第四章 愛が見えない 2
「あの人は、もう」
省吾と別れての帰り道、最近の真尋の頭の中は省吾で占められるようになっていた。
『真尋ちゃんは俺の理想の女の子なんだよ』
『真尋ちゃんはどんどん魅力的になっていくね』
『俺は真尋ちゃんのことが大好きだよ』
省吾が自分に言ってきた言葉を思い返しては顔が熱くなる。ただ、すべてもう少し体重が減ればと注釈がつくのが腹立たしいがいつも自分を褒めてくれるのに当然、悪い気はしなかった。
「でも、先輩はワタクシの容姿だけが好きなんでしょうか」
その中で真尋は一つの不安を考えてしまう。省吾は自分のことを大好きだと言ってくれるが、自分のどこが好きなのか、なにが好きなのかは言ってくれない。容姿を好んでくれているのはわかりきっているが、それ以外の真尋も見てくれているのだろうかと思ってしまう。
もし、ダイエットが失敗したり、成長して、今の雰囲気を保てなくなってしまえば、省吾は今と同じように自分に興味を示してくれるのか不安になってしまう。省吾のことは嫌いじゃない。むしろ、いつも一緒にいたいとも思い始めている。
だからこそ、省吾に興味を持ってもらい続けるにはどうしたらいいのかを知りたくなってしまう。
「聞いたら答えてくれるのでしょうか? でも、ワタクシも先輩のことはなにも知らない」
まだ出会って数か月。省吾も真尋のことを、真尋も省吾のことをなにも知らない。
相手が自分のことを本当はどう思っているかわからないように、自分も坂下省吾のことをどう思っているのかわからない。自分の本心はどうなのか。
「明日からはもうちょっと話をしていきたいです」
なにより、もう少し相手のことを知りたい。そんなことも思うようになっていた。
省吾が生徒会の業務で真尋と一緒にいない時、「白河さん、よかったら俺と一緒に帰らない?」と真尋は異性から声をかけられる機会が多くなっていた。
省吾といる時間はたしかに多いのだが、傍から見ていれば、トレーナーと生徒。あまり恋人同士にも見えず、今でもなにかあるたびに省吾は真尋のことを「大好きだ」と言い続けているため、まだ二人は付き合っていないと周囲は判断していた。
だからこそ、見栄えに磨きがかかる真尋が声をかけられるのは必然だった。
「すみません。遠慮しておきます」
いつもと同じように真尋はやんわりとした口調で拒否する。この頃は毎日のようにラブレターを送りつけられ、声をかけられ、告白を断るといった繰り返しだった。
「そんなこと言わずにさ。今日は予定ないでしょ? どっか遊びにいこうよ」
しかし、今日の相手はいつもよりしつこかった。
「いえ、今日もワタクシは忙しいので」
「知ってるよ。それは真尋ちゃんの常套句だもんね。どうせ、今日も走るだけだったりするんでしょ? 部活にも入ってないんだから一日くらいいいじゃん。ほら、真尋ちゃん、クラスでいつも一人だからさ、もっとクラスメートとも交流持った方がいいよ。だから、俺らと遊ぼうぜ」
声をかけてきたのは同じクラスの男のようだったが、真尋は相手の名前も覚えていなかった。なにより、気軽に自分の名前を呼んでもらいたくない。
「いえ、ワタクシはかまいませんので、皆さんで楽しんで下さい」
はっきりと睨んでみるが、可愛さが勝るその表情では相手には効かない。
「いいじゃん、いいじゃん。俺らも真尋ちゃんと仲良くしたいんだからさ」
「あの、ですから、ワタクシのことは放っておいてもらえませんか?」
「なんでだよ。いいじゃん、あんなんと一緒にいるより絶対楽しいって」
真尋とお近づきになりたい面々にとって、彼女が省吾と付き合ってもいないのに一緒にいることはあまり面白くないのだろう。正直なところ、まだ入学して二カ月の新入生にとって、自由奔放すぎる生徒会の面々を嫌う生徒は少なくなかった。
「そんなことありません。先輩は気遣いもできて話題も豊富で一緒にいても飽きないです」
だからといって、自分の前で、本人がいないところで悪く言われて黙っているわけにはいかない。
「なんであんなのがいいわけ?」
「べつにワタクシ、先輩のことがどうとか思っていません」
思わず口調も早く否定してしまうが、今までの冷静さを見ていれば、その反応がなにを意味しているかくらいわかる。だからこそ、相手は面白くない。
「真尋ちゃんはあいつの噂とか聞いたことないの?」
男は真尋の気を引くために一つの話題をあげた。
「………」
真尋の口も思わず止まってしまった。入学以来、新入生の中では一緒にいる時間が一番長かったと思っている。表面だけしか知らないこんな男のいう噂なんてどうでもいいはずなのだが、真尋自身まだ省吾のことをあまり知らないという事実が男の言葉に耳を傾けることになってしまった。
「あいつ、最低な奴なんだよ」
男は笑いながら言った。
なんだろう。初対面の女性にいきなり痩せろなんて失礼なことをいう人ではあるし、女の子を敵に回すような、相手の気持ちを考えていない発言をしたりもするので、決して完璧な人ではないのは知っているけれど、なにも知らないだろう他人から嘲笑されるのはムッとしてしまう。
「なんでだかわかる?」
「………」
「真尋ちゃんは、あいつにとって、好きなキャラの代わりなんだよ」
男にとって、真尋が聞きたいか聞きたくないかはどうでもいいようだ。ただ、真尋と一緒にいる男の悪口を言いたかっただけなのかもしれない。
「知ってる? あいつ、中学時代にも今の真尋ちゃんにしていることと同じようなことをしてるんだよ。なんでも昔夢中になったアニメのキャラクターが好きすぎて、そのキャラに似てる子を片っ端から声かけてたんだって。で、何人かと付き合って、理想と違ったら捨てるみたいなことをしてたんだって。最低だよね」
「違う。……先輩はそんな人じゃない」
真尋は男を睨みながら今の話を否定するが、相手にとっては反応してくれるだけで面白い。
「違わないよ。今だって、あいつは真尋ちゃんのことが好きなんじゃない。好きなキャラに似ている女の子が好きなだけで、真尋ちゃんのことなんてなにも見ていないよ」
思わず、眉をひそめてしまう。省吾はよくも悪くも正直だ。そんな彼が言う言葉に嘘はないと信じている。だから、自分は省吾の言葉に恥ずかしくもなるし、ドキドキもする。彼はきっと、自分のことを特別に想ってくれているはずだ。
しかし、男の言葉はそれを覆すものだった。
「……違う」
相手の言うことなんて無視すればいいのだが、真尋にはそれができない。自分の見ていた省吾はそんな人じゃないとわかっているけれど、それを否定できるほど、相手のことを知らないのも事実だ。
「違わないよ。真尋ちゃんも理想と違ったとか言われてきっと捨てられる。なら、その前に真尋ちゃんから振ったらいいんだ」
「………」
真尋の言葉は続かない。無視しているのではない、なにも言葉が出ないのだ。
「だからさ、あんな奴のことなんてほっといて、一緒に遊びに行こうよ」
男の目的は初めからそれだけだった。
「………」
けれど、真尋の表情を見て、なにか感じたのか、「もう一回考えてみてよ」と言って、結果、真尋の心を乱しただけで去っていく。
「そんなことない。先輩はそんな人じゃない」
真尋は男が帰ったことにも気づかず、一人深く思い悩む。
「そんなことない、先輩はそんな軟派な人じゃない」
それは自分の中の勝手なイメージでしかないのだが、今はそれにしかすがれない。
「先輩は違う。きちんとワタクシのことを見てくれている。ワタクシのことを想ってくれている」
中庭に一人佇み、時間だけが過ぎていく。
「あれ、真尋ちゃん。なにしてるの?」
このタイミングで一番会いたくない、いや、会いたい男に声をかけられる。
「どうしたの? なにかあった?」
「………」
真尋は言葉が出ない。聞きたいけれど、聞きたくない。好奇心は余計なことを知る可能性があることも知っていた。
「あ、あの」
ようやく出た言葉は切羽詰まった声になる。こんな声を出してしまっては後には戻れない。
「先輩、一つ聞いてもいいですか?」
間髪入れずに言葉を続ける。省吾は「いいよ。なんでも聞いてくれ」といつもの笑みを浮かべた。
けれど、真尋は一瞬躊躇する。それを聞いて自分はどうするのか。どうなるのか。今の関係のままではダメなのか。
「先輩はどうして、ワタクシのことを好きだと言ってくれるのですか?」
それでも、どうしても確認しておきたかった。好きになってしまった人のことだから、どうしても知っておきたかった。
「それはもう少し痩せた真尋ちゃんは俺の理想の女性を具現化しているからだよ。そんな女性が目の前にいれば好きだという言葉以外言いようがない」
いつもと同じ言葉をいつもと同じ調子で語る。いつもは恥ずかしくなったり、腹を立てたりするのだが、今日に限ってはその言葉がすっと耳に入ってこない。のど元に引っかかるような違和感があった。
「……それはワタクシの容姿だけが好みってことですよね?」
真尋は不安を拭おうと、追究する。けれど、省吾は「そうだ。でも、安心してくれ。真尋ちゃんはそんじゃそこらの美貌の持ち主じゃない。性格がどうであれお釣りがくるほどの超絶美少女なんだ。容姿だけがというよりは、容姿のスペックが高すぎて、他の魅力は隠れている」と、相手の真意を図らずに自分の意見だけを伝えた。
「そうですか」
けれど、それだけでは真尋の不安は消えない。むしろ、膨れ上がっていた。
「ワタクシが先輩の理想の女性になれなかったら、先輩はどうするんですか?」
「大丈夫。真尋ちゃんは俺の理想の女性になる」
信じて疑わない目だった。だからこそ、そうでなくなった時に省吾は自分に対してどういう態度を取るのか。今の省吾からどう変わるのか反動が怖い。
「心配しないでいい。真尋ちゃんは頑張れる女の子だ。だから、俺もずっと好きでいるよ」
甘い言葉ばかり言ってくれる。嬉しく思うはずなのに、穿った見方をしている今は素直に受け取れない。だから、「先輩にワタクシのなにがわかるというのですか?」と聞いてしまった。
自分が省吾のことを知らないように、省吾も自分のことを知らないはずだ。彼はいったい、自分のなにをわかってくれているというのか。
「う~ん、そうだな」
省吾はしばし考えるが、すぐに自分の考えを話し始めた。
「真尋ちゃんのことは俺だってわからないことばかりだよ。でも、俺の組んだメニューをきちんと消化してくれているのは傍目で見ていても、結果を見てもわかることだし、生徒会の手伝いも真面目にしてくれている。初めて真尋ちゃんと出会ったときは俺の理想の女性になり得るということくらいしか思わなかったけど、今ならきちんと頑張れる女の子なんだなとも思うよ。けど、真尋ちゃんがなんで俺と一緒にいてくれるのか、頑張っている本当の理由なんてものはわかってない。正直、人の気持ちなんて知れるわけないからね。だから、俺は少しでも俺のことを知ってもらおうと、なるべく思ったことは口に、感情に出すようにしている」
「もし、もしですよ、ワタクシのことを知って、幻滅するようなことになってしまえば」
「そんなことにはならないよ」
「それに、ワタクシが先輩のことを好きになるかなんて」
「そうだね。俺は真尋ちゃんのことは好きでいるけど、真尋ちゃんが俺のことを好きになる保証はない。だから、俺は真尋ちゃんのために生きる。これからの人生すべてを投げ打っても真尋ちゃんのために生きる」
自分の眼をしっかりと捉えて、省吾に宣言される。
「俺は真尋ちゃんの全部を好きになるし、好きになってもらえるように努力する」
省吾がどれだけ自分を想っているかを口にしても、真尋は素直に耳を傾けられない。けれど、真尋はさらに一歩踏み込んだことを聞くのが憚れる。
「でも、どうしてそんなこと聞くんだ?」
「き、気になっただけです」と、そっぽを向いたせいで、これ以上進展ある話は聞けなくなってしまった。
「そうか。なら、一緒に帰ろうか。マイプリンセス」
愛情表現が足りないと省吾は考えたのか、片膝をついて、真尋をエスコートしようとするが、「……いえ、今日は一人で帰ります」と、つれない態度を取られた。
いつも耳に残っていた彼の告白が、本心だと思っていた言葉が今は風のように舞っていく。
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