第四章 愛が見えない 4

 真尋は生徒会の手伝いが早めに終わったこともあり、軽く準備運動をしてから、ランニングをしていた。

 日の入が遅くなってきたこともあり、少し長めの時間走っている。いつもは走っている最中になにも考えられない、心地いい高揚感が身体を支配してくれるのだが、今日に限っては、気分はまったく晴れることがない。

「本当に大丈夫? なにか悩みがあったら俺に言ってよ。絶対に解決してあげるから」

 生徒会室を出る際にも、省吾は自分を心配してくれた。自分はまだ仕事が残っているにも関わらず、早く終わらして、顔を見に来てくれると言っていた。

 そして、同じことを生徒会役員にも言われてしまった。

 心配はありがたい。けれど、心配してもらうわけにはいかない。真尋はにっこりと笑い、「大丈夫です」と答えながら、もっとしっかりしなきゃと、決意する。

 けれど、初めは誘われたとはいえ、自分でも生徒会に積極的に手伝うとは思っていたし、自分が手伝うこともあまりないと思っていた。

 真尋は晴れない気分を紛らわすため、走りながら生徒会のことを考え始める。

 学校の生徒がどう感じているかは知らないが、真尋は朝倉雫を筆頭とした生徒会のメンバーを純粋に尊敬していた。

 中学時代の生徒会役員は不真面目ではなかったとはいえ、自分たちが積極的になにかを成し遂げるということには気持ちが希薄であったと思う。入学式、卒業式といった定例行事を無難にこなすための機関。内定を良くするために入る組織。それだけだったように思えた。

 けれど、この生徒会は違う。

 校訓でもある『自ら楽しみを見つけ、自ら行動する』を成り立たせるために、陽ノ宮学園生徒会は活動していた。

 時には自分たちで企画や規則を整え、生徒からの要望があれば、裏方として尽力する。驚くのは、目立つことが好きな雫がそんなことを率先してしているということだった。

 いつだったか、事務作業に忙殺されている雫に思わず聞いたことがあった。

「どうして生徒会長をしようと思ったんですか?」

 しかし、聞いた後で真尋は仕事が終わった後に聞くべきだったと後悔したが、雫は手を止めずに「なんでって、楽しいからだよ」と即答した。表情こそ、真面目なものだったが、その声音が楽しそうであったのはわかる。

「そりゃ、今の作業は面倒だし、できることならしたくない。けどさ、この先に楽しいことがあるからするんだよ」

 雫はそのまま話を続けた。

「私はもっと今を楽しみたい。だから私は能動的に生きるし、この作業も未来の今を楽しむために必要だと思うからしてるの。だから、高校生活を楽しもうって思ったら、生徒会長になった方が楽しめるって思ったからなったの。だから、白河さんも学校行事とか楽しんでもらえると嬉しいな。私以外の楽しむ気持ちは私が指示してどうこうできるものじゃないからね」

 真尋はその話を聞いて、自分たちのために動いてくれているこの人たちのことをもっと生徒に知ってもらう必要があるのではないかと思った。けれど、雫は「それはダメだよ」と一笑する。

「だって、私は私が楽しむためにしか行動してないから、少しでも強要するようなことはしたくないの。私は生徒会長として利益を出しているわけじゃないし、生徒になにかを与えているわけでもないの。経営者が快楽主義ではいけないけれど、生徒会長くらいはそうであってもいいんじゃないかなと思うの」

 雫は最後の書類に目を通し、判を押す。作業が一段落したのか、大きく伸びをしながら、「だから、私のわがままに付き合ってくれている木村くんに陽菜、そして坂下くんには感謝してるんだよ」と、照れ隠しのように役員に感謝の意を述べた。

 不意を突かれた役員は一様に作業の手を止め、呆けた表情を浮かべ雫を見た。

「な、なによ」

「いや、お前がそんな殊勝なことをいうなんてな。明日は槍でも降るんじゃないか?」

「……陽菜」

 ベチャッ!

 木村は今日もパイを投げらつけられた。

「坂下くんほどじゃないにしても、木村くんももう少し素直になってもいいと思うんだけどなぁ」

「こんな仕打ちをされて感謝の気持ちを持つわけないだろうが」

「あら、もっと痛いご褒美の方がよかった?」

「バカヤロー。俺に感謝されたかったら、セーラー服の似合う三十路を連れてこい」

 室内であるにも関わらず、冷たい風の音がした。

「……木村くん、気持ち悪いわ」

「……それはダメ」

 陽菜にも蔑んだ視線を向けられていた。

「フフフッ」

 真尋は思い出し笑いのおかげで少しだけ気分も晴れる。

 でも、心の中に潜む棘は抜けてくれない。

 なら、先輩はなんのために生徒会をやっているんだろう。

 最終的には省吾のことを考え始めていた。

 前に中学時代も生徒会長をしていたと聞いたが、志のようなものは聞いていない。雫のように自分のためと言いながら、誰かのためを思ってやり始めたのだろうか。いや、この学校では生徒会長が役員選定の決定権を持っていると聞くので、雫の要請に応えただけだろうか。

「……やっぱり、なにも知らない」

 行き着くのはそこになる。いつも一緒にいようと言ってくれているけれど、お互いの話はあまりしたことがない。特に省吾は生徒会の仕事以外にもアルバイトをしていると聞くのに、なにをしているのかも知らない。

「あんなに忙しいのに」

 省吾は自分のために時間を割いてくれている。自分が疲れている時には顔色を見て、「きちんと休んだ方がいいよ」と言ってくれるが、休息が必要なのは自分でなく省吾の方ではないか。むしろ、たまには休んでもらいたい。

 真尋は思いついた。

 そうだ、後で先輩に会ったら聞いてみよう。ちょっとした意地悪だった。意地悪のはずだった。

「おかえり」

 いつものゴール地点には省吾が待っていた。真尋は息も絶え絶えなので、頭を下げてそれを挨拶とする。

 省吾は立ち止まった真尋に対して、「お疲れ様」と言いながら、タオルとミネラルウォーターを渡す。真尋は「ありがとうございます」と感謝した。何気なくとも、この心遣いが嬉しい。

 いつもと変わらないいつもと同じ風景だった。

 このまま他愛ない会話でもしながら、時間が止まればいいのに。そうしたら、今日はもう少し違う話ができるかもしれない。いつもの分かれ道にもうすぐ到着というところで真尋は思う。

 その気持ちをくみ取った神様が天の恵みを与えた。

「真尋ちゃん、走ろう」

「はい」

 急な夕立の影響で二人は屋根のある場所まで避難せざるを得なくなった。幸い、雨は十分程度で止みはしたが、二人の服は一瞬でびしょ濡れになる。

「俺の家の方が近いからシャワーでも入るといい」

「いえ、大丈夫ですよ。そんな、お構いなく」

 省吾の提案を真尋は遠慮した。一緒にいたいとは思った。けど、伊織がいるだろうが、男性の家に行くことは抵抗される。

「そんなんで風邪を引いたらどうする。傘もないなか、濡れて帰るなんて俺が許さないし、折り畳みを忘れて真尋ちゃんを濡れさせてしまった俺の怠慢に、俺は俺を許せそうにない。せめて、このくらいのことはさせてくれ。もし、これが原因で学校を休まれたら俺は世界を敵に回してでも真尋ちゃんの横で看病するよ。おかゆをフーフー冷まして食べさせてあげるよ。寝汗を完璧なまでにふき取って、身体を温めるために横で添い寝しちゃうよ」

「わ、わかりました、わかりましたよ。お風呂借りるだけで、ワタクシはすぐ帰りますからね」

 真尋は省吾に看病されるならなんて想像しながら、坂下家へと入っていく。

「おかえり~。雨、大丈夫じゃなかったよね? って、あれ、真尋?」

 伊織の声に真尋はほっと一安心する。

「急な夕立に襲われてな。シャワーを浴びさせてくれ。ついでにお前の服も貸してやってくれ」

「それは、いいけど」

「あ、あの、すみません」

「いいよいいよ。真尋も濡れてるんだよね? お風呂案内するから、ついてきて」

「はい、ありがとうございます。えっと、先輩は?」

 真尋は家主も濡れているのに、自分が先に入っていいものかと、そっと省吾の方を見るが、「そうだな。一緒に入るか?」と、相手は軽い冗談を飛ばしてくる。

「な、なにいってるんですか」

 けれど、真尋はその言葉を正直に捉えてしまい、体の水分を蒸発させそうなほど全身を赤らめ、二人のやり取りを面白くないと思った伊織からはタオルを投げつけられる。

「兄さんはタオルで十分でしょ? 男の子だもんね? それとももう少し雨に打たれてくる?」

「冗談だ、そんな怖い顔をするな。俺だって、これ以上濡れたくはない。けどな、成果の出ている真尋ちゃんの裸体を確認したかったのは本気だ。今日、確認できなかったとしても、またの機会にお願いしたい」

「わ、ワタクシが痩せても先輩には見せません!」

「兄さん? お外走ってくるよね? 走るよね? ほら、止んだと思ったけど、またスコールみたいに降り出してきたよ。さっきより雨脚も強くなって、雷の音も聞こえてきたけど、むしろご褒美だよね? っていうか、その煩悩払ってきなさい!」

 伊織に蹴飛ばされる勢いで省吾は再度外に放り出された。鍵まで閉められては、当面、家の中に入れそうにない。

「あ、あの、大丈夫なんでしょうか?」

 さすがに、家の中にまで雨音が聞こえるので、真尋は心配になるが、「さ、お風呂案内するからついてきて」と、伊織は話を流す。

「あ、あの」

「真尋も、そのままでいたら風邪引いちゃうよ」

「は、はい」

 こういうのは気にしたら負けらしい。

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