第三章 初めの一キロが中々痩せない 5

「真尋ちゃん、今日は体幹トレーニングをしていこうか」

 ある日の放課後、真尋は省吾の元で痩せるための指導を受けていた。内容は省吾からもらった冊子と同じ物であるが、自分一人でするのと指示されながらでは違った。

「真尋ちゃん、もっとゆっくり、はい、息を大きく吐いて」

「もっと指先を伸ばして、はい、その姿勢で三秒止まって。いーち、にー、さん」

「脚は伸ばして、肘は曲げない。はい、よくできました」

 いつもと同じトレーニングでも、省吾の指示通りに進めていくと、疲れ方がまったく違う。さぼっていたわけではないが、真尋は、どこかしんどさを軽減させていた甘い自分を恥じながら、初めのうちはこんな簡単なことで痩せるのかと思ったトレーニングを続けた。

 今ならわかる。これを続けていれば痩せる。それだけ、省吾のプログラムはきちんとされたものだった。

「先輩はこういうのをどこで勉強したんですか?」

 休憩時間に入り、真尋は汗を拭きながら省吾に聞いた。中学校時代の顧問も熱心な方であったが、ここまで理にかなったことを教えてもらったことはない。

 筋トレ一つとってもそうだ。ただ重いダンベルで回数をこなせばいいと考えていたが、目的によっては軽いダンベルをゆっくり、ゆっくりと呼吸リズムを整えながらする方が効果的な場面もあり、なにより、そうすることでしんどさが倍以上になることも知らなかった。

 だからこそ、自分と同年代の省吾がどこからそんな知識を得たのか気になる。まさか、自分と出会ってから勉強し始めたわけではないだろう。

「ん~、中学時代に体育の先生や近くのジムのトレーナーに話を聞いて、ネットや本で知識を得て、自分で試してみてって感じかな」

「どうして、そういうこと勉強しようと思ったんですか?」

「まだ見ぬ、理想の彼女の手伝いをするためだよ」

「すごいですね」

 真尋は思わず感嘆してしまった。省吾は成績もスポーツも優秀だと聞いた。入学当時は期待された生徒の最上位だったらしい。なぜ、そんなに頑張るのかと聞かれた時に、彼は「まだ見ぬ、理想の彼女に嫌われないよう選択肢を広げているだけだ」と呟いた。

「けれど、俺ができるのはトレーナーの真似ごととヘアカットくらいだよ。まぁ、学生のうちに栄養士であるとか、服飾の資格は取るつもりだけどね」

 トレーナーは相手の体型を痩せさせるため、ヘアカットは相手の髪型を整えるため、栄養士は美容と健康に気をつけてもらうため、服飾は相手の私服を似合うものにするためと、省吾の技術を得る源がすべて三日月夜宵の生まれ変わりのためであるが、それでも、愚直なまでの一貫性を持って行動していた。

「取り柄のないワタクシと違って、先輩はすごいですね、羨ましいです」

「そんなことない。真尋ちゃんには持って生まれた美貌があるじゃないか。その美貌を保つだけでもそうとうの努力が必要なんだから」

「ワ、ワタクシ、そんな綺麗でもないです。普通です」

「真尋ちゃん! 真尋ちゃんはもう少し自分のことを客観的に見るべきだ。謙遜は美徳かもしれないけど、卑屈はダメだ。真尋ちゃんは十二分にキレイでかわいいんだから、」

 省吾の権幕に、思わず「は、はいっ」とだけ答えるしかない。

「わかったなら、よろしい。……そうさ、俺と違って突出したものがあるんだ。自信を持って、ただ、笑ってくれているだけでいい」

「先輩?」

 省吾には珍しい、最後の陰のある表情が気になって、真尋は相手の瞳を覗きこもうとする。省吾は相手に心配させないよう「それに笑っている顔の方が真尋ちゃんは可愛いよ」と、見つめながら言った。

「な、なに言ってるんですか。は、早く次にいきましょう」

 いつもの調子に戻った省吾に真尋は照れを隠しながら、トレーニングを再開させ、身体を動かした。

 そのせいか、翌日の昼休み。省吾はベンチでうとうとと眠っている真尋を見つけた。

 普段は使わないような筋肉の酷使に、疲れが出てきてしまったのか、とても気持ちよさそうに無防備な寝顔を晒している。

 その可愛さに、発狂したくなる衝動を抑えて、省吾は起こさないよう、そっと隣に座った。真尋と話をしたい気持ちも強いが、彼女の邪魔になるのは避けたい。だからといって、このまま離れるのは惜しい。

 省吾は読みかけの文庫本を開き、チャイムがなったら起こしてあげようと思った。

「ん~、羊が一匹、羊が二匹」

 彼女はなにかの夢を見ながら、そこでも寝ようとしているのか、可愛らしい寝言を呟き始め、「羊が三匹、羊が四匹、むにゃむにゃ、もうたべられないよぅ」と、お腹が減っているのか、予想の斜め上を行く夢を見ているようだった。

「……すごい食欲だな」

 食いしん坊の寝言に省吾も苦笑する。

 けれど、それも愛らしいと思ってしまうのは好きになってしまったからか。

「ほんと、かわいい子だ」

 省吾はゆっくりと流れる時間に幸せを感じながら、真尋が変わらないで欲しいことをふと、思った。

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