第二章 テストよりも大事な数字がそこにはある 3
「さぁ、真尋ちゃん。これから二人の愛の巣へ向かおうか!」
今日もホームルームが終わると同時に省吾は我が物顔で下級生の教室へ入ってくる。けれど、今日は登場の言葉に問題があった。真尋は顔を真っ赤にさせながら、「せ、先輩!」と言って、省吾を引っ張りながら足早に教室から出て行く。
二人の昨日までと違うやりとりに、クラスメートは様々な推測を語り合う。
「なに、やってるのよ」
二人のこと、クラスのことを見ながら、伊織は機嫌悪そうに呟いた。
「あ、あの、先輩」
教室を出るなり、真尋はすぐに掴んでいた省吾の袖を離して、なおも顔を赤らめながら「明日からは迎えとか、そういうのは、もういいですから」と、文句を言ってくる。
省吾が教室に入ってくるなり、クラスのほとんどが自分の方を向いた。そのにやにやした視線はどこか自分を不快にさせる。だからこそ、すぐにその場から逃げ出したかった。もちろん、省吾の言葉が恥ずかしくて、その場に留まれなかったのもある。
「そうか、真尋ちゃんはあんまり注目されることは好きじゃないんだね」
省吾は真尋が自分から触れてきてくれたのが嬉しいのか、真面目な表情を浮かべなければいけないと自覚しているが、どこかにやついてしまう。
でも、そのにやにやは真尋を不快にさせることはない。
「けど、奇異の視線は慣れている方がいいよ。真尋ちゃんの美しさは周囲から四つ、五つ飛び抜けるんだから、見るなと言う方が無理な話になる」
「自分はそんな」
「自分も含めて、人間を客観的に見れる方がいい。そうしないと、傷つくのは自分だから、ね」
真尋の前では常に笑みを絶やさない省吾であるが、その言葉には影があった。
「あの、それってどういう」
「さぁ、生徒会室についたよ」
真尋が深く聞く前に省吾の表情は元に戻り、結局、はぐらかされた形になった。
けれど、省吾は入口の前で立ち止まったまま、中に入ろうとはしない。
「入らないのですか?」
「まぁ、ちょっと待とうか」
省吾は真尋を制して、しばらく、そのままで立っていると一人の男がやってきた。
「木村先輩、おはようございます」
省吾が挨拶すると、木村と呼ばれた男は「おう」と、軽く右手を挙げて応える。
「真尋ちゃん、この人が書記の木村先輩」
「あ、あの。おはようございます」
省吾に紹介されて、真尋は慌てて頭を下げる。
「ん、おはよう。で、その子がお前の運命の子か?」
真尋を見ながら、木村は省吾に聞いた。入学式での告白の場面は一緒の場所にいたのだが、相手の姿を見たのは初めてだった。
「そうです。綺麗でしょう。かわいいでしょう。美しすぎるでしょう?」と、省吾は同意を求める。
木村は腕を組み、口元に手を当てながら真尋を見た。自分を見つめる、真剣な眼差しに真尋は思わず省吾の後ろに隠れてしまった。
「うん、綺麗でかわいい子だな」
木村は一つ頷いて、素直に褒めた。
「そうでしょ? ほら、真尋ちゃんは今のままでも誰が見ても魅力的な女の子なんだよ」
「……あ、ありがとうございます」
異性二人から褒められ、真尋は恥ずかしく下を向いてしまう。
「あ、あの、もう、入りましょう」
「ちょっと待って」
今のこそばゆい状況から抜け出そうと、生徒会室の扉に手をかけたところで、省吾に制される。
「どうしたんだ? 早く入ろうぜ」
木村は二人のやり取りをまったく不審に思うことなく、いつものように中へ入る。
「いっけ~い!」
扉が開くと同時に、女性の声が響く。その瞬間、『べちゃっ!』という音ともに、木村の眼前が真っ白になる。
思いっきりパイを投げつけられていた。
「………」
顔に思いっきりホイップクリームをつけたまま、木村は立ち尽くす。
第二波がないことを確認してから、省吾はようやく室内に入り、真尋を促す。
「あのぅ、放っておいていいんですか?」
横をすり抜けて進む省吾に、真尋は声をかけるが、「問題ない」の一言で、片づけられた。
木村は顔についたクリームを拭うが、きれいにはとれない。目元についたクリームを優先的に拭い、開けた視界から自分にパイを投げつけた二人組を睨みつけた。
「ちょっと~、なんで木村くんが先に入ってくるのよ。私たちの計画が台無しじゃない」
「……台無し」
女の子二人は悪びれた様子もなく、被害者であるはずの木村を責める。
「朝倉、これはどういうことだ? 説明してもらおうか」
木村は白顔のまま、生徒会長朝倉雫に説明を求める。
「ほら、今日から新しい女の子が生徒会を手伝ってくれるって聞いたから、少しでも楽しんでもらおうと思ってね」
「誰がそんなので喜ぶんだよ。罰ゲームじゃねぇか!」
「ほんのおちゃっぴーよ」
木村に怒鳴られながらも、雫はまったく反省の色を見せない。真尋は二人の様子を黙って見ていると、雫は木村の相手を止めて、真尋に対し、自己紹介を始めた。
「あ、ごめんね。あらためまして、こんにちは。私が知っているとは思うけど、生徒会長の朝倉雫よ。で、パイを投げた女の子が二年生の紫陽菜ちゃん」
陽菜は雫に紹介されて頭を下げた。
「あ、ワタクシ、白河真尋、一年生です。よろしくお願いします」
「……よろしく」
陽菜はただ一言だけであまり話さないタイプのようだった。
「ごめんねぇ、陽菜はちょっと寡黙なところがあるから。で、彼女の仕事は、仕事はぁ、なんだっけ? 木村くんにパイを投げること?」
「そう。……誰にでもできる、簡単な仕事」
「そんな役ねぇよ。会計だろ、会計」
木村は不機嫌なまま、陽菜の役職に訂正を入れる。
「そうそう。ちょっとお金が大好きすぎるドキドキ会計さんよ」
「あの、それって大丈夫なんですか?」
あまりいい響きではない。
「大丈夫よ。赤字が出そうになったら、少しのお金で知らないうちに黒字にしてきてくれるわ。ただ、気をつけて欲しいのが、この部屋に入ったら荷物は常に携帯しておかないとあなたの持ち物も勝手に競売にかけられたりするの。特に体操服とかは放置厳禁」
やっぱり大丈夫ではなさそうだが、深くは聞かないことにした。
「で、この白塗りの化粧をしているのが書記の木村くん、三年生よ。フルネームは本人たっての希望で伏せておくわ。なんていったって、あの大スターと漢字まで同じの同姓同名なんだものね。病院とかで名前を呼ばれて一瞬周囲がざわつくんだけど、返事をすると溜息を吐かれる経験が豊富なのよね」
「余計なことをいうな」
木村は顔を拭いながら雫に注意する。
「余計なことってどんなこと? 名前が同じでも、雰囲気がまったく違えば笑い話にでもできるけど、微妙にほんとに木村くんも少しだけ男前だから、勝手にあいつ気取ってるとか、ナルシストって誤解されることとか? あ、誤解じゃないか、だって木村くんって高校デビューしてたもんね。ずっと鏡の前にいたし、女の子にも人気があるって思ってたもんね。その時のあだ名が名前に大敗した男だったっけ?」
「だから、余計なことをいうな。そんなことより、今日はなんのための集まりなんだよ」
木村は口調を強くして話題を変えようとする。過去の過ちを掘り返されることほど、嫌なことはない。
「そうね。木村くんの話題なんて時間の無駄だものね。どれくらい無駄かというと、掘った穴をまた埋めるくらい無駄よね」
「俺の話題は拷問レベルなの。っていうか、その話をしている時間が無駄だ」
「会長、そんなことより、早く今日の議題に移って下さい。俺もあんまり暇じゃないんです」
二人の掛け合いに省吾が溜息をつきながら注意する。きちんと仕事のできる有能な人物だとはわかっているが、彼女は無駄話や無駄なことをするのが好きなものだから困る。
「そうね。早く進めないと、いつものように坂下くんと木村くんは俺の理想の女の子を話し出すし、陽菜はネットで競馬予想やデイトレードにはまっちゃうもんね」
「お前だって勝手に携帯ゲームとかいじりだすだろ」
「その文句はゲーム会社に言ってよね。あいつら、最近は現実世界にも侵食してきて午後四時から一時間限定のクエストとかイベントが多くなってるんだもん」
「だから、早く仕事をしましょう」
今日の話を戻す役割は省吾のようだった。
「わかってるわよ。え~と、白河さんは坂下くんの横がいいわよね?」
自分が座るべき席を決めかねている真尋に対し、雫は声をかける。
「いえ、そんなことありません」
知り合いのいない中では、知っている人に近づきたい気持ちはある。けれど、素直に「はい」とは言えない。
「そう? けど、木村くんの横は駄目よ。この子、見ての通りエロいから近くにいたら男の娘くらいは簡単に妊娠させちゃうから気をつけてね」
「そんなわけあるか」
「名前に大敗した男、男の娘も孕ます男、残念男子。よくもまぁこんなに二つ名を持ったものだわ」
「俺だって好きで持ったわけじゃねぇよ。朝倉だって残念美人、二次元ではありだけど現実では需要のない女の子なんて異名を持ってるだろ」
「木村くん、そんなこと言うとぶっ殺すわよ」
雫は笑顔で木村に警告をした。
「物騒なこというな」
「あら、私としたことがなんてはしたない言葉を発してしまったのかしら。言い直すわね。次、そんな言葉を口にしたら、電車の線路にあなたを突き飛ばして、あなただけでなく親族にも金銭的な迷惑を与えるから」
余計嫌だった。
「そんな陰険なこと考えてるからお前も外見の割にもてないんだよ」
それでも、木村は文句を止めない。
雫はにこにこしたまま、右手で拳銃の形を作り、「バーン」と発射の仕種をすると、それに合わせて、陽菜がもう一度パイを木村の顔面に叩きつける。
「………」
せっかく拭った顔がまたも汚され木村は言葉も出ない。
「それよりも木村くん、顔面蒼白だけど、体調大丈夫? 調子悪いなら帰っていいのよ。むしろ、私に風邪をうつさないで」
「これは体調が悪いから白いわけじゃない」
「そうなの? もしかして美白? 今どき男の子がそんなことやったからってもてたりしないわよ」
「お前のせいだろ!」
木村のツッコミを気にすることなく、雫は「さて、そろそろ真面目に生徒会始めましょうか。木村くん、とりあえずその顔のままだと私も笑ってしまうからきちんと顔を洗って来てね」と言う。
「わかってるよ」
木村も部屋から出てお手洗いへと向かった。雫も自分の席へ向かい、真尋も余計な文句は言わず、勧められるまま、省吾の隣に着席した。
「では、陽菜。今日の議題を発表して」
木村が戻ってきてから、雫は陽菜に進行を促す。
陽菜は事前に準備していたフリップを机の上に置いた。
『今年の部活動予算申請について。それでは予算が与えられない申請書とは?』
「なんか、大喜利みたいな進め方なんですね」
真尋は横にいる省吾に声をかける。これも独特ではあるが、重要な案件の進め方だと考えた。
「はい」
「……どうぞ」
雫が手を上げ、陽菜は意見を求める。
「料理クラブの申請がおかしいです」
「……どんな理由?」
「使用する食材の産地を偽装して、予算を増額させてました」
雫は得意顔で発言する。
「……残念」
陽菜はそれでは座布団を与えられないと、次の答えを待った。
「ただの大喜利でした!」
真尋は悔しがる雫と座布団を下げた陽菜を見て、これが茶番だと気づかされた。
「まぁ、冗談はこれくらいにして、ちゃんとした会議をしましょうか」
真尋の反応に満足し、雫は話を元に戻す。
「なんで、そんなことするんですか」
けれど、真面目に参加していた真尋はからかわれたようで少しおかんむりの様子だった。
「ほら、いきなりお堅い話題ばっかりだと疲れるでしょ。初めはリラックスしてもらいたくてさ」
「そうなんですか。でも、いえ、なんでもないです」
この部屋に入ってから、省吾が一番まともにみえてしまう生徒会への不安を口にしようとして止めた。
「大丈夫。だって、陽ノ宮学園の生徒会だよ」
雫は自信を持って答えるが、まったく安心感がない。
「朝倉、そろそろ一年生に模範となるべき行動しようぜ」
「あら、生きてるだけで恥さらしの木村くんでも先輩面したがるなんて意外ね」
「だから、そういうことを言うのを止めろ」
「わかってるわよ。では、来週の新入生臨海学校のスケジュールの詰めから、夏の球技大会までの雑務を一気に片づけましょうか」
雫が一つ手を叩くと、全員の表情と室内の空気が変わった。
雫は各部、各委員会から上げられた嘆願書に目を通し、省吾や陽菜から回される書類に判子を押していく。各自、自分に割り当てられた仕事をまっとうし、必要最低限の確認事項しか言葉を発しなくなった。真尋は省吾から前回の委員会会議のテープ起こしと議事録まとめを任され、パソコンとにらめっこしていた。
メリハリがきちんとできているのか、可もあり不可もある生徒会と呼ばれる所以が一日でわかってしまう。
どれだけ集中していただろうか。真尋もなんとか初めに任された仕事を片づけ肩を回す。その仕種を見て省吾は、「真尋ちゃん、疲れたでしょ? 今日はもう帰っていいよ」と、声をかけた。
「いえ、まだ手伝えます」
いつの間にやら、日は傾き始めていたが、自分の倍以上は仕事をしていた彼らよりも先に帰るのは気が引ける。
「大丈夫だよ。臨時で手伝ってくれてる子にあまり押しつけても可哀そうだからね」
「ですけど」
「ほらほら、日が暮れるまでに帰らないとだめよ」
雫も省吾と同意見なのか、自分の手を止め、真尋に話しかけた。
「白河さんも疲れたでしょ。それとも私と一緒に帰る? その場合、私は送り狼になっちゃうけど」
「は、はぁ」
ガオーと、可愛らしくポーズをする雫に怖さは感じない。
「会長、真尋ちゃんの狼は俺の役目です」
けれど、真面目に切り返す省吾からは身の危険を感じたのか、「今すぐ帰ります」と、急いで帰り支度を始めた。
「そんなに怯えなくても、坂下くんには、そんな度胸ないって。でも、本当に今日はありがとうね。本来なら、もう少し白河さんと交流を持ちたかったところだけど、柄にもなく真面目なところを見せちゃった」
「いえ、そんな。少ししか、手伝えていなかったですし」
「それでもありがたかったわ。そうだ、お礼に白河さんのダイエット、私も協力してあげる」
「いえ、そんな必要ないですし、あの、あんまり、そういうことを言わないで欲しいのですが」
あれだけ校内で叫ばれて、隠せていないことは承知しているがあらためて、雫のようにスレンダーな女性に言われると恥ずかしい。
「そうね、けど、私も貸しを返さないと。明日のお知らせを楽しみにしててね」
「あの、そんなの大丈夫ですから」
雫の思いつきは不安で仕方がない。
「大丈夫、大丈夫。だって、朝倉雫の提案だよ。じゃ、もう、帰った、帰った」
「あ、あの」
強引な対応を拒否できるほど、真尋は彼女と親密でなければ、押しが強いわけでもない。
「真尋ちゃん、また明日ね」
省吾はにっこりと微笑みながら、真尋を見送った。
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