第三章 初めの一キロが中々痩せない 6
真尋がダイエットを始めてから早いものでもう一カ月が経とうとしていた。今日のトレーニング、省吾は用事があるということで一人きり。だからなのか、真尋は身体も慣れてきたことだしと、自発的に用意されたプログラムよりもトレーニング量を増やそうとしていた。
けれど、これは殊勝な心がけではない。省吾は一カ月程度で焦るなと言ってくれたが、自分の体重はほとんど変化がなかった。スタートダッシュで言うならば失敗の類だろう。
思い当たる節はある。まさか、運動後のご飯がこんなにおいしいものだとは思わなかった。もちろん、脂質の高いものは控えるように、カロリーが減るように料理の際も工夫しているが、ついついおかわりが増える。思い当たるではなく、それが原因なのだが、真尋にとって、食事量を減らすなんてことはしたくなかった。だったら、その分、カロリーを消費すればいい。
食べながらも痩せる。この矛盾を真尋は単純な運動量の増加で解決させようとしていた。
真尋はストレッチをしながら、「さて、今日はどこまでいこうかな」と思案する。
彼女はトレーニングの中でも、一番ポピュラーなランニングが一番好きだった。
自分のペースで動けることは元より、周りの風景を見ながら走るのが楽しく、軽いランナーズハイはストレスを発散し、高揚感を与えてくれた。
元々、今日は省吾と一緒にトレーニングをするはずだったが、急遽、生徒会の活動が入ったためにキャンセルされた。彼は最後まで自分と一緒にいれないかと考え、絶対に早く終わらせて自分の元へ来てくれると言ってくれたが、彼を必要としているのは自分だけじゃない。むしろ、自分が束縛していい人物ではない。
「あの、ワタクシは大丈夫ですので、きちんと仕事をしてきてください」
自分が笑顔で送り出したにも関わらず、いざ一人になるとどこか寂しい気持ちがあった。
「いつもと違う場所を走ろうかな」
気分転換の思いつきがいつもと違う結果を生んでしまった。
「カ~ノジョ、なにしてるの? 暇なら一緒に遊ばない?」
三十分走ったところで、明らかに、見るからに軽そうな学生たちに声をかけられてしまった。そのまま走りすぎればよかったのだが、進行方向を塞がれ、立ち止まってしまったのが運のつき。
「よくみると、きみカワイイね」
「ねぇ、暇でしょ~?」
「こんなところで出会ったのも運命なんじゃね」
ステレオで質問されても聞きとれない。なにより、急に止まったことで息を切らしているのだから、真尋は言葉を発せない。しかし、相手はそれに気づかなかった。
「おい、なんか、言えよ」
真尋の無言を無視と捉えた相手の一人が急に険しい表情で威嚇してくる。それでも、真尋は声を出すことをしない。いや、急に威嚇されて声がでないといった方が正しいか。
「お高く止まってんじゃねー」
「ギャハハッ、やっちゃえ!」
気の早い学生の一人が手を出してこようとした。真尋はなにも出来ずに思わず目を瞑ってしまう。しかし、その拳が真尋に向かうことはない。
恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた男が見慣れない表情をして立っている。
「せ、先輩」
真尋は思わず声が出てしまう。しかし、省吾は真尋の方を見ようとはしない。
「なにをした?」
省吾は自分が殴られた箇所を気にすることもせず、相手の男たちを睨みつける。
「お前らは彼女になにをしようとしたと聞いてんだ!」
あまりの剣幕に男たちは一歩引いてしまう。
「お前ら、彼女が誰かわかっているのか? 彼女は白河真尋ちゃん。今のままでも十二分に綺麗ではあるが、彼女の体重があと五キロ軽かったら、歴史が変わるほどの美女なんだぞ」
「ちょ、ちょっと、先輩、なに言ってるんですか!」
省吾の言葉に、思わず真尋も文句を言うが、省吾が気にすることはなかった。
「そんな彼女に傷一つつけてみろ。世界が見て見ぬ振りをしようと、俺が黙っちゃいねー」
男たちは省吾のいきなりの戯言に拍子抜けしている。
「まぁ、彼女に声をかけるのはわかる。けどな、彼女はよく見ないでもカワイイ。そんなのもわからないのか? 愚かな奴らめ。あと、運命という言葉を軽く使うな。運命というのは信じて信じて、本当にあるのかと疑心を持っても信じて信じた上にあるものだ。お前らみたいにたまたまなものは運命ではない。そもそも」
省吾は初めの睨みはどこへやら、持論を熱っぽく語る姿に勇ましさは消えていた。
「なんだ、こいつ?」
「けいちゃん、やっちゃいなよ」
とんちんかんな物言いの省吾への怖さがなくなったのか、三人の中から一人が前に出るが、その瞬間に省吾は一発相手のみぞおちを殴り、瞬間、相手は倒れ込む。
「ふん、俺がなにもできないただの優男だとでも思ったか? 残念だな、お前らくらいに勝てないようでヒーローになれないことは過去の教訓から学んでいる。だから、俺はあれ以来我流で徒手空拳を学んだんだ」
右手は上に、左手は下に、足は開いて腰を低く。今までに見たことのない構えを取られては、この男に関わってはいけない。男たちはそう直感した。
「お、覚えてろよ」
お決まりのセリフだけを残して、残りの二人は倒れた一人を抱えながら、この場を立ち去って行った。省吾は三人の姿が見えなくなるのを確認してから、真尋へと向き直り、手を差し伸べる。
「真尋ちゃん、大丈夫?」
「……は、はい」
その姿に思わず見とれてしまう自分がいた。
「危ない目に会わせちゃって、ごめん。俺が一緒にいればこんなことにはならなかったのに」
「そんなことありません。助かりました」
「真尋ちゃんは超絶カワイイから一人にさせるっていうのは考え物だよね。これからは護衛をつけることにしようか?」
「そ、そんな過保護なことしないでいいです」
緊張しているのか、口調もどこか早口になってしまう。自分のピンチにかけつけるという古典的なシチュエーションに真尋はキュンとしていた。
「どうしたの? どこか捻ったりした?」
「い、いえ、大丈夫です」
省吾に近寄られ、真尋は思わず距離を取る。自分はランニング最中であったのでもしかしたら汗臭いかもしれない。そんなことを意識してしまった。
「それならいいんだけど。でも今日は余計なこともあって、疲れただろ。今日のトレーニングは中断してゆっくり休んだ方がいいね。半身浴でリフレッシュしてから、しっかりストレッチするくらいがベストだ」
「……わかりました」
言葉を出せば出すほど、自分の心臓が揺れているのに気づく。静まれ、静まれと念じるほどに鼓動は早まっていく。
「真尋ちゃんの家ってここから走っていけるところかな? 危ないし、送っていくよ」
「だ、大丈夫です」
「ほんとに大丈夫? こんなことがあった後だから、男の子としては送っていくべきなんだけど」
「大丈夫です。ワタクシ、全速力で帰りますから、ありがとうございました」
真尋は慌てて、元来た方向へ走りだす。
「気をつけて帰りなよ~!」
省吾の言葉が聞こえないほど、彼女は全力で走った。
頬が赤いのは夕日にあたったから。胸がドキドキしているのは走っているからだと自分に言い聞かせていた。
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