第一章 白河真尋を痩せさせたい! 3
「なんなの、なんなんですの、あの男は!」
真尋の怒りは次の日になっても収まっていなかった。家を出てから、学校へ向かう今も、昨日の言葉を思い出しては悔しくなった。
「ワタクシ、太ってなんかいません。いませんよね?」
学校が近くなり、同じ制服を着た生徒が多くなってくると昨日言われた言葉が気になってくる。真尋はそっと立ち止まり、自分の二の腕とお腹周りを触った。たしかに、少しだけつまめるかもしれない。モデルと評される人と比べれば太っているかもしれない。けれど、去年の身体測定では、標準体重よりもある程度は下回っており、今もそんなには変わらないはずだ。
「大丈夫、ですよね?」
真尋は一人納得し、改めて省吾の言葉に怒りが湧いてくる。
「でも、ワタクシのこと、理想の女性って」
それでも、不意に昨日の告白を思い返すと、ちょっと、かっこよかったかもなんて、ポッと、頬を染めてしまうが、すぐに首を振った。あの男はほとんどの女子高生が気にしており、人から指摘されれば激怒する逆鱗を躊躇せずに触れてきたのだ。
「あんな失礼な男、ワタクシの方から願い下げです。……それに、あと五キロって、ワタクシだってそのくらい、……痩せたいです」
高校生活二日目から、いきなり肩を落としての登校になってしまった。あれだけ希望に満ちた花の女子高生。恋に勉強に、やっぱり恋に花を咲かそう、白馬に乗った王子様に見初められたいといった願望は早くも砕け散りそうだった。
「ううん、落ち込んで立って仕方ありません。昨日は昨日、今日は今日」
真尋はなおも怒りがぶりかえしそうになるが、改めてリスタートを切ろうと、自分の頬をペチペチ叩き、歩みを進めていく。
「おはよう、マイハニー」
けれど、昨日をなかったことにはできない。その証拠に真尋が校門に到着するなり、反省の色もない、さわやかな笑顔で一人の男子生徒が挨拶してきた。
これには、気持ちを入れ替えようとした真尋も引きつった笑みになってしまう。
「………」
真尋は男子生徒を無視して、過ぎ去ろうとするが、それを許す相手ではない。
「どうしたの? 照れてるの? ほらほら、楽しい楽しい高校生活二日目だよ。そんな浮かない顔してちゃ、可愛い顔が台無しだよ」
このままでは教室までついてこられそうな勢いに、真尋は仕方がなく立ち止まった。
「おはよう、真尋ちゃん」
「おはようございます」
真尋はぺこりと頭を下げて、挨拶を返すが、義務を果たしたといわんばかりに「では、さようなら」と、すぐに去ろうとする。
「そんなさびしいこと言わないでよ。まだ始業まで時間はあるからさ、少し話でもしようよ」
省吾はにべもない態度をとられても、へこたれることもなく、真尋に話しかける。
「ワタクシは話すことなんてありません」
けれど、真尋は取りつく島もない。
「そんなことないはずだよ。きっと、昨日は俺となにを話そうとか考えて、眠れなかったはずだよ。現に俺は真尋ちゃんのことを考えてたら四時間しか眠れなかったよ」
ちゃんと寝てるじゃないですか。という、言葉は胸に置くに留めた。相手からすれば、もしかしたら、言葉尻を捉えて欲しいのかもしてないが、乗ってやる必要はない。自分は布団に入って、目を瞑っても省吾の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていったせいで、結局は二時間しか眠れなかったことを言う必要はない。二時間しか眠れなかったせいで、今日は少しドタバタして、きちんと髪をセットできなかったなんてことを言ってやる必要なんて絶対にない。
「大丈夫、安心して。高校生にありがちな、好きな女の子を凌辱させるなんてことは想像してないから。せいぜい、スクール水着を着た真尋ちゃんを神棚にセットして、一時間ほど拝みたいなとかそういうのだから」
「どちらにしろ安心できません! ワタクシで変な想像を、というより、想像の中にワタクシを出さないでください!」
「で、真尋ちゃんはなにを想像してくれてたのかな?」
「なにも考えてなんかいません。あなたのことなんて、これっぽっちも思ってなんかいません!」
ムキになる真尋ちゃんも可愛いなぁ、と、省吾はにやにやしながら相手を見る。
「そうなんだ、悲しいなぁ。俺は本当はね、どうしたら真尋ちゃんが喜んでくれるかをずっと考えていたんだよ」
「なら、聞かせて下さい。昨日、眠らずに考えたという内容を、合わせて、なんでワタクシでないといけないのかも教えて欲しいところです」
真尋は棘のある口調で省吾に問うた。
「真尋ちゃんである理由は昨日も言ったけど、俺の理想に限りなく近い女性だからだよ。そんな女性に出会える男はそうはいないし、このチャンスを見過ごすなんてことは俺にはできない。真尋ちゃんの優しそうな目元が、心地よい気分にさせてくれる声音が、ずっとなででいたい絹のような黒髪が、見入ってしまう足のラインがすべて魅力的すぎて、俺を狂わせるんだ」
省吾は恥ずかしげもなく、真尋の魅力を周囲にも聞かせるように語る。そこまでされると、真尋は恥ずかしくなり、周りの目を気にし始める。けれど、省吾は関係なく言葉を続ける。
「だけど、そんな完璧すぎる真尋ちゃんに、一つだけ。たった一つだけ注文がある。昨日も言ったことだけど、真尋ちゃんは今よりもあと五キロ痩せて欲しい。そうすれば、俺の中で、いや、誰が見ても全能の美の体現者であると口を揃えるはずだ」
「そんな体重にこだわるのでしたら、ワタクシよりも五キロ痩せている可愛い女の子に声をかければいいじゃないですか」
真尋の拗ねた物言いに省吾は「それはできない。俺は真尋ちゃんじゃなきゃダメなんだ」と即答する。
「そ、それって」
こんなにも熱烈な告白を受けたことがない、真尋にとって、自分を好いてくれることに悪い気分はしない。
「それに俺は別に41キロの女の子なら誰でもいいわけじゃない。今でも十分、素敵な真尋ちゃんではあるけれど、今から五キロ減った41キロの真尋ちゃんになってくれるのなら、俺は君を絶対に幸せしてみせる!」
しかし、続く言葉のせいで、真尋はキュンとしてしまった自分に後悔し、省吾に対して、改めて怒りの感情が湧いてきた。
「自分好みの顔を探すなら、整形でもさせればいい。自分好みの性格を求めるなら、調教でもすればいい。体型だってお金を出せば変えられる。ただ、横幅を調整することはできても、縦幅を調整することは無理に等しいんだ。同じ身長でも、手足の長さ、顔の大きさを含んだ等身は持って生まれたものに左右される。だから、俺にとっては真尋ちゃんがベストであり、唯一の存在なんだ。だけど、安心して、真尋ちゃんは素顔のままでも綺麗だし、性格なんて、俺は気にしない。だから、真尋ちゃんは俺の理想になるために、あと五キロ、微調整しながら痩せてくれるなら、これ以上の喜びはないよ」
それでも、相手は語りを止めない。
「……そんな言葉で、ワタクシが喜ぶとでも?」
真尋は一呼吸置くと、険しい表情で省吾を睨んだ。
「どうしたんだ? なにか気に障ることでもあったのか?」
けれど、省吾はどうして真尋の機嫌が損なっているのか、皆目見当もつかない。
「ワタクシのことが好きというなら、もう少しワタクシの気持ちを、いいえ、女性の気持ちを学ぶことをオススメします」
「そうか、これを先に渡さないといけなかったんだな」
省吾は彼女の言葉でなにやら納得したのか、手に持っていたカバンの中からホッチキスで留められた数枚のコピー用紙を取り出した。
「なんですか、これ?」
急に手渡されても、真尋の理解は追いつかない。
「これは昨日眠らずに考えた真尋ちゃんマイナス五キロ化計画のスケジュール表だよ。今日からこのスケジュールに沿って生活していけば、健康的にきっちり三か月で余分な体重だけ落とすことができるんだ。もちろん、俺も付きっきりで指導するし、真尋ちゃんのための生活リズムに変える。さぁ、俺と一緒に余分な脂肪を落とそうじゃないか!」
省吾の言葉に悪気はまったくない。ただ、真尋を喜ばせようと思っているだけだ。けれど、真尋にとってはそうは捉えられない。オーバーアクションで話す省吾のせいで、登校してくる生徒は必ずこちらを確認してくる。二人以上で登校してくる生徒は小声でヒソヒソ話し、にやにや笑っている。全員が自分たちのことを指しているわけではないだろうが、真尋にとっては苦痛でしかない。
「それにしても、先に理論書を渡せなんて、真尋ちゃんは意外とせっかちなんだなぁ」
「ち、違います!」
「気にしないでいいよ」
「だから!」
なんで、自分がこんな恥ずかしい思いをしなきゃいけないの? こうなってしまったのは誰のせい?
わかりきっているが、目の前にいる男のせいだった。
真尋は手にしたカバンを握りしめ、省吾の脳天に照準を合わせた。
「どうした?」
「死んでしまえーーー!」
真尋の会心の攻撃が決まり、省吾は今日も朝から気絶することになった。
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