第二章 テストよりも大事な数字がそこにはある 2
「はぁ~~~~~」
渡り廊下を歩きながら、真尋は盛大に溜め息を吐く。身体測定の数値は芳しくないどころか予想よりもひどかった。真尋は乙女の秘密が記載された用紙を誰にも見られたくないのか、何重にも折り畳み、落すことなどないよう、握りしめていた。
「真尋。私、八つ折りまでは聞いたことあるけど、三十二折りっていうのはやりすぎじゃないかな? そんなに気にすることないって」
しかし、伊織はその姿が余計に目についてしまうのか、当たり障りのない言葉を投げかけてしまう。
「ワ、ワタクシ、気にしてなんていません」
まったく説得力のない言葉を耳にしながら、伊織は「ほんとに気にしないでいいのに」と思う。モデルをしている自分から見ても真尋のプロポーションは女性らしいものに見えた。ただたんに省吾の好みが現実的に見れば極端に痩せている女性なだけなのだが、それ以上は口にできない。周囲ではクラスメートが「全然痩せてるよ」だの、「そのくらいが一番かわいいよ」だのと、傷のなめ合いをしている中では、嘘っぽく聞こえてしまうだろう。
けれど、下を向き、肩を落としながら、大きく溜め息なんか吐かれると、言いたくなくても、「大丈夫だって、真尋も痩せてるって」と知らず知らずうちに口を吐く。
「……ありがとうございます」
自分よりスレンダーな伊織に言われてしまい、真尋はぎこちない笑みを返し、伊織は失言だったと口をつぐんでしまう。
「………」
「………」
「妹よ、女同士のカワイイやそんなことないほど嘘くさいものはないぞ。けれど、真尋ちゃんを心配して元気づけしようとしたその心意気や坂下の人間としては良しだ」
重苦しい空気が流れているのを切り裂いたのは、空気を読んでいない言葉だった。
「……なんで、二年生の兄さんが私たちの前にいるの? 二年生は別の行事があったはずだよね」
「安心しろ、べつにさぼっているわけじゃない。ただ、うちのクラスは今の時間が自習なだけで、俺はその課題も終わらして、ちょっとトイレに行った帰りに、たまたま真尋ちゃんたちの姿が目に入ったから声をかけただけだ」
「へぇ、とても計画的な出会いだね」
「まぁ、そんなことは気にするな」
伊織への問いかけはそこそこに、省吾は思わず伊織の後ろに隠れたしまった真尋に対し、「あんまり落ち込んだ顔は似合わないよ。けど、あと六キロ痩せれるように一緒に頑張ろう」と、声をかける。
「兄さん! そんなことばかり言ったら、怒られるよ」
引きつった表情を浮かべる真尋を制して、伊織が割って入ってきた。
「なぜ、怒る。俺は女性にとって体重というのは年齢と共に、非常に重要な数字だと認識している。仮に一キロ減らせられるのならば、同じ重さの銀と交換してもいいと聞いたこともある」
「誰が言ったのよ、そんな言葉。たしかに、女の子にとって、重要だけど、気軽に触れられていいものじゃないの。そんなことばっかり言ってると、嫌われるよ」
「ふむ、それは困るな」
「でしょ? それに、今のままでも真尋は十分に可愛いじゃん」
面食いにも程がある省吾が気にいるだけあって、真尋は今のままでも十分すぎるほどの魅力を持っている。
「そうだな。客観的に見ても、主観的に見ても、真尋ちゃんは美少女と分類して相違ない」
褒められることに悪い気はしない。けれど、この男がそれだけで終わるはずはなかった。
「だけどだ。真尋ちゃんはあと六キロ痩せるだけで美少女の中の美少女になれる。だったら俺はそこを目指して欲しい。野球選手なら大谷翔平に、サッカー選手ならクリスティアーノ・ロナウドのようなスーパースターの中のスーパースターになって欲しいんだ。真尋ちゃんが頑張る気持ちになってくれるなら、俺はすべてを賭して美しくしてみせる」
「兄さん、女の子は顔や体型だけが判断する材料じゃないよ。今の真尋だって十二分に魅力的じゃん」
けれど、伊織にしては珍しく、省吾の言い分に食い下がった。しかし、これは、真尋のためでなく、省吾がこれ以上、変な噂をされないため、嫌われないためにやっていることに伊織以外は気づかない。
「今の真尋ちゃんも好きです。でも、痩せた真尋ちゃんの方がもーっと好きです」
それでも、省吾は自分の主張を曲げない。伊織は頭を抱えながら、「だから、兄さん。そういう言い方はダメなの」と注意する。
その間、真尋は真剣な表情で、一人、物思いに耽る。
正直な話、省吾に好かれようが、嫌われようがどうでもいいのだが、より綺麗になりたいという気持ちは老若、すべての女性の望みでもあった。
「あ、あの!」
すると、真尋は決意した表情で省吾に問いかけようとする。
「どうした、ベイビー? 俺のために痩せてくれる気になったかい?」
それでも、省吾の態度にはせっかくの決意も揺らぎそうになり、「……あの、伊織さん。この人のことは信用してもいいのですか?」と、確認してしまう。
「う、うん。正直、兄さんはやると言ったら、やり遂げるよ。下手に痩せたいとこの辺りのジムに通ったり、サプリを飲むよりは、効果的だと思う。心配するのももっともだけど、大丈夫。ちょっと変態が入って失礼極まりない物言いはよくするけど、モラルの高い紳士のはずだから安心して。いや、ごめん。できないよね」
伊織はなんていったらいいものか悩む。自分の兄が頭もよく、面倒見がいいことは知っているのだが、普段の言動と真尋への気持ちの悪い執着心を見ていると、なにを言っても嘘くさく聞こえてしまう。
「坂下先輩」
けれど、真尋は伊織のいう安心してという言葉を信じた。省吾でなく伊織を信用し、彼に自分も懸けてみようと思った。
「真尋ちゃん、俺のことも名前で呼んでくれていいんだよ。坂下ではなく、省吾と。さぁ、呼んでくれ。もしくは兄君さまでもかまわない」
「先輩」
真尋は声色を低くして省吾を見た。
「……仕方ない。まだ好感度は一定値に達していないようだ」
省吾も相手の気概を感じ、一つ息を吐いて真尋を見返す。
「で、真尋ちゃんは、俺のプログラムに沿って、体重を落としてくれるということでいいんだね?」
「はい。ワタクシ、頑張ります」
真尋は藁にもすがる思いで、省吾の提案にのった。どこの部分をでなく、真尋は単純に自分を形成する重要な数値を変えたかった。
「……わかった」
省吾は努めて冷静に対応するが、心の中でのガッツポーズが止まらない。思わず笑みがこぼれるが、それがどこか邪悪なものに見え、真尋は早まってしまったかもしれないと後悔するが後の祭り。
「あ、あの、できれば、その食事制限はない方向でお願いしたいのですが」
そのせいか、決意した瞬間に弱音が出てきてしまう。内容もなにも確認せずに相手の口車に乗った自分はなにを言われても仕方がないのだが、人生の楽しみを奪わる要求は飲めないと思った。
「任せたまえ。真尋ちゃんの要望を聞きながら、俺が真尋ちゃんに合ったプログラムをその都度作成していこう」
省吾は当然だと言わんばかりに胸を張る。真尋に痩せてもらいたいのは本音だが、だからと言って、彼女に辛い表情をさせて喜ぶ趣味はない。本人にはできるなら笑顔でいて欲しいし、その笑顔を自分も見たかった。
「では、そのプログラムを受けるためにワタクシはなにをすればよろしいですか?」
「……真尋、それは最初に聞いておくべきことだよ」
確認することの順番が反対ではないかと、伊織は思わず呟いた。このままでは、この子は悪い契約にすぐ引っかかるのではないかと心配になる。
「真尋ちゃんが痩せてくれるなら、それだけで俺はメリットばかりだ。条件は白河真尋が痩せること、それだけでいい。ダイエットするにあたっての道具や諸費用も俺が出そう。サービスだ、俺の好意として受け取ってくれ」
「兄さん、それはやりすぎ」
それ以上に省吾が甘々だった。過去の省吾を思い出すに、まったく成長していない。伊織は少しだけ強い口調で窘めるが、省吾はまったく気にしていない。
「いえ、さすがにそこまでは悪い気がします」
まだどういうことをするのかも、結果がどうなるのかもわからない。女の子にとって、永遠の悩みともいうべきことに取り組んでくれるのだ。それを、タダというわけにはいかないだろうし、タダより怖いものはない。
なにより、省吾にはあまり貸しを作りたくはなかった。
「気にするな。頑張るのは真尋ちゃんだ。俺がしんどいわけじゃないし、なにより、俺は真尋ちゃんのことが大好きなんだ。これくらいはさせてくれ」
「いけません。坂下先輩も頭を使って、予定を組んでくれるんでしょ? だったら、ワタクシもなにか返さなくていけません。ギブアンドテイク。それが嫌でしたら、ワタクシ、やっぱり協力できません」
真尋は律儀で頑固だったことに、横にいる伊織もほっとする。
「それは困るな」
省吾は腕を組んで考える。正直な話、省吾にとっては真尋が自分の理想に近づいてくれることだけでいいので、望みなんてものはない。
どうしたものかと考えていると、一つの案が頭の中でひらめく。
「そうだな。俺も真尋ちゃんに時間を割くから、真尋ちゃんも俺のために少しくらい時間を割いて欲しい」
「それって、どういう」
少しだけ嫌な予感がした。自分から言い出したことではあるが、あまり不健全なことを要求されたらどうしようかと思う。
「生徒会は慢性的に人手不足なんだ。だから、都合のつく時だけで構わないから、補佐として手伝ってくれないか?」
「それぐらいでしたら」
あまりにも健全な要求に拍子抜けしてしまうが、部活動に入る予定のない真尋にとって、そのくらいの時間的余裕はあるはずだった。
「本当か!」
真尋の了承に、省吾は嬉しそうに確認した。その笑顔は真尋にとって初めて見る純粋な笑い顔。
この人、こんな顔して笑えるんだ。
なんて思えてしまう。
「うん、我ながら良い案だ。これで真尋ちゃんと放課後も一緒にいられる。本当はクラスも一緒になりたいところだが、それをしてはとてつもなく拒否反応を示す妹がいるからな」
「当たり前じゃん。兄さんと兄妹ってだけでも恥ずかしいのに、同じ学年、もし、同じクラスなんかになったら、ノイローゼで学校に行ける気がしないよ」
自分がここで強く否定しなければ、彼は嬉々として、目的を実行するだろう。新入生であっても、この学校のことは受験の時に調べた。
私立陽ノ宮学園。一生徒の学年降格くらい前例がないわけではなかった。
「だから、絶対に私のクラスには転入してこないでね」
「そこまで期待されてるなら」
「冗談じゃないから」
有無を言わせぬ目力に、省吾も「わかってるよ」と、頷くしかない。
「で、早速で悪いけど、今日の放課後から生徒会室を手伝ってくれることは可能かな?」
省吾は真尋に向き直り、忘れないうちに約束を取り付けようとした。
「大丈夫ですよ」
「そうか。なら、ホームルームが終わったら、俺が教室まで迎えに行くから、教室で待っていて欲しい」
「わかりました。」
「よーし、よし。これで休日もトレーニングと称して誘いだせるし、生徒会の打合せとかでっち上げて昼休みに一緒になることも可能だ。同じ理由で夜に電話をかけても嫌がられない。これはもう、恋人以外のなにものでもないのではないか?」
「なにものでもあるよ。それに、そこまで真尋を束縛したらダメじゃん」
一人ガッツポーズする省吾に、引きつった笑みを浮かべる真尋。伊織は仕方なく兄を嗜めた。
「そうだな。たしかに、真尋ちゃんも自由な時間は欲しいだろう。安心してくれ、俺は束縛なんてしないタイプだ。真尋ちゃんの言うことはちゃんと聞く。けど、俺はできることなら、ずっと真尋ちゃんと一緒にいたい。嫌な時はきちんと言ってくれないと俺はどんどん前に出るから。ということで、一緒に登校したいから、明日からは家の前まで迎えに行ってもいいかい?」
「いえ、結構です」
真尋ははっきりと言った。きちんと言葉で伝えられれば、省吾は受け入れる。
「そうか。まぁ、真尋ちゃんがダイエットしてくれるだけで今はよしとしよう。そうと決まれば、ぎりぎりまで計画を練っていかなければいけないな。善は急げだ」と、一人、頭の中でこれからの計画を立てる。
省吾は「では、また後で」と、言って、教室へ帰るとする。最後に、「真尋ちゃん、今日の結果は気にしないでいい。俺と一緒にきちんと痩せよう」と、笑みを浮かべながら、要らぬ一言を添えてくる。
「真尋、妹の私がいうのもなんだけど、兄さんは悪気があるわけじゃないからね」
去りゆく省吾の背中を見送りながら、伊織はフォローを入れた。
「わかってます」
「兄さんはほんとに真尋のこと想っているはずだから」
「……信じます」
真尋は自分の選択を後悔しないように、自分に言い聞かせていた。
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