棚ぼた

 体育の授業のことをきっかけに、嫌がらせはピタリとなくなった。

 加えて倭斗くんの表情からも感情が消えてしまった。


 もともと『鉄仮面の貴公子』とあだ名がつくほど感情を表に出さなかったけど、あの一件からさらに倭斗くんは無表情になってしまった。


 これまであまり気にしたことがなかったから気付かなかったけど、お弁当を交換するようになってからというもの倭斗くんが視界に入ってくるようになっていた。


 だから気付いた。


 倭斗くんは親しい友人たちといる時の表情は、鉄仮面ながらも少しやわらかい表情をしていた。

 特に颯太くんといる時は時折笑顔も見せていた。


 それなのに、今は颯太くんの前ですら笑わなくなってしまった。それがなんだか自分のせいに思えてならない。


 だからといって自分に何かできるわけでもない。

 そんな倭斗くんを見ていた時、目が合った。


 ドキンと跳ね上がる心臓。けれど、倭斗くんはスッとすぐに目をそらしてしまった。


 途端にモヤモヤと重い霧のようなものが胸の中に広がった。


 何なの?


 どんなに考えても、この重苦しい霧の正体がわからない。

 その霧を晴らすかのように、ご飯を口の中に放り込んだ。


 久し振りに食べる自分が作ったお弁当。


 まずい。

 全然おしくない。


 華さんが作ってくれたお弁当は味がメチャクチャだったけど、でも、このお弁当より美味しかった。


 また一口ご飯を口に運ぶ。

 悶絶しながら食べていたお弁当が、ほんと懐かしい。


 倭斗くんとお弁当を交換することもなくなったので、昼休みは比較的静かに過ごしている。


 モグモグとご飯を噛んでいると、美幸ちゃんが不満を漏らした。


「あのお弁当を食べられないなんて、とっても寂しいですね」


 華さんのお弁当の中毒者だった美幸ちゃんがぼやくと、杏子ちゃんもその言葉に賛同する。


「マズかったけど、食べられなくなるとホント寂しいね。ってか、目の前であのお弁当を食べているヤツがいるから余計にムカつく」


 見れば、相変わらず倭斗くんのお弁当を友だちである颯太くんが食べている。こちらの気持ちを知っているかのように、颯太くんはこれ見よがしに華さんのお弁当を食べている。


 ひと口食べるごとに悶絶し、悶絶してはこちらを見てニタリと笑う。

 ファンクラブの人たちとは質が違うが、これもれっきとした嫌がらせである。


「あ~、もう、ホント悔しい! 何もお弁当の交換をやめることなかったんじゃない? あいつらそのことには気づいていなかったんだし」


 気付かれていたらボールを当てられるだけじゃすまなかっただろうけど、お弁当の交換が無くなったことはやっぱり寂しい。


  華さんにどう伝えたのか気になるところだけど、あれ以来倭斗くんとは話もしていない。


 華さんに頼まれてお弁当を届ける以前に戻っただけだというのに、なぜか心がざわつく。


 その理由を考えてみると、その原因がお弁当だという結論にたどり着く。

 高くて自分では買えなかった理想のお弁当箱のおかげで、お弁当を作るのが楽しくなった。


 それに誰かが作ってくれるお弁当は、何が入っているのか開けるまで分からずワクワクする。

 華さんの作るお弁当は見た目に反した独特な味にいつも驚かされた。最近では普通に食すことができるものも増えてきて華さんのお弁当がホントに楽しみになっていた。


 だから、倭斗くんからやめにしようと言われたとき寂しいと感じたのだ。


 ただそれだけ。


 そう納得するのだけど、それだけではないような気もする。

 でも、どんなに考えてもそれが何なのかは分からなかった。


 帰り道。


 見覚えのある赤い車が校門の前に停まっていた。


「乙羽ちゃん!」


 華さんが車から慌てて降りてきた。


「華さん? どうしたんですか?」


 華さんは車から出てくるなり抱き着いてきた。


「ごめんね。私がわがまま言ったばっかりに乙羽ちゃんに辛い思いさせちゃって、ホントごめんなさい」


「いいえ、華さんのせいじゃないですよ」


 そう言っても華さんは離れようとしない。


「あ、あの……、華さん……く、苦しいです」


「あ、ごめんなさい」


 ようやく離れてくれた華さんは、とても悲しい表情をしていた。


 こちらのほうが苦しくなるほどに悲しい顔をしている華さんは、何度も何度も頭を下げる。


「華さんが気にすることじゃないですよ。それにもう嫌がらせもなくなったんで大丈夫です」


「倭斗のファンクラブがあるなんて笑っちゃうくらい驚いたわ。しかも告白した子がいたっていうのも信じられないけど、私がお弁当を届けてくれってお願いしたばっかりに変な誤解を招いてしまったのは事実だもの」


 相変わらず、華さんの倭斗くんに対する評価は低い。


 確かに美人は三日で飽きるとは聞いたことがあるけど、家族である華さんは倭斗くんの顔に見慣れすぎて、感覚がマヒしているのだろうか。そんな華さんの旦那様はいったいどんな人なのだろうという興味がムクムクと湧いてくるが、会話はさらに進む。


「あの時靴を隠されたのはやっぱり嫌がらせだったのね。気付いてあげられなくてごめんなさい。近国同盟なんて言っていたけど、私は乙羽ちゃんの危機に馳せ参じることはできなかったわね。謝っても謝りきれないし、こんなもので帳消しにできるとは思っていないけど、せめてものお詫びとして……これ受け取ってくれる?」


 そう言って、華さんは人形のストラップを差し出した。

 長い槍を持った武将の人形に、テンションは一気に上昇する。


「この桁外れに長い槍、細長い杵のような鞘、もしかしてこれは天下三槍のひとつ御手杵! これを持っているという事は結城晴朝ですか?」


「すごい! 乙羽ちゃんはすごく歴史が好きなのね。これはね私の知り合いが結城紬で作ってくれたものなの」


「そんな大切なもの頂けません!」


「そんなこと言わずにもらって、お願い! 歴史好きの女の子にあげたいって言ったら、知り合いも喜んでくれたわ。カバンにでもつけてもらえるとうれしいな。それに……」


 いつもハッキリした物言いをする華さんが、珍しく言いにくそうに口ごもる。


「それに? なんですか?」


「あのね、倭斗から聞いたんだけど、乙羽ちゃん結城晴朝の黄金伝説に関係したイベントの割引券を持っているって聞いたんだけど……」


「ああ、それなんですけど……」


 今度は私が言いよどむ。


 持っていたことは持っていたが、それはファンクラブの人に破られ、集めた紙切れをうっかりまき散らしてしまったのだ。

 押し黙る乙羽に、華はしょんぼりと頭を下げた。


「ごめんなさい。ちょっと図々しかったわね。今のは忘れて」


「いいえ、違うんです! そうじゃなくて、割引券はその……失くしちゃって、あれから駅前とかで配っていないか探したんですけど、見つからなくて。内容をちゃんと確認する前に失くしてしまったので、場所や期間も分からないんです」


「あら、乙羽ちゃんも見つからなかったの?」


「も?」


 自分以外にあのチラシを探す人なんているのかと首をかしげると、華さんがすぐさま答えを教えてくれた。


「乙羽ちゃんと下駄箱であった時、倭斗も駅前でチラシを探していたらしいのよ。その後もチラシ配りの人を当たってみたけどもう配っていなかったって倭斗が言ってたから、きっとイベントの期間が終了しちゃったのね」


 それは初耳だった。確か倭斗くんはあのイベントには興味はないって言っていた。それなのにどうしてチラシを探していたのだろう。


 もしかして、チラシを破られてしまったことへの罪悪感?


 いいや、倭斗くんがそんな殊勝なわけがない。


 だったらどうして?


 答えを見出せるはずもなく、その疑問は華さんの次のひと言で頭の隅っこへ追いやられてしまう


「そっか、残念ね。でも次にそういったイベントがあったら一緒に行きましょ」


 華さんの誘いはテンションをさらにアップさせた。


「本当ですか? ぜひぜひ一緒に行ってください。友だちは歴史には興味がなくていつも一人で行ってたんです。華さんと一緒ならきっと楽しいでしょうね」


「じゃあ約束ね。ああそうだ。そう言えば、乙羽ちゃんも歴史ミステリー同好会の部員なのよね」


 あれから何度か颯太くんに勧誘されてはいたけど、踏ん切りがつかず、未だ返事をしていなかった。


 体育の時にボールをぶつけられてからは、颯太くんも私に話しかけるのを躊躇しているのか、勧誘してこなくなったので部員とは言えない。


「いえ、まだ部員ではないです」


「え? そうなの? 入りたくないの?」


 そうやって上目遣いに聞いてくる華さんの何と儚げで可憐なこと。


「入ります! 是非入らせてください!」


 これまで二の足を踏んでいたのが嘘のように即答した。


「ホント? 嬉しい! 乙羽ちゃんがいるんだったら、私、断然顧問頑張っちゃう」


 嬉しそうに喜ぶ華さんの姿に、こちらまで幸せな気分になってしまう。


「そうだ! まだ連絡先交換していなかったわね。教えてくれる?」


 そう言って華さんがスマホを取り出したので、私も慌ててスマホを取り出した。


「もちろんです!」


 連絡先を交換し終えると、華さんはもう一度私に謝ってから車に乗り込んだ。


 嫌がらせの一件は辛かったけど、歴史の話で盛り上がれる知り合いができたし、おまけに歴史ミステリー同好会の部員というおまけも付いて、マイナスばかりではなかったかなと思えるほど華さんの存在は、私にとって貴重な存在となった。


 華さんからもらったストラップを筆箱につけた。


 本当ならケースに入れて大事にしまっておきたいところだけど、華さんにカバンにつけてほしいと言われたのが気になり、結果目が行き届く筆箱につけることにした。


 けれど、根本に話しかけられた時、これは失敗だったと気付いた。


「おや、これは……」


 どうせ歴女がうんぬんと、またバカにするのだろうと思って身構えた。


「もしかしてこれは……御手杵かな。だとするとこの人形は結城晴朝! もっとよくみせてくれないか」


 言うが早いか許可も出していないのに、根本は筆箱ごと取り上げて華さんからもらったストラップをじっくり観察しだした。


 予想外の展開にどう対処していいか戸惑っていたけど、執拗にストラップを見つめる根本の様子に危険を感じて、慌ててストラップを取り返そうとした。


「すみません。返してもらっていいですか」


「ああ、悪かったね。とても良くできているから、つい見とれてしまったよ」


 嘘だとすぐに分かった。根本のストラップを見つめる目は、見とれていたというより値踏みするようなとてもギラついた目つきだった。


「これは結城紬だね。そこいらじゃあ手に入らない代物だ。いったいこれをどこで手に入れたのかね?」


 口調は穏やかだけど、根本の視線は『お前のようなものが持っているものではない』と、言外に言っている気がした。


 結城紬というものがどういうものなのか、正直私にはよくわからない。

 でも、とても繊細で巧妙に作られているこのストラップは、何も知らない私が見てもその質の良さがわかるほどだ。


 先日の徳川埋蔵金の話で目をギラつかせていた根本には、このストラップはどのように見えているのだろうか。


 せっかく華さんからもらった大事なストラップを、こんなギラついた目で見てほしくはなかった。


 やっぱりケースに入れて家に飾っておけばよかったと、今更ながら後悔した。


「大切な人から頂いたものです」


「ほう、こんなに素晴らしいものをおいそれとプレゼントするとは、君の大切な人というのはかなり太っ腹なんだね。紹介してほしいなぁ」


 誰が紹介するかッ! と腹の中で叫んだ。


「もう少し眺めていたいところだが……」


 とっとと返せ! これも飲み込んだ。


「授業中だったね」


 そう言ってようやく根本はストラップを返してくれた。


 やっと帰ってきた、私の結城晴朝!


 思わず頬ずりしたくなるのをグッとこらえる。


「ああ、そうだ」


 ようやく授業再開と言ったところで、根本がまたこちらに向き直った。


 まだ何か用?

 私は何も用事はございません!


「もしよかったらこれを君にあげよう」


 そう言って根本は背広の内ポケットから、一枚の紙を取り出し私の目の前に差し出した。


 なんと、そこには、

 

『川上華子の謎解きアドベンチャー  ――結城晴朝の埋蔵金伝説――和歌の謎を解け!』

 

 と書かれていた。


 しかもそれは入場割引券ではなく、特別招待券だった。


 内心ガッツポーズ。


 棚からぼた餅とはまさにこのこと。初めて根本のことをいい人と思ったが、後で美幸ちゃんと杏子ちゃんから単純となじられることとなる。


 が、目の前にぶら下げられたニンジンに飛びつかない理由にはならない。


「ありがとうございます」


 満面の笑みでその招待券を受け取った。

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