館が一気に静まり返り、ボールを投げつけた女の子の顔が一瞬にして青ざめた。


後ろの壁に当たったボールがコロコロと転がってくる。


「もうぉ~、倭斗ぉ~、どこ投げてんだよ」


 静寂に包まれた体育館に、のんきな声が響いた。


「悪い、ちょっと手が滑った」


 颯太くんののんきな声とは裏腹に、背筋が凍るほどに冷たい声で倭斗くんの声が響いた。


颯太くんが青ざめている女の子の横を通り過ぎ、転がってきたボールを拾い上げる。


どうやら倭斗くんが放ったボールが女の子の顔スレスレに通り過ぎたようだけど、どうみても手がすべったとは思えない。それを颯太くんの言葉が裏付ける。


「もうこの辺にしておきなよ。君らがやってること倭斗に全部バレてるよ。あ、先に行っとくけど奥村は倭斗にひと言もチクってないからね。逆恨みしちゃだめだよ」


 女の子の目が大きく見開かれ絶句する。

 女の子の視線の先には倭斗くんがいた。


 怒鳴り散らすことも怒りを口にすることもない。ただ女の子を冷たいまなざしで見ているだけだった。

 

 けれど、誰もが倭斗くんの怒りを感じることができた。


女の子は今にも泣きだしそうな顔で、ヘナヘナとその場にしゃがみこんでしまった。


「奥村さん、大丈夫?」


 先生が慌てて駆けつけてきた。


 お腹はズキズキと熱を帯びた痛みを訴えてくる。立ち上がろうにも力が入らずその場にうずくまっていることしかできなかった。


「霧谷君、奥村さんを保健室に連れていってくれる?」


 先生は颯太くんに頼んだようだったけど、颯太くんはその役目を回避する。


「それならあっちの桐谷君が連れて行きまーす」


 先生にニッコリ笑顔で颯太くんが答えると、ポーカーフェイスの倭斗くんの顔が一瞬崩れた。


「な、なんで俺なんだよ」


「え? だって倭斗保健係じゃん。いっつもサボってんだから、たまには仕事しなきゃ」


 ね、と言って倭斗くんの肩を叩いた。

 そして、さらに言葉を続ける。


「あ、君ら奥村の事妬んじゃダメだよ。妬むんだったら原因作ったあの子だから」


それだけ言うと、颯太くんは男子のコートへ戻っていった。


「じゃあ、桐谷君お願いね。浅野さん後で話があるから職員室に来て」


そう言うと手をパチンと鳴らした。


「AチームとBチームのゲームは終了。次、CチームとDチームでゲームするから準備して」


すると、ザワザワといつもの体育の風景へと戻っていく。


「桐谷倭斗、乙羽のことよろしく」

「乙羽ちゃん、後で保健室行きますね」


杏子ちゃんと美幸ちゃんが行ってしまうと、倭斗くんが私の元へ来た。

倭斗くんが私の腕を掴んで立たせようとした。


「ひとりで歩ける」


 倭斗くんの腕を振り払い、自力で立とうとしたけど、お腹に激痛が走りバランスを崩してしまう。


 そのまま転びそうになる私を受け止めると、倭斗くんは無言のまま私を抱き上げた。


いわゆるお姫様抱っこという、女の子なら一度はあこがれるシチュエーションに女子たちが色めき立つ。


 いつもであれば、そんなことをされようものなら冷たいまなざしが突き刺さるのだけど、颯太くんの言葉が効いているのか誰も私のことを妬ましく睨みつける者はいない。


 強いて言うなら羨望のまなざしで見つめられ、恥ずかしさのあまり痛みさえも忘れた。


「自分で歩けるから降して」

「ケガ人は黙ってろ」

「降して」

「黙れ!」


 有無を言わさぬその口調は怒気を含んでいたけど、まっすぐに前を見つめている倭斗くんの瞳はどこか悲し気な色をしていた。


 だから、それ以上何も言えなくなってしまった。


 喧騒に包まれた体育館から一歩外へ出た途端、静寂が二人を包み込んだ。


 ドクンドクンと胸をうつ音が聞こえてくる。


 それが自分のものなのか、倭斗くんのものなのかはわからない。

 けれど、その音は少しずつ早まっていく。


 もしこれが自分のもので倭斗くんにも聞こえているのなら、かなり恥ずかしい。


早まる心臓の音に、羞恥心は限界を超える寸前だった。


その時。


「ごめん」


倭斗くんがボソリと呟いた。


「俺のせいでこんなことになって悪かった。あいつらには俺からちゃんと言うから、もう大丈夫だ」


「言うって……何を言うの?」


 倭斗くんが話をして丸く収まればいいけど、乙女心はそんな単純なものじゃない。恋する乙女となればなおさらだ。


 私にに味方をすればするほど、火に油を注ぐようなもの。

今度はもっと陰湿なものになるかもしれない。


私の心配を見透かしたように、倭斗くんはサラッと言い放つ。


「要は誤解を解けばいい話だろ」


 その通りなのだけど、そんなに簡単にすむ話じゃない。


誤解を解くという事は、原因を突き詰めなければならないわけで、今回の場合、私じゃなく別の人が倭斗くんに告白をした事実が明るみになる。


そうなると、私の代わりに標的になる人がでてくる。そうならないためにこれまで嫌がらせを黙って受けてきたのにすべてが無駄になってしまう。


「私の代わりに誰かが傷つくのはイヤ」


「誰も傷つかない……と思う」


 珍しく倭斗くんが弱気な声を出した。


「どういう事?」


「告ってきたヤツの名前も、顔も全く覚えていないんだから、代わりに標的になるヤツなんていないってことだよ。あいつらだって、告ってきた奴の顔も名前も覚えてないって知れば、逆にいい気味だとでも思うだろ」


「は?」


 お腹と同じくらい胸が痛んだ。


 それ、傷ついてますよ!


勇気を出して告白した相手が、自分の事を全く覚えていないなんて、それ、めちゃめちゃ傷つきますよ。


それじゃあ、勇気を出して告白したのに報われない。


「酷い」


 思わず漏らした言葉に、倭斗くんが一瞬だけ顔を歪めた。


「優しくすれば気がないにくせにと罵られ、冷たくすれば蔑まれる。だったら記憶に残らないよう誰とも関わらなければいい話だろ。それの何がいけない?」


 そう無感情に言い放った倭斗くん。


 その言葉に胸が締め付けられた。


 誰も傷つけないでほしいと懇願した自分。なのに他ならない自分が倭斗くんを傷つけてしまった。


『鉄仮面の貴公子』


 その意味を今、理解した。


 自分に好意を抱いてくれる女性の気持ちにすべて応える事は出来ない。好意を抱いてくれる人に、気もないのにいい顔をすれば余計に傷つけることになる。それに好意を抱いてくれる人が複数いれば、その子たち同士で諍いが生じる。


 かといって冷たくあしらえばひどい男だと蔑まれる。


でも、倭斗くんはどんなに酷いと蔑まれても、無関心を装うことを選んだ。

 『無関心という仮面』を被って、女の子たちを遠ざけた。


 女の子たちから遠ざかれば、トラブルがなくなると考えたのかもしれない。

 でもその結果『高嶺の花』となり、その存在を守るべく、近づくものを排除しようとする存在が生まれた。


 仮面を被ってもなおトラブルに見舞われ、謂れもないことで非難を浴び続けている。


 倭斗くんの心はすでに傷だらけだった。


 そして、そこに塩を塗ったのは紛れもなく私だ。


 何か言おうと思うのだけれど、何も言葉にできず、再び静寂が訪れた。

と、ここで保健室に到着した。


中に入るとそこには誰もいなかった。倭斗くんはベッドに私を運んだ。


「先生呼んでくる」


倭斗くんは足早にその場を去ろうとした。


「もう弁当の交換もやめよう。華には俺から言っておくから。悪かったな、面倒なことに巻き込んで……」


そう呟いた倭斗くんの顔は見えない。見えないけどどこか悲しそうに聞こえたのは気のせいなのだろうか。


「もうお前には関わらないようにするから……ホント…ごめん」


 消え入るような声でいうと、倭斗くんは部屋を出て行った。


これまで感じたこともない、完全に人を拒絶する倭斗くんを、私は引き留めることができなかった。


 なぜか何とも言えないさみしさがこみ上げてきた。


 それは、楽しくなってきたお弁当作りができなくなってきたからなのか、他に何かあるのかはわからない。


 でもさみしさと悲しさが入り混じったような気持ちに、私はどうすることもできなくて膝を抱えて顔をうずめることしかできなかった。

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