第五章 優しさより、キスが欲しい 3

 あれから省吾だけが雫に捕まり、不純異性交遊がどうとかありがたい念仏を聞かされた。男女交際を厳格に取り締まっているわけではないが、さすがに目の前でキスされれば、思うことがあったのだろう。これだから、無駄に純情な乙女気取りの女はめんどくさいと正直に吐露してしまうと、雫の機嫌はさらに悪くなり話も長くなる。ようやっと雫から解放されたのも束の間、今度は伊織に捕まってしまう。そこからは、小言、小言、たまに嫉妬でまた小言。抜け出すチャンスももらえないまま時間はすでに放課後になってしまっていた。

「さすがにきつい」と、省吾も足取りが重くなっていたが、校門のところで門柱に寄りかかり、ぽつんと暇そうに立っている人影に気づくと、今までの疲れもどこかへ飛んでいったような気がした。

 けれど、笑顔で出迎えてくれると思っていた少女は、省吾が来ても門にもたれかかったまま、「先輩、遅いですよ」と口を尖らせ、非難の視線を向けてきた。

「しかたないだろ。けど、待っててくれてありがとう」

「女の子を外に放っておくなんて、彼氏失格ですよ」

 文句を言いながらも、真尋の表情はどこか緩んでいる。

「その彼氏って表現いいね」

 省吾も真尋と話していると自然に笑みがこぼれる。なにげない会話でさえ楽しいというのは恋人同士独特の感覚なのだろうか。

「そうですよ。先輩とワタクシは世間一般で言うところの恋人同士なんですから、先輩もこれからはワタクシのことをきちんと彼女として扱ってくださいね」

「なら、真尋ちゃんはなにして欲しい」

「え、えっと、その」

 今度は先輩からなんて、思考は恥ずかしくて言えるわけがないが、視線は自然と唇にいってしまう。

「どうしたの?」

 省吾は言葉に詰まる真尋に優しく聞いてくれた。けれど、真尋はその仕種が今までと変わり映えなく見え、少しだけ、ほんの少しだけ物足りなさを感じた。

 元々、省吾は真尋に対して、最大限の好意を伝えてくれていたのだが、キスをした相手と一緒にいるというのに、省吾の表情はいつもと同じようにしか見えない。別に、急にドギマギして欲しいというわけではないが、自分だけがドキドキしているのはずるいと思った。真尋の頭の中は校門の前で待っている間も省吾のことでいっぱいだったのに、今の省吾が真尋を占める割合はそんなにないように見える。

 そんなことを直接省吾に言えば、きちんと自分のことだけを見てくれて、考えてくれるのだろうが、そんなのは真尋の望むことと少し違う。

 意識の根本から自分のことを考えて欲しい。白河真尋のことしか考えられなくさせてやりたい。

「……今は手を繋ぐだけでいいです」

「そうなの」

 省吾はそう言って、真尋の手を取る。それだけで、真尋の頬は赤く熱くなっているのが自分でもわかるというのに、省吾はそうでもない。

 これはまだワタクシに魅力が足りてないということでしょうか、などと考えながらも、真尋は手の平から伝わってくる暖かい幸せを噛みしめながら、一緒に歩いて行った。

【エピローグ ライバルはアニメキャラ】


 一学期も終盤へと差し掛かり、生徒会室の事務作業は多忙を極めていた。一度は雫からもう来ないでいいと言われた真尋も、省吾の口添えにより改めて手伝いをすることになった。

 真尋も参加当初と違い、言われたことだけをするのではなく、わからない部分は質問し、自分から仕事を見つけようとしている。

「先輩、この企画の数字っておかしくないですか?」

「先輩、各部に配布する書類の文面ってこれでいいですか?」

 けれど、質問する相手は圧倒的に省吾が多い。きちんと仕事をこなしているので問題はないのだが、あまりにも近くなりすぎている二人に、「あなたたち、もうちょっと離れたらどうなの?」と、雫も言わずにはいられなかった。

「でも、わからないところは教えて頂かないと」

「そうね。なら、木村くんに教えてもらいなさい。坂下くんよりも仕事はでき、ないし、教えられることは、ないけれど。ねぇ、木村くんってなにができるの? ていうか、セクハラ以外なにができるの?」

「ふざけるんじゃねぇ、俺はオールマイティになんでもできるんだよ」

「え? なんでもしちゃうの? たとえば、最近どう? なんて女子生徒の肩を叩いて、女子の残り香が移った手の平をクンクンとかしちゃうの? 気持ち悪い。そんな変態、生徒会にはいらないわよ」

「言いがかりはよせ、俺はそんな狡い趣味なんてない」

「そうですよ。木村先輩は堂々と女の子の胸を触る潔い変態です」

「そんなこともしねーよ」

「……私は被害者が泣き寝入りしているところも見た。訴えたら勝てるレベル」

 いたって真面目に、深刻な表情で省吾と陽菜が言うものだから、真尋も「え、そうなんですか?」と、思わず信じてしまいそうになる。

「だから、違うといっておろうが! というより、お前らは俺をどんな奴だと思ってるんだよ」

 たまりかねた木村は作業の手を止めて、三人に自分のイメージを聞く。

「「「むっつりスケベの小悪党」」」と、三人は声を揃えて言い切った。

「ちが~う!」

「そんなことより、恋人同士、いちゃらぶするのは止めてもらえないかしら」

 雫は一通り木村をからかってから、話を元に戻す。

「それはむりです。なぜなら、俺は真尋ちゃんから話かけられることを思いの他、嬉しいと感じてしまっています。だから、真尋ちゃんには実力より少し難度の高い作業を割り振っているので、質問に来ざるを得ない状況を作っています。でも、大丈夫です。任された仕事は会長の期待以上の成果を挙げて見せますよ」

「あなたなら、そのくらい造作もないんでしょうけど、私が嫌なの。目の毒なの、私の作業効率が著しく下がるの。なんで、こんな光景を見ながら水泳大会の企画を詰めないといけないのよ。なんか、最近生徒たちも新しい水着買ったんだとか楽しみにしているのが、私の望んでいることだけど、ちょっと腹立たしいの」

 雫は机に突っ伏して、気分転換とばかりに不満を吐く。

「まぁ、会長の水着姿なんか誰も見たくないですからね」

「そういうことじゃないわよ。それに、私の水着姿なんてみたら坂下くんもびっくりするわよ」

「あ、大丈夫です。俺は真尋ちゃんの水着姿しか見る予定ありませんし、他の女子には興味もありませんから」

「せ、先輩、その恥ずかしいです」

 真尋は顔を赤らめながら、今度、可愛らしい水着を買いに行こうと思い立つ。

「はい、そういう甘い空気ここで出すの禁止!」

「なら、会長も俺らのことが目に入らないくらい誰かといちゃらぶすればいいじゃないですか」

 その瞬間、雫は思いきり青筋を立てた。

「坂下くん、私が、今は、誰とも付き合っていないことを知っての発言かしら?」

「はい。恋を知らない会長に俺らの幸せをおすそ分けです」

「陽菜!」

 雫は省吾を指差し、陽菜に合図を送る。

「………」

 陽菜は自分の席を立つと、スタスタスタと省吾に近づき、おもむろに抱きつくと、「……好き」と、一言、囁くように呟いた。小さい身体に不釣合いの胸を押し付けられ、いくら口では真尋以外は興味がないと言っている省吾も少しだけドキッとしてしまった。

「先輩?」

 その瞬間、横にいた真尋の声のトーンが二つは低くなる。

「なにしてるんですか? 早く離れたらどうですか? 陽菜先輩を引き離すぐらい、すぐにできますよね? それとも、あまりに嬉しくて固まってしまいましたか? ワタクシ以外の女性でときめくなんてことは絶対にダメですよ?」

 ゆらりゆらり近づいてくる真尋にいつもの可愛さはない。あるのは恋人の浮気現場に出くわしてしまった三十二歳看護師のような威圧感。あまりの雰囲気の変貌ぶりに省吾も思わず「あ、あの、真尋ちゃん? どうしたの?」と、聞いてしまう。

「ふふん、私が白河さんのことをなにも知らないと思った? 残念ね、彼女がかなり嫉妬深いことは独自の調査によって確認済みよ。白河さんは自分の愛用するぬいぐるみを家族が触っただけでも、殺菌して、首を絞めるほどに抱きついて自分のだと証明するぐらいだもの。しかも、狂気の対象は好きになったモノにだけ。私たちは安全ってわけよ。フフフッ、これでようやく坂下くんも面白い反応を返してくれそうね」

 雫の説明の間も真尋はウフフフフと笑うだけ。雫の言葉は耳に入らず、今も陽菜に抱きつかれたままの省吾を見ていた。

「あの、陽菜さん? ちょっと、離れてくれないかな? ちょっと身の危険を感じるんだ」

「先輩? 今はワタクシという彼女さんがいるんですよ。だったら、友人だろうが、家族であろうが、異性のことを名前で呼ぶなんてことは止めてもらいたいですね」

 視線はずっと省吾に向けたまま。

 真尋の視界に入っていなくてもこのまま抱きついていては危ないと思った陽菜は無言で省吾から離れていく。

「さ、私たちはちょっと外に休憩しにいきましょうか」

「……いく」

 ここは二人きりにさせてあげようという親心よりも、この場から逃げ出したという思いからだった。木村も「お、俺も」と、どさくさに紛れて逃げ出そうとする。

「ちょ、ちょっと、会長」

 さすがの省吾も二人きりになるのを心配するが、「ダメよ。私たちはまだ十八歳未満だからCEROZのシーンは見ちゃいけないのよ」と言って、省吾の「待ってください」という言葉も聞かずに生徒会室から出て行った。

「あの、真尋ちゃん?」

 二人きりになった室内に恋人同士の甘い空気は流れない。

「………」

 真尋は無言のまま省吾に抱きつく。それは優しい抱きつきではなく、力強い。融合しそうなほどに力強い。

「真尋ちゃん、嬉しいけどちょっと痛い」

 省吾は少し苦しそうに真尋に懇願するが、抱きつく強さはより力を増した。

「先輩はワタクシのこと好きなんですよね?」

「あぁ、好き、だよ」

「でも、まだ一番ではないですよね?」

 真尋は省吾の胸に顔を押し付けながら聞いた。今では自分のことをすごく大事にしてくれていると感じるが、それでも、省吾の心を白河真尋だけが占めているわけではないと思っている。

 自分の他に省吾の気持ちを占めている女の子の名は三日月夜宵。

 真尋は溜め息を吐きながら、省吾から一歩離れて、相手の目を見た。

「ワタクシ、先輩に好かれるため、頑張ります。だから、先輩は他の女性に目移りなんてしないでくださいね?」

 彼氏冥利に尽きる言葉だった。省吾もその言葉を聞いて嬉しく思うと同時に彼女を悲しませない、彼女にふさわしい男になろうと改めて決意する。

「まずは水泳大会までにあと一キロ痩せます」

 高らかに宣言する真尋に省吾は「いや、最近少しだけ食べ過ぎてるから二キロ弱だよ」と、要らぬ一言を付け足してしまう。それは、今も三日月夜宵に固執しているということがバレバレだった。

真尋はジト目で省吾を見上げながら、「先輩!」と声を張り上げ、体重なんかよりもずっと大事なことを指さして言った。

「三日月夜宵以上に、ワタクシのことを好きになってもらいますからね!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理想の彼女は157cm41kg 小鳩かもめ @kamome1106

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ