恐るべしファンクラブ

 目の前に見えるのは男性の足。


 それを下から目で追っていくと、見知った顔がそこにあった。


 慌てて立ち上がる。


「き、桐谷倭斗! まだ居たの?」


 思わず相手の名前を叫んでしまった。


 叫ばれた桐谷倭斗は、少し不機嫌そうに顔を歪めた。


「あ? なんだよ、奥村ヲタク」


 は?


 名前間違ってるし!


 自分がフルネームで呼び捨てにしたことは棚に上げ食って掛かる。


「#おとは__・__#です! 名前間違ってるからッ! それに私はヲタクではありません! あの人たちは行動力もさることながら、情報収集力に長けていてとても知識が豊富。私なんかがヲタクを名乗るのは恐れ多いというか、おこがましい気が……する」


 クスクスクス……桐谷倭斗が笑っている。


「な、何よ」


「別に」


 言いながらまだ笑っている桐谷倭斗の笑顔に一瞬驚く。


 彼のあだ名は『鉄仮面の貴公子』


 それは、彼が表情を顔に出さないことから、そう呼ばれるようになったはず。


 それなのにこの笑顔。

 

 黙っているとクールで少し近寄りがたいところがあったけど、屈託なく笑う彼の表情からは冷たさが消え、優しさが前面にあふれ出ていた。


 今朝、話をした桐谷倭斗とはまるで別人。


 と、ここでまたひとつ驚きがあった。


「あ、私は認知されているんだ……」


 思わず口から出ていた。


「何分けわかんない事言ってんだ?」


「さっきの子たちの事知らないみたいだったから、私の事も知らないのかなって……」


 その言葉に桐谷倭斗は何を馬鹿なことを、とでも言いたげな口調であっさりと答えた。


「同じクラスだ、知っていて当然だろ。お前の方がクラスの男子の名前覚えていないんじゃね~の?」


「いやいやいやいや、そんな事あるわけ……」


 ない、とは言い切れない自分がいた。そんな私に、桐谷倭斗がニヤリと口の端をあげて笑う。


「苗字はわかるけど、下の名前まではってところか」


「な、なんで? なんでわかるの?」


 まったくその通り。苗字はかろうじて分かけど、下の名前となるとあやふやだ。しかも学校にいる時は分かるけど、街で私服のクラスメイトとすれ違ってもきっとわからない、という変な自信まである。


「俺はちゃんと名前くらいは覚えてるぞ」


 フンと偉ぶって見せるところが少し憎い。だから、あえて意地悪なことを言ってみる。


「どうせあなたも、街で私服のクラスメイトと会っても気付かないでしょ」


「あ~確かに。それは気付かないな、って、『あなたも』って事はお前も同類だな」


 しまった! 墓穴を掘ってしまった。


 頭を抱える私を見て、倭斗はケラケラと笑った。


 く、くやしい。


 武将の名前は覚えられるのに、どうしてクラスメイトの名前は覚えられないのか……。

 いっそのこと、クラスの男の子に甲冑着せたい。そうすればきっと覚えられる。


 たぶん……。


「ところで、お前こんなところで何してたんだ? ホントにのぞきが趣味なのか?」


 言われて、慌てて頭を下げる。

 頭の中で男子生徒に甲冑着せてる場合じゃなかった。


「ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったんだけど、出るに出られなくなったというか、えっと……探し物していたらちょうど遭遇してしまって、その……」


「いや、別に責めてないから謝らなくてもいいけど……」


 桐谷倭斗は少し照れくさそうに、ポリポリと鼻の頭をかいた。

 なんだかいつもの『住む世界が違う人種』の桐谷倭斗とは印象がずいぶんと違う。


 って言っても、こんなにちゃんと話をしたのは初めてだけど。


「で、探し物って?」


 尋ねる桐谷倭斗に、両手の人差し指を出して説明する。


「えーと、このくらいのチラシで、この辺りに落ちたはずなんだけど……」


 キョロキョロと辺りを見渡してみたけど、やっぱり見つからない。


 すると、桐谷倭斗が私の頭上を指さした。


「もしかして、あれか?」


 桐谷倭斗が示したほうを見てみると、私の後ろの木の枝にそれはあった。


「あーッ! あった!」


 ようやく見つかった探し物に、手を伸ばす。


 けれど、手は空をつかむばかりで届かない。ジャンプしたところで、運動がそれほど得意ではない私のジャンプは意味をなさなかった。


 ようやく探し物が見つかったというのに手が届かない。

 私の手は空をつかむばかりだった。


 そんなジレンマに大きくため息をついた。


 すると、後ろからスッと腕が伸びてきて、難なく目当てのものをつかんだ。


「どんくせーヤツだな」


 微かないい香りと頭上から声が降ってきた。


 どこかで嗅いだことのある匂い。


そう思ったのも束の間。


考えを巡らせる私の視界に、桐谷倭斗の笑顔が飛び込んできた。


 彼女に対する冷たい態度や、告白した女の子に対して毒舌を吐きまくっていた彼からは想像もできないほどの優しい笑顔。


これまでの悪態ぶりをきれいさっぱり消してしまうほどの威力が、その笑顔にはあった。


そんな笑顔を見せられたら、どんな悪態をつかれても、すさまじい毒を吐かれても、きっと一緒になって笑える気さえしてくる。


 こんな毒消しを持っているとは、なんとも恐ろしい。


 彼の毒消しにやられまいと、ブルブルと頭を振った。

 その行動に桐谷倭斗が疑問をぶつけてくる。


「お前の探しものって、これじゃないのか?」


 彼が手にしたチラシには、確かに『結城晴朝の埋蔵金』と書かれている。

 そのチラシを見て、桐谷倭斗が訝し気に首を傾げた。


「ん?」


「何? あ、もしかしてあなたも歴史に興味があるの?」


「ない!」


 間髪入れずに答えた桐谷倭斗。


「だよね」


 なにも即答しなくても……と思っていると、頭上から笑い声が降ってきた。

 見れば桐谷倭斗が何やらクスクスと笑っている。


「な、何?」


「いやぁ~、これから日本史の授業が楽しくなるなと、思ってさ」


「はぁ~、もう嫌なこと思い出させないでよ。ちょっと後悔してるんだから」


 今更ながら、あの時素直に『すみませんでした』と言えばよかったと思っている。たてつく私を『バカなヤツ』と思っているだろうなって。


 けれど、桐谷倭斗は不思議そうに首を傾げた。


「後悔? 日本史の講師を言い負かせるだけの知識があって、なおかつ説得力もある。俺はすごいと思ったけどな」


 その言葉にドキンと胸が高鳴った。


 そんなこと初めて言われた。引かれることはあっても感心されることはこれまで一度もなかった。


 しみじみ見つめる私に、桐谷倭斗がニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「集中砲火されるお前の奮闘ぶりを楽しみにしてるぜ」


そう言うと桐谷倭斗は私にチラシを渡し、背を向けた。


 そこでようやくからかわれたと気づいた。


 桐谷倭斗はクスクスと笑いながらその場を去ろうとしていた。


 やっぱりむかつくヤツ。でもチラシを探してくれたのは桐谷倭斗。お礼はちゃんと言わなきゃ。


 足早にその場から去ろうとしている彼の背中ににお礼を告げた。


「ありがとう」


 桐谷倭斗は振り向きもせず、片手をあげて行ってしまった。


 ようやく見つかった探し物を手に、フフンと上機嫌で教室へ戻ろうとした私を引き止める者たちがいた。


 桐谷倭斗が去っていた逆の方からゾロゾロと女の子たちがやってきて、私の前に立ちはだかる。


「な、何?」


「あなたね! 倭斗君に告白した子って!」


 その声にはものすごい怒気が含まれていた。


「倭斗君は、みんなの倭斗君なんだから、抜け駆けは絶対に許さない!」


 身に覚えのないことに一瞬呆然としたけど、先ほどの盗み聞きのことを思い出しひとり納得する。


「抜け駆けなんかしてませんよ、第一、私は告白なんかしていませんし」


 事実を口にしているのに、恋に盲目な彼女たちはその言葉を信じてはくれなかった。


「嘘よ! 告白している女の子がいるって報告があったんだから!」


 恐るべし、ファンクラブの情報網。


 確かに桐谷倭斗に告白した子はいた。残念ながら見事に玉砕されたのだけど、それは私じゃない。


 その人物の名前を言えば解放されるんだろうけど、言えばその子が次のターゲットとなり、今自分がされているような尋問を受けることになることは容易に想像できる。


 振られた挙句、ファンクラブからの尋問はさすがにきつい。


 口が裂けても彼女の名前は口にできない。ならばこの誤解をどのようにして解くべきか。


 考えあぐねていると、さらに追い詰める発言者が現れた。


「あ、この子、倭斗君にお弁当を渡していた。しかも倭斗君のこと呼び捨てで呼んでた」


 ファンクラブの群衆のひとりが言った。


 呼び捨てに関しては弁解の余地もないど、お弁当を渡した件については、あくまで『忘れ物』を届けたに過ぎないのだから文句を言われる筋合いはない。

 せっかく届けたにも関わらず、ヤツは食べていなかったけど……。


「そういえば、なんでお弁当食べてなかったんだろう」


 思わず突いて出た言葉は、どんなに願ったところで元に戻ってはくれない。つくづく自分のうかつさを呪いたくなる。


 ファンクラブの子たちの失笑が辺りに響く。


「せっかく作ったお弁当、食べてもらえなくて残念だったわね」


 さらなる誤解を招いてしまったことに、頭を抱え込みたくなる私にさらなる追い打ちをかけてくる。


「性懲りもなく、倭斗君をデートに誘うつもり?」


 女の子のひとりが近づいてきたかと思うと、私の手からチラシを奪い取った。


「なにこれ、『結城晴朝の黄金伝説』ってこんなの倭斗君が行くとでも思ったの?」


 女の子は嘲笑もあらわに笑うと、チラシをビリビリと破り捨てた。


「あッ!」


 叫んだその瞬間。


「何やってんだッ!」


 地獄に仏とはこのことか、突如湧いて出た救いの声! と思ったけど、振り向いたそこには感情をどこかに置いてきたかのような、無表情の桐谷倭斗がそこにいた。


冷たいまなざしに背筋がゾッとする。


 仏とはあまりにもかけ離れた形相ではあるけど、助け出してくれるにはうってつけの人物である。


 思った通りファンクラブの子たちは、その冷たいまなざしから逃れるように、足早に散っていった。


 誤解が解けないままになってしまったけど、そんな事より破られてしまったチラシのほうが重要だった。


 破られてしまったチラシを、一枚一枚丁寧に拾い上げる。

 すると、桐谷倭斗も近づいてきてそれを拾う。


「どうしてこんなことになった?」


一瞬だけ桐谷倭斗の表情が悲し気に曇った。


不思議と怒りは湧いてこなかった。むしろ謂れのないことで、トラブルに巻き込まれることのほうがつらい気がする。


 全ては誤解が招いたこと。


 恋する女の子が勇気を出して告白したことは、誰にも咎める権利はない。

 そして、恋するがゆえに、嫉妬することも仕方のないこと。


 誰が悪いわけでもない。


「モテるって、案外大変なのね」


素直な感想を漏らすと、桐谷倭斗がクスッと笑った。


「お前は、一生かけても体感することはないだろうな」


 鉄仮面は外れても、毒舌はそのままらしい。


 でも彼から悲しい表情が消え、笑顔が戻ったことに何故かホッとした。


眉目秀麗、頭脳明晰、運動神経も抜群のモテ男。

 加えて冷静沈着、いつもクールで感情をあまり表に出すことはなく、どこか人を寄せ付けない空気をまとっている。


冷たい表情をしていたかと思えば、屈託のない笑みを浮かべたり、悲しい顔をしたりする。


こんなにもコロコロと表情が変わるのに、どうして『鉄仮面の貴公子』なんてあだ名がついたのか不思議だ。


『住む世界が違う人種』から、少しだけ同じ人種に近づいた気がした。

そう思った時、彼がスッと立ち上がった。


「俺のせいでこんな……」


 謝ろうとする彼の言葉を、敢えて遮る。


「このチラシ、入場割引券がついていたの。テープで張り付けても有効だと思う?」


 そう質問すると、キョトンとした目で見つめられた。かと思ったらいきなり吹き出した。


「お前って……」


 そう言って言葉を切る桐谷倭斗。


「な、何よ」


 聞き返した私の言葉には何も返さず、桐谷倭斗はひとりクスクスと笑いだした。


 なんだか悔しくて、桐谷倭斗の手からチラシをむしり取るように奪い取った。多少の怒りも込めながら、今度は失くさないようにしっかりとチラシを握りしめる。


 頭上から聞きなれた友だちの声が聞こえてきた。


「乙羽ちゃーん! そろそろ授業始まりますよぉ~」


 見上げると、美幸ちゃんが窓から顔を覗かせ手を振っている。それに応えるように、両手を広げて答える。


「美幸ちゃーん、チラシ見つかったよ」


 握りしめていたチラシは、紙吹雪のごとくきれいに舞散った。


「あ――ッ!」


 叫ぶ私に、桐谷倭斗は肩を揺らして笑った。


「アホすぎる」


 クックックと笑いながら、桐谷倭斗は教室へと足を向けた。

 無情にも始業を知らせるチャイムが鳴る。


 私は後ろ髪を惹かれる思いを断ち切り、教室へと向かった。

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