第四章 愛が見えない 3

『ワタクシ、わがままなのでしょうか?』

 家に帰り、真尋はお風呂に入りながら思案した。

 男子生徒に言われた言葉。放っておいてもかまわない戯言が気になって仕方がない。

 その理由は自分でもわかっている。あれだけ感情的になってしまったのだ、気にしないようにしていたけど、認めざるを得ない。

 自分は省吾を好きになっている。

 この気持ちがそうでないなら、きっとこの先、恋することなんてないはずだ。

 けれど、恋してしまったからこそ、相手のことを考えてしまう。だからこそ、相手のことを知りたくなってしまう。

 甘い妄想だとは百も承知、あの男が言ったことは嘘であり、自分がそうであるように相手も自分が初めての相手であって欲しいと願う。

 でも。

 あんな歯の浮くようなセリフ、言われて嬉しく思ってしまう自分がいるけれども、慣れていなければ出てこないセリフなのではないかと思ってしまう。

『ワタクシ、どうすればいいのでしょう?』

 自問自答してみるが、答えは返ってこない。

 当然だ。自分の中の天使と悪魔はあくまで自分の化身でしかないのだから、なにも思い付きがなければ反応もしてくれない。

 あれ、天使? おい、悪魔と呼びかけてみてもまったく返事はなかった。思わず、自分のうぶさ加減が嫌になる。

『……先輩と一緒』

 省吾に対してちょっとした妄想を思い浮かべては、恥ずかしくなり、真尋は湯船にぶくぶくと沈んで気分を紛らわせた。


 しかし、真尋の受難は終わらない。

 次の日も、その次の日も真尋に告白をする生徒は後を絶たない。むしろ、どんどんと増えていく。

 これは、真尋の魅了に皆が気づいたことの証でもあるが、それに加えて、真尋と省吾は付き合っていない。このイメージがまだ真尋と付き合えるチャンスがあると皆に思われていた。

「入学した時からずっと好きでした」

「今まで話したことはないけれど、僕と付き合ってください」

 中庭に、体育館裏に、昼休み、放課後、朝の登校した瞬間に声を掛けられては告白を受け、ラブレターなるものはカバンに詰め切れないほど貰うようになったが、真尋はそれらをすべて断る。

 初めの一か月は誰も自分のことを見向きもしなかった。騒がしい先輩からちょっかいを受けている程度にしか認識できていなかったはずだし、一緒にいる伊織の方に視線は集中していたはずだ。

 彼らは自分の容姿に惹かれてやってきた。そんな表面しかみていない人と付き合うのは嫌だった。それが本心でもあるのだが、それならどうして自分はあの人と一緒にいるのだろうと疑問に思ってしまう。

 彼こそ、自分の容姿にしか興味がないのではないか。そんな想いが頭をよぎっては全力で否定する。

 あの人は違う気がした。

 あの人はワタクシを容姿だけじゃなく、ちゃんと全部を見てくれている気がした。

 希望、願望、そんなあいまいなことでしか表現できていなかったが、今まではそれでよかった。

 けれど、真尋の心は日に日にやつれていく。

 その理由は明白だった。毎日誰かに、更に言えば、校内でも人気のある男子生徒に告白されては、断っているというのを面白くないと感じている女子生徒は少なくない。

 カバンの中に入れていたノートが破かれていたり、上履きがなくなっていたり、プリントが自分に回ってこなかったりといった嫌がらせを受けることもあった。

 幸か不幸か、伊織という友人がいるので、表立った行動に出られたことはない。その分は、自分が我慢すればいいだけだと今は思っている。

 だからこそ、真尋は落ち込まないように意識していた。こんなことで学校に行かなくなるのは負けだと思うし、今は生徒会の手伝いもある。元々、交友の多くない真尋にとって、クラスの付き合い、その他大勢との付き合いなんてものにあまり価値は見いだせない。

 いつも通りにあまり人と話すことなく、真面目に授業を受け、ホームルームが終わると足早に教室から出て行こうとしたところで、「真尋ちゃん、迎えに来たよ」と、省吾がクラスに顔を出してきたので、真尋は思わずほっとした。

「……真尋ちゃん、どうかした?」

 ただ、いつも笑顔で自分を迎えてくれる省吾が、今日は少し神妙な顔つきで聞いてきた。会った瞬間に、自分を褒めないことは今日が初めてかもしれない。

「えっ? どうもしていませんよ」

「そう? なんか、元気がないというか、笑顔が満面でないというか」

「笑ってますよ?」

 真尋は自分でもはっきりわかるくらいにっこりと微笑む。

「いや、いつもと違う」

 けれど、省吾はそれを否定した。

「なんてったって、俺はこの二カ月、真尋ちゃんのことをいつも見ているからね。顔色を見れば、今日の調子くらいすぐにわかるよ。だから、今日はいつもと違う。間違いない」

「違いませんよ。ワタクシはいつも一緒です」

 自分の心配を悟られたくはない。けれど、自分が悩んでいることに気付いてほしい。気付いたなら、自分を安心させるための行動をとって欲しい。

 ただのわがままであるのだが、真尋は省吾に期待してしまう。

「もしかして、オーバーワークとか? そうだよね、入学してきたなれない運動や生徒会の手伝いとかで疲れも出てくる頃かもしれないな」

 自分を心配してくれている。けれど、自分の声なき声までは汲み取ってくれてはいない。

「ワタクシは大丈夫です。それより、今日も会長に早く来るように言われていたはずです。向かいましょう」

 真尋は省吾の心配をよそに、早くこの場から離れることをすすめる。それはクラスメートの視線に嫌なものを感じ取ったからであり、自分はまだしも、省吾にこの視線が向けられるのは嫌だった。

「さぁ、早く行きましょう」

「……わかった」

 二人が出て行ったあと、クラスメートはここにいない少年少女への妬み嫉みが言葉として存在した。

「なんで白河さんはあんなクズと一緒にいるんだよ」

「生徒会だからって、うまいこと取り入りやがって」

 省吾に対する妬み。

「ちょっとかわいくなったからって、こんなところで見せつけなくてもいいのに」

「あの子、あの人だけじゃないらしいよ」

 真尋に対する嫉み。

 それが微笑ましい光景でないことはたしかだった。

「………」

 伊織はクラス全体をただ黙って見ている。

「伊織ちゃん、今日は一緒に帰ろうよ」

 真尋が生徒会に行く時、伊織は仕事がなければクラスメートとも気さくに話し、遊びに行くこともあった。

 その際、二人の悪口を聞かされることもあった。同意を求められて、伊織はへらへらと笑いながらやんわりと否定するが、聞いていて気分がいいものではない。特に、伊織にとって省吾を悪く言われることはいい気分になれるものではない。

 もしかしなくても、今日もその話を自分に向けて悪気もなくするのだろう。

「そうだね」

 いろんな想いが、頭を、心を乱しているが、伊織はあの二人よりも取り繕うのがうまい。

「みんな、また明日ね!」

 一緒に帰るメンバー以外に向けて、伊織は愛想を振りまき、クラスメートも笑顔になる。先ほどまでの陰鬱な雰囲気は和らぎ、何事もなかったかのように他愛ない会話が再開された。

「………………………」

 伊織はクラスの空気を感じ取りながら、それ以降は言葉を発さず、クラスメートに背を向け、笑みを強張らせながら教室から出て行った。

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