第四章 愛が見えない 7
「白河さん、付き合って下さい」
真尋への告白は日に日に激しさを増していく。あれだけ好きだと言っていた省吾でも無理だったのだから、一度で諦めない男子生徒も多い。
けれど、全員の告白を断っていれば中には不快に思う相手、強引な交際を迫ってくる相手もいた。
「なんで? 誰とも付き合ってないんでしょ? なら、べつにいいじゃん」
「今は誰とも付き合う気がないので」
「そんなこと言わないでいいじゃん。男女の相性なんて付き合ってみないとわからないよ」
「いえ、ワタクシは誰とも」
「それに俺と付き合えるんだから白河さんも鼻高々になれるでしょ?」
「だから、ワタクシは誰とも付き合う気がないと」
「はぁ? 俺がこんなに頼んでるのに、なんでそんなこというわけ?」
今回の相手はいつも以上に厄介だった。ここはそれなりの進学校のはずだが、こういう度し難いバカはどこにでも出てきてしまうようだった。
「頼んでいるようには見えませんが?」
気が滅入っていた真尋も思わず相手の言動に腹が立ったのか、言い返してしまった。
相手は案の定その言葉に気分を害したようで、一頻り真尋に対し暴言を吐いた後に「オモンネ。こんなのこっちから願い下げだな」と言って去っていく。
「……なんでワタクシがこんな目に合わないといけないのですか」
真尋はとぼとぼと足取り重く教室へ戻っていく。
この状況はどうにかしないといけない。
「どうしましょう」
授業中も真尋は上の空だった。誰とも付き合う気がない。けれど、告白は避けたい。
だったら、どうすればいい?
一番簡単なのは誰かと付き合うこと。
でも、誰とも付き合う気はない。
それでもいいという都合のいい人はいないだろうか。
ぼぅーっとグラウンドを見てみると、そこではちょうど上級生が体育をしていた。そして、一人の男子生徒を見つけて思いつく。
今のままは嫌だからしょうがないよね。それにワタクシのことが好きなら喜んでくれるでしょう。
急激に変わり始めた自分の周囲に戸惑い、嫌気がさしていたせいか、その行動の善し悪しなんて考えは及ばなくなっていた。
放課後、真尋は省吾をメールで呼び出し、屋上へ向かおうとしていた。
「真尋、ちょっといい?」
その途中、真尋は伊織に呼び止められる。
「なんでしょうか?」
「今からどこ行くの?」
伊織は確信めいた口調で聞いてくる。自分が席を立つと同時に教室から出てきたのだ。それがわかっているなら隠す必要はない。
「屋上で先輩にちょっとお願いさせてもらおうと思いまして」
「それは、なにを?」
「ワタクシ、最近の告白ラッシュに少しうんざりしています。なので、先輩にはワタクシのボディガードになってもらおうと思いまして」
真尋に挑発のつもりはない。ただ、素直に自分の言葉を伝えただけだった。
「それがどういう行動かわかって、あたしに言ってるのよね?」
「はい」
はっきりとした口調だった。そして、その物言いは伊織をさらに感情的にさせる。
「言ったよね? あたし、兄さんを都合よく使うなんて絶対に許さないって」
明らかな敵意だった。けれど、真尋には怒られる理由がよくわからない。
「なんで怒ってるんですか? だって、先輩の方がワタクシのことを都合よく考えてるじゃないですか」
傷ついているのは自分の方だ。そう叫びたい気持ちを真尋は必死に抑えるが、ついつい文句の一つや二つは口を吐いてしまう。
「それに、伊織さんには関係ないことでしょう?」
「関係あるもん!」
伊織は叫びながら、昔、といっても、五年前のことを思い返す。
伊織にとって、少し特殊な性癖を持っていようが、省吾は誇るべき兄であった。夫婦共働きが珍しくない中、幼い自分の面倒を見てくれていたのは省吾だった。
けれど、そうでない時期。兄に対する反抗期のようなものもあった。優秀な兄と、そうでもない普通の妹。伊織は勉強も運動も平均並、容姿だってどこにでもいる普通の女の子だった。だからなのか、なにかと目立つ兄に対して嫉妬を向ける人たちの標的は伊織へと変わった。
省吾には敵わない。けど、腹は立つ。
だったら。
子どもの嫌がらせは純粋で残酷だ。原因さえもわからない、急激な周りの変化に伊織は一日も絶えることができずに部屋の中に引きこもった。
学校に行かないと叫び、母親も一日くらいと学校に連絡入れようとしたが、それを許さない人がいた。
母親に電話を止めさせ、心配そうにしていた母親にはあとは任せろと自分の胸を叩き、両親を仕事先に出かけさせた。二人が玄関から見えなくなるまで見送ってから、省吾は勝手に伊織の部屋に入ってくると、「お前、ずる休みするのか?」と不躾に聞いてくる。
「仕方ないじゃん」
伊織は答えた。一日ぐらいどうだっていい。気分転換なんて誰だってやることじゃないか。しかし、省吾はそう思ってくれない。
お前はダメな妹だ。
俺はお前の兄で恥ずかしい。
弱虫め。
惨めな奴だ。
友人と思っていた人たち、知らない上級生から投げかけるよりも直接的にひどい言葉を実の兄から浴びせられる。
「なんでそんなこと言うの!」
伊織は感情的に反発した。今まで好きだったお兄ちゃんから言われて悲しい気持ち、お兄ちゃんのせいでこんなことになった怒りの気持ち、なにより、こんなことで挫けてしまう自分へのやるせない気持ちを混ぜて叫んだ。
「ふん、そんだけ元気あれば十分だな。学校行けるだろ」
「だから!」
「お前は自分に自信がないから落ち込んでいるし、言い返せないんだ。今日、今すぐになにか学年で一番のものをとれ」
「そんなの取れるわけないじゃん。あたし、お兄ちゃんと違うんだよ」
「そうだな。俺は伊織とは違う。だから、伊織は俺の取れない一番をいっぱいとれ。お前は俺の妹なんだ、それぐらいできるだろ」
「なにそれ」
無茶苦茶な言い分だった。自分ができたから、お前もできるなんて出来の悪い指導者の謳い文句みたいなものじゃないか。
「差しあたって、今日はこの服を着ていけ。それだけで、お前は人気者になれるし、批判は俺が握りつぶす」
渡されたのは当時流行っていたキャラクターのコスチュームだった。省吾は言いたいことを言って、部屋から出て行く。
「バッカみたい」
伊織はぶつくさと文句を言いながら、そのコスチュームを着てから姿見の前でポーズを取る。省吾に言われたから学校に行くのは癪に障るが、あれだけ言われて行かないのはもっと違う。
「ちょっと違う」
伊織は首を傾げてから、近くにあったハサミを手に取ると、腰まで伸びた髪をショートカットの長さまでバッサリと切り、兄の部屋に無断で入っては、飾ってあったピンク色のウィッグを被る。
「うん」
一つ頷いて、今度は母親の化粧ボックスを開いてはおもむろに自分が綺麗になるよう塗っていく。
「こんなもんかな」
最後は高そうな香水を軽く自分に振りかけ、姿勢を伸ばして家を出た。
昨日とはまったく違う格好で現れた伊織に周囲は驚きを隠せない。しかし、化粧道具さえあまり見たこともない小学生にとって、伊織の変身は子供っぽい格好であっても大人びて見えた。
子どもの興味を引くのは単純であるほど簡単だ。
実際、化粧なんてものは初めてだからか雑であるし、衣装だって既製品で固めてあるからか安っぽい。だけれども、子どもたちは興味本位で寄ってくる。
伊織はその子たちに対し、明るく笑って対応し、休み時間が来るたびに伊織の周囲は騒がしくなっていった。
その瞬間、伊織のクラスでの地位は上がり、いじめっ子たちの標的から外れた。家に帰ると母親にめちゃくちゃ怒られもしたが、伊織の気持ちはすっきりしていた。
省吾のせいで迎えた伊織のピンチは省吾の助けによって、乗り切った。
それからだ。伊織は自分を変えるようになり、省吾とは違う形で注目を集めようとし始めたのは。
その成果もあってか、それから二年も経つと、周囲の評価は特に秀でたものがない省吾の妹からあんなカワイイ妹を持つ省吾というものに変わった。
今でこそ、天邪鬼な性格が災いし、兄の優しさに素直にはなれなくなってしまったが、あの時のアドバイスは感謝しているし、それ以降もなにかある度に、省吾は自分を気にかけてくれた。だからこそ、伊織は省吾に笑っていてもらいたいし、省吾のしたいことは応援したいと思う。
恩返しのチャンスが来たのはその頃だった。
今まで三日月夜宵一筋だった省吾が初めて現実世界の女性に恋をした。今、思い出せば、その女の子は真尋ほど三日月夜宵に似ていたわけではない。少しだけ雰囲気が似ているなという程度であったが、三日月夜宵に少しでも似ている少女がいるということが、省吾にとっては嬉しかったのだろう。
会った瞬間から君のことが好きだと熱烈なプロポーズを行い、彼女のお願いであればなんでも聞いた。のどが渇いたと言えばジュースを買いに、流行の化粧品が欲しいと言えばお年玉やお小遣いを崩して購入し、宿題が面倒だと言えば代筆もした。結果、その甲斐甲斐しい態度が彼女を上長させてしまった。
要求はどんどんとエスカレートしていき、少しでも要求と違えば、彼女は省吾を糾弾した。
さすがの伊織も「彼女は止めときなよ」と警告するが、省吾は聞く耳を持たない。
省吾の意思なら仕方がないと伊織は口を紡ぐが、結末はあっけなくやってきた。
彼女は「好きな人ができたから、もう近づかないで」と唐突に告げた。それでも、省吾は「嫌だ」と、彼女に自分と付き合って欲しいとお願いする。
「なんでもする」
その言葉に彼女は悪びれた笑みを浮かべながら、「なら」と、省吾に一つのお願いをした。
結果的にそれは省吾の悪評を広め、「私、悪くないもん!」と彼女は一頻り省吾に責任を擦り付けて転校していった。
他人が見れば滑稽な画だったろう。あれだけ、尽くしたにも関わらず、最後は捨てられたみじめな男。それが坂下省吾であった。
たまに省吾は「俺は彼女のお願いを聞けなかった。彼女に、悲しい顔をさせてしまった」と、自嘲気味に呟く。
近づかないでと言われ、断ったこと。
笑顔でさよならできなかったこと。
省吾は今も後悔していた。
伊織はあんなにも悲しい笑みを浮かべる兄は見たことがなかった。
自分にできることはなにかなかったのか。伊織も悩んだ。
もう、あんな省吾を見るのは嫌だった。あんな表情をさせるのは最後にしようと伊織は決意した。
けれど、今もあの時と同じことが繰り返されようとしている。伊織はお節介だろうが、今度こその想いがあった。
「兄さんはすんっごく一途なの。だから、好きになった人の言葉は絶対なの。バカ正直にアニメの中の言葉を忠実に守ってるだけなの。兄さんはそれぐらい真尋のことが好きなんだよ。わかるでしょ?」
伊織は涙ぐんでいた。初めこそ、省吾絡みで知り合ったとはいえ、伊織にとっても高校生になって、初めてできた友だちなんだ。真尋のことは嫌いではないから、こんなことでほんとに嫌いになりたくない。
「わかりません。ワタクシなら、好きな人から離れようなんて言われたら黙ってその通りにはしません。いくら、相手のことを尊重していてもワタクシのことが好きなら、そこは引いてはいけないところだと思います。それこそ、伊織さんも女の子ならわかるはずです」
わかっている。省吾は自分の言葉を守ってくれているだけ。けれど、それだけでは物足りないのが恋心。省吾の過去を知らない真尋にとっては、省吾が自分から離れたとしか感じられなかった。
「それは」
思いもよらぬ反撃に伊織はうろたえてしまう。真尋はすでに省吾のことを見限った上で利用しようとしていると思っていたが、まだそうではないらしい。
ただ、彼女は疲弊して助けて欲しいだけだった。
「……真尋はまだ兄さんのこと」
「なんとも思いません」
強い口調で被せてきた。そうでもしなければ自分の意志が揺らいでしまいそうになる。
「そうなんだ」
「そうです」
「だったら、あたしが真尋と兄さんを会わせるはずないことはわかるよね?」
「……わかりました」
真尋は伊織の気持ちをくみ取ったのか、踵を返し去っていく。
「……これでいいわけはないよね」
伊織は真尋の後ろ姿を見ながら呟いた。悲しいのは真尋だって同じ。
今のやりとりは二人にとって本意でないはず。お互いのボタンのかけ違いによって、引くに引けなくなってしまっただけなんだ。
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