第3章

さよなら私のお弁当、初めまして華さんのお弁当

 カーテンを開けると、そこは雪国だった。


と、有名な小説の一節のようだけど、確かに目の前に雪景色が広がっていた。


小さな庭にうっすらと雪が積もっている。


「は?」


 意外すぎる目の前の光景に、誰ともなく疑問をぶつけた。


 めったに雪が降らないこの土地で、『雪が降る』との予報が出たならば、それがたとえ一週間前だろうが大騒ぎな土地柄だ。


 ましてや一センチだろうが積雪となれば、それはもうスーパーからホームセンターの至る所でてんやわんやの大騒ぎなはずなのに、昨日の天気予報では雪の『ゆ』の字も言っていなかった。


 しかもまだ十一月。

 雪が降るには早すぎる。


 信じられずに、パジャマ姿にも関わらず窓をあけてベランダの手すりに積もった雪を手に取ってみる。


「本物だ」


 雪はすぐに溶けてしまった。


ぬれた手を呆然と見つめていたけど、こうしちゃいられないと慌てて支度をする。


雪に慣れていないところではすぐに交通機関がマヒする。電車やバスは顕著にそれが現れる。


学校へ電車で通っている身としては、通常とは違う日常に多少パニックに陥ったけど、すぐさま身支度を整え台所へと向かった。


まずはお弁当箱を取り出し、ご飯を詰めた。ふりかけが切れていたので、間にノリを挟む。


次に冷蔵庫を開けて、いくつかの食材を取り出し、フライパンに火をかける。


ボールに卵を割り入れ、シャカシャカと卵をとく。フライパンが暖まったのを確認し、卵をフライパンに流し入れる。

 

 ジュウっと音を立てると、綺麗な黄色へと色を変えていく。すぐさまフライパンを持ち、厚さが均一になるように広げてハムを二枚その上に敷き、手早くクルクルと巻く。


ハム入り卵焼きの完成である。


次にウインナーを斜めにザクッと切り、フライパンで焼く。その間に小鍋に甘酢と醤油を入れてひと煮たちさせ、同量の水で溶いた片栗粉を入れてとろみをつける。


合間にコロコロとウインナーを転がす。


小鍋に昨日の晩ご飯のおかずからくすねた唐揚げを加えて絡ませると、甘酢あんかけ唐揚げの出来上がり。


 すると、ちょうどよい加減でウインナーが焼き上がった。


それから、これまた昨日のおかずから失敬したブロッコリーを、耐熱用のシリコンカップに入れ少しだけマヨネーズをかけ、その上にピザ用のチーズを少量のせて電子レンジで二十秒ほど温める。


ブロッコリーのマヨチーズがけの出来上がり。


出来上がったおかずを弁当箱に詰める。


食材を冷ます間に朝食を食べようと、母親が作ってくれたみそ汁と、キャベツとベーコンの炒め物を少しだけ温める。


両親は共働きで、すでに会社に行ってしまって家にはいない。兄弟がいないので、この時間はいつもひとりだった。


ごはんとみそ汁、おかずをのせたトレーを手にテーブルへと移動する。席に着こうとしたら、一枚のメモ書きが目に入った。


『今朝、雪が降ったから早く起きて学校に行ったほうがいいわよ、気を付けてね。母より』


そのメモ書きを見て深いため息をついた。


 せっかくのアドバイスだけど、これはメモでは伝わらない案件ですよ、とすでに家にいない母親に言う。


できれば声をかけてほしかった。


そう思いながら紙をクシャッと丸めてゴミ箱へ放り投げる。


ナイスシュートとはいかずごみ箱のふちに当たり、ゴミは見当違いなほうへ飛ばされてしまった。おもむろに立ち上がり先ほどのゴミを拾い上げ、もう一度ゴミ箱へ放り投げると、今度はきちんとゴミ箱に収まった。


そして、席に戻る途中で、テレビのリモコンを取りスイッチを入れた。


画面に、神妙な顔で話す男性の顔が映し出された。十一月の雪という珍事に世間は大騒ぎだという模様を伝えている。その画面の下には電車の遅延状況を知らせるテロップが流れている。


案の定、ダイヤは乱れまくっているようだった。


大急ぎで朝食を平らげると、身支度もそこそこに家を出た。


駅についた乙羽は、思った以上の人混みに圧倒されて息を呑む。

道路にはすでに雪はない。雪が降ったのが嘘のように目に映る景色から、すでに『雪』の存在は消えていた。


けれど、『雪』が招いた混乱は、未だ駅構内を賑わしている。これが土日で朝の通勤時間帯でなければ少しは違っていたのだろうけど、今日は金曜日でしかも一番混み合う朝のラッシュ時だ。


 駅は想像以上に騒然としていた。


「本日は雪のため、ダイヤが乱れております。すぐに次の電車が参りますので、危険ですので無理に乗り込まないようご協力をお願いします」


 駅員が拡声器を持ち、同じことを何度も繰り返していた。

 駅員の言う事はもっともだけど、ここで立ち止まっているわけにもいかない。


人混みをくぐり抜け何とかホームまできた。すぐさま電車が入ってきたが、車両はすでに人でいっぱいだった。


駅員に押し込まれるように電車に乗った。


身動きひとつできない状況でいくつかの駅を通り過ぎ、ようやく降りる駅についた。


 一気に乗客が吐き出されその波に乗って電車から降りようとしたけど、何かが引っかかり降りられない。


見れば、お弁当を入れている手提げカバンが人混みの中で絡まっている。


力任せに引っ張ってみたけど、未だにすし酢目状態の電車の中から手提げカバンが出てくることはなかった。


それどこらか人の波に押された拍子に手から手提げカバンが引き剥がされ、手提げカバンだけが電車の中に取り残されてしまった。


慌てて取りに行こうとしたけど、人の波が私の体を電車から遠ざける。


「わぁ~、私のおべんとぉ~」


 そんな私をあざ笑うかのように、電車が発車する合図が鳴り響く。


 空気音を掃き出し電車のドアが閉まった。


 徐々にスピードを上げ目の前を通り過ぎていくお弁当、もとい電車。

 車掌さんを見送り呆然と立ち尽くす。


「さようなら、私のお弁当」


 涙ながらにというのは大げさかもだけど、断腸の思いでお弁当への想いを断ち切り、気持ちを切り替え改札口へと足を向けた。


 力なく歩く歩いていると目の前を歩く男子生徒が、不釣り合いなカバンを持っていた。


 それはまさしく、今さっき電車と共に去っていったお弁当が入った手提げカバンだった。


「私のお弁当!」


 思わず叫んでしまった。


 その声に何人かが振り向き、手提げカバンを持ったその人も振り向いた。


その人の顔を見て、再び叫んでしまった。


「片桐倭斗! なんで私のお弁当を持っているのよ」


「お前なぁ~、人をドロボーみたいに言うな、奥村ヲタク」


 だから、名前がちがーう!


「私はヲタクじゃなくて……」


「だったら、いい加減フルネームで呼ぶの止めろ」


 桐谷倭斗の言葉に、抗議しようとしたけど言葉が詰まる。


「だから、その……きりたに君が二人いるから……その……」


 しどろもどろになる。


「俺も下の名前でいいじゃん。霧谷颯太も颯太って呼ばれているし、俺だけフルネームっておかしいだろ。お前が俺をフルネームで呼び続ける限り、俺もお前をヲタクって呼ぶからな!」


 桐谷倭斗は突然不条理な条件を突き付けてきた。

 これにはさすがに抵抗する。


「ちょっとそれおかしいでしょ。私はちゃんとあなたの名前を呼んでいるでしょ。なんで私だけ名前が違うのよ」


「はいはい」


抗議する言葉になど一切聞く耳を持たず、シレッとそっぽを向いてしまった。


 なんなのよこいつ!

 ホント むかつくやつ!


フンと鼻を鳴らし、私もそっぽを向く。


 いやいやいやいや、こんなことしている場合じゃない。


 あわてて桐谷倭斗に向き直り、彼が持っている手提げカバンを指さした。


「それ、私のお弁当。なんで桐……あ、あんたが持ってんのよ」


 フルネームで呼びそうになった私を、桐谷倭斗がじろりと睨んだ。


 フルネームで呼びそうにはなったけど寸でのところで『あんた』に切り替えて、『呼んでいないぞ』とアピールするようにあごをあげた。


 それに対して、倭斗はフンと鼻を鳴らして返してきた。


「お前の弁当を俺が救出してやったんだ。ありがたく思え」


 高校に入学して半年ほどたったけど、この時にして初めて桐谷倭斗と同じ電車で通っていたことを知り驚いた。まあ、同じクラスにも関わらず、初めて話をしたのが入学して七ヶ月もたってからなのだから、それほど驚くことでもないのかもしれない。


桐谷倭斗は恩着せがましく言い放つと、手提げカバンを私の目の前に突き出した。


「ありがとう」


 そこは素直に礼を言い、手提げカバンをありがたく受け取ろうとした。


でも、手提げカバンはするりと私の手をすり抜けた。


「ちょっと、私が丹精込めて作った大事なお弁当なんだから返してよ」


唇を尖らせて訴えると、桐谷倭斗は意外だというように目を丸くした。


「お前が弁当を作ってんのか?」


「そうよ」


「それって食える代物か?」


「失礼だな! 前の日の夕食をくすねてはいるけど、ちゃんと食べられます。杏子ちゃんと美幸ちゃんも美味しいって言ってくれました!」


 何を思ったのか桐谷倭斗がニヤリと笑った。


「荒波に飲み込まれた弁当を救い出したのは俺だ。こいつは俺がもらう」


 いきなりジャイアニズムを突き出してきた桐谷倭斗。


 そう言うと、手提げカバンの中からお弁当だけを取り出し、袋は私に押し付けた。


「はぁ~?」


 意味が分からす素っ頓狂な声を上げた私を無視して、桐谷倭斗は踵を返しスタスタと行ってしまった。


 が、少し行ったところで立ち止まり、小走りで私の元に再び戻ってきた。


「これはお前が食え」


 それだけ言うと足早に去っていった。

 手には桐谷倭斗の弁当が残された。


「はぁ~?」


 再び素っ頓狂な声を上げたにもかかわらず、私のことなど気にも留めず桐谷倭斗は行ってしまった。


 しばらく呆然としていたけど、のんびりしている場合じゃなかったと思い出す。


無事に手元に戻ってきた手提げカバンに桐谷倭斗のお弁当をツッコむと、彼の後を追うように学校へと急いだ。

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