集中砲火

 今日の一時間目の授業は、よりによって歴史の授業。


  根本に集中砲火されると思って構えていたけど、思いのほか授業は普通に進んでいる。


  しかし、世の中そんなに甘くはない。


  授業も終盤に差し掛かったころ、根本はパタンと教科書を閉じた。


「では、これまでの復習をしようか。教科書とノートを閉じなさい」


 そう言うと、根本はニヤリと片方の口の端を上げた。


「これまで日本史における大いなる政治的改革、明治維新について学んできたが、誰か、その明治維新について、簡単に説明してみてくれないかな」


 根本の言葉にいち早く反応したのは、学年でもトップクラスの成績優秀者、太田くんだった。


 それが根本の作戦だという事は一目瞭然。太田くんは私の席のすぐ前だった。


 こういった質問には太田くんは真っ先に手を上げる。まずは太田くんに答えさせ、何かしらの理由をつけて、次の質問からは私を指名する算段だろう。


 まっすぐに手を伸ばす太田くんに、こっそりベェっと舌を出した。


 根本は太田くんの傍までくると、肩に手を置き答えを促す。


「では太田君、明治維新を簡単に説明してくれるかい?」


 実直な太田くんは、促されるまま答えを述べる。


「明治維新とは、黒船来航によって欧米列強に対する攘夷運動が発端となり、江戸幕府による大政奉還を受け、王政復古によって発足した明治新政府により、法制・身分制・金融・経済・産業・文化・外交など多岐による政策の改革を行ったことです」


 太田くんの答えに根本が拍手を送る。


「さすが太田君。模範的な回答だ。統治能力を失った徳川に代わり、薩長の若い志士たちが明治維新を成し遂げ輝かしい近代国家へと導いた、というのが通説だ。ここから先は試験には出ないから聞き流してくれてかまわないが、この明治維新には興味深い話があるんだよ。実はこれには裏で糸を引いていた者がいて、あの英雄坂本竜馬も翻弄されたのだとか……」


 根本があごをさすりながら教室を見渡す。すでに指名する相手が決まっているのに、誰を指名しようかとわざとらしく視線を泳がせる。


「奥村君、君は歴史に詳しかったね。この話は知っているかな?」


  来た!


  クラスのみんなも根本とのやりとりを期待していたのか、クスクスとかすかに笑いが漏れ聞こえてくる。


 こういった類の話は嫌いじゃないから、何冊か本を読んだことがある。

 だから、多少の知識はある。


 すごすごと立ち上がり、知っていることを口にする。


「武器商人のトーマス・ブレーク・グラバーが黒幕ではないかと、最近書籍やネットなどに書かれています」


「知っているとはさすがだね」


 言葉ほど感心していない様子の根本。歴史好きを公言するならそれくらいは知っていて当然とでもいうような表情だ。


「グラバーは日本の近代化に大いに貢献したというのは有名だ。だが、グラバーの肩書はマセソン商会の長崎代理人だ。マセソン商会が何をしたかはもちろん知っているだろ?」


「大商社ジャーディン・マセソンはサッスーン財閥と共に、アヘン戦争の仕掛け人とも言われています」


「ジャーディン・マセソン商会は中国の清をアヘン漬けにして国を乗っ取った。それを我が国、日本でもしようとしたのかは定かではないが、グラバーは長崎にグラバー商会を設立し、薩摩や長州、幕府にまで武器を売りつけた。そこには坂本龍馬が一枚かんでいるのだが、坂本龍馬は愚靴に過ぎず、グラバーが明治維新を画策したといっても過言ではない」


 明治維新についてはいろいろな話が飛び交っている。


  明治新政府のメンバーは薩摩や長州、土佐の藩士たちがほとんどで、初期総理大臣の伊藤博文は、死の商人と言われているグラバーの手引きによってイギリスへ密航していることから、グラバーが黒幕だという説にはそれなりに説得力はある。また、一介の浪人でしかない坂本龍馬が、元手もなしに亀山社中を設立し、たかだか三か月程度で薩長相手に大きな商談をまとめたのは不思議に思う。それほどまでの人物なのだ、と言われれば返す言葉もないいが、それにしても明治維新には謎が多い。


 だから、こうした黒幕説が浮上するのだろう。大化の改新、本能寺の変などの歴史的大事件に黒幕説はつきものだ。


  史実をつなぎ合わせても腑に落ちない点はいくつもある。時の権力者たちによって書き換えられた事もあるだろう。それをどう解釈しようとそれは本人の自由。史実をもとに幾重にも想像が広がる。


 だから歴史は面白い。


 根本が明治維新についてどう解釈しようとそれはそれ。私には関係のないことだ。私が今一番注意しなければならないことは、余計なことを言ってこれ以上目をつけられないようにすること。


  根本が挑発するような視線をときどき投げかけてきたけど、あえて口をつぐんでいた。


「先生は、坂本龍馬がグラバーの言いなりだったというんですか?」


  根本の言葉に嚙みついたのは、意外にも太田くんだった。ほかの生徒たちもこの話に興味を惹かれたのか、根本の話に耳を傾けている。


  太田くんに食いつかれることを予想していなかったのか、根本は大仰に手を振った。


「いやいや、言いなりではなく洗脳されたとでもいうべきか、彼はとても純粋だったんだろうね。グラバーは日本が内戦することで国力を弱らそうと画策した。内戦を確信し武器を大量に調達していたのだか、坂本龍馬がグラバーの企みに気付き、無血開城へと導いてしまった。だから坂本龍馬は暗殺されてしまう」


「そんな……」


 太田くんは初耳だったのか、驚きと共に落胆の表情を浮かべた。


 この太田くんの反応に気を良くしたのか、根本の機嫌が上向く。


  おおむねこの話も知っていたから驚きもしなかった。

 だから黙って根本の話を聞いていたけど、なかなか食いついてこない私に、根本が話の矛先を変えてくる。


「では、坂本龍馬と同じくらいの英雄が、旧幕府軍にいたのだが、君たちはそれが誰かわかるかい?」


「勝海舟」


 生徒のひとりが言った。


「確かに勝海舟は江戸を戦火から守った。が、彼ではない」


「徳川慶喜」


「徳川家康の再来かとまで言われた将軍が、大政奉還してしまうのだからすごいよね。けれど違うな」


「井伊直弼」


「う~ん、彼は英雄というより、天皇の許しを得ずに日米修好通商条約を結んだことで、争いの引き金を引いてしまった人物だといえるね」


 次々に名前が挙げられる。


 そして――。


「近藤勇」

「土方歳三」


  新選組の二人の名前が挙げられたとき、かすかに根本がつまらなそうに口の端を歪ませた。


 きっとこの名前を私の口から聞きたかったに違いない。


  新選組を題材にした小説や漫画、ドラマは多数あり、歴女と言われる人たちが好む題材だからだ。私の口からこれらの名前を引き出し、歴女がうんぬんと罵りたかったのだろう。


 根本は少しだけ不機嫌そうにその名前に首を横に振った。


「勝ち目がないとわかっていて、最後まで旧幕府軍のために戦った彼らには脱帽するが、彼らでもない」


  いっこうに口を開かない私にしびれを切らしたのか、根本が攻撃を仕掛けてきた。


「奥村君は誰だと思う? ああ、そうそう、君が好きだといった蒲生氏郷は、稀代の英雄とまで言われた武将で、織田信長に最も認められ豊臣秀吉が徳川家康よりも恐れた武将だね」


 ちらりと杏子ちゃんの姿が目に入った。


  杏子ちゃんはスマホをいじる仕草をしている。


  先ほど根本が話した事は、ちょっとネットで調べれば出てくる情報だった。

  思わず吹き出しそうになり必死に笑いをこらえた。


  そんな私の心情など知らずに、根本は得意げに話を続ける。


「話がズレてしまったね。話を元に戻そう。坂本龍馬と肩を並べる英雄とは誰かという話だったね。君は西郷が好きなのは知っているが、残念ながら彼は官軍側だから今回は彼の話は抜きだよ」


 ふふんと、ひとり笑う根本。

 西郷が好きだとひと言も言っていないのに、未だ引きずる根本に少々うんざりしたけど反論する気にもなれずサラリと受け流す。


 問題は『坂本龍馬と肩を並べる英雄』


 おおかた名前が挙げられていたけど、それらすべてに首を振った根本。根本が期待する答えは『わかりません』と私が降参することだろう。


 けれど、歴史好きを公言する私にはその選択肢はない。


 見当はずれの答えを述べることが『根本の期待』に応えることなのだとも思うけど、それもまた癪に障る。


 その時、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた桐谷倭斗顔が飛び込んできた。


『集中砲火されるお前の奮闘ぶりを楽しみにしてるぜ』と言った倭斗の言葉がよみがえる。


 よくよく見れば、彼の口が何かを告げている。


『がんばれ』


 そう言っているように見えたけど、顔はやっぱり意地悪な笑みのままだ。


 絶対面白がってる。


 そう思ったけど、なぜか背中を押された気がした。

  だから、腹をくくった。

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