第一章 白河真尋を痩せさせたい!
一年二組の教室では、入学式の話題が生徒の口から話されることはなかった。
理由は二つある。
一つ目はとても印象的なイベントもあったが、多くの生徒はあのことを忘れようと意識したこと。もう一つは、自分たちのクラスに身近な有名人がいたことだった。
女子生徒はカバンに入れた雑誌を取り出し、そこに映る少女と目の前にいる少女を見比べる。
小さな顔に、宝石みたいな大きな瞳。唇の微笑みは絶やさずに、艶やかな桜色に上気したなめらかな頬。座っていてもわかってしまう手足の長さに、磨き抜かれたような真っ白い素肌。
「ねぇ、あの子って」
「そうだよ、そうだよね」
「カワイイ~」
その美貌はどう見ても、少女たちが持っている雑誌に掲載された女の子、いや、雑誌の中よりもキラキラしている女の子が目の前に、自分たちと同じ教室の中にいた。
初めて出会う他人であるが、この感動は共有したい。今は教師のオリエンテーションの説明中だというのに女子はヒソヒソと、それでいて、興奮した口調で近くにいる生徒と話している。同性でさえ、そうなのだから、異性になる男子学生は一様におどおどと挙動不審になっていた。顔見知りがいないこともあり、奇妙なほどに押し黙っては、ちらちらと少女を盗み見ている。
要するに、超美人がそこにいる。男女問わず、クラス全員が視線を向けずにはいられない、圧倒的な外見力。視線を集めている少女、坂下伊織は自分が見られていることに満足しながら、にこにこと教壇に立つ、教師の話を聞いていた。
「では、今日はこれで終わりにする」
担任からの連絡事項も終わり、一日目の工程はすべて終了した。
さぁ、今から自由時間。彼ら、彼女らの高校生活がスタートしようと、席を立とうとしたところで、教室の扉が勢いよく開かれた。
「こんにちは、俺の運命の人」
誰よりもこの瞬間を心待ちにしていたのか、ホームルームが終わったその瞬間にクラスへと入ってくる。
冷たい印象を与えそうな切れ長な目元、真面目な表情で黙っていれば近寄りづらそうな雰囲気を与える男子生徒が、顔に似合わない、にこやかな笑みを浮かべている。
急な来訪者であるが、このクラスにいる全員がこの男子生徒のことを知っていた。
当然だ。入学式の時にいきなり奇声を発する少年が印象に残らないわけがない。生徒はただ黙ったまま省吾を見るが、省吾はそんな奇異の視線をまったく気にせず、一直線に歩みを進める。
「こんにちは」
省吾は一人の少女の前で立ち止まると、恭しく頭を下げて挨拶をした。少女は周りをキョロキョロするが、誰も助け船を出してはくれない。
「こ、こんにちは」
挨拶を返す少女を見て、省吾は改めて「彼女だ」と気づかされる。
「あ、あの?」
自分に声をかける少女の仕種ですら、魅力的である。ずっと彼女のことを見ていたい衝動に駆られるが、そうわけにはいかない。
「あぁ、ごめん、ごめん。君が美しすぎて、思わず見惚れちゃっていたよ。紹介が遅れたね、俺の名前は坂下省吾。この学校の二年生で生徒会副会長をしているんだ。知ってるかな? まぁ、知らなくてもこれから知っていってくれればいいよ。君の名前は白河真尋ちゃんだよね。さっき、名簿で確認させてもらったよ」
「は、はぁ」
真尋と呼ばれた少女は、突然のことに上手く反応できない。けれど、省吾にはそんなこと関係なかった。
「初めて真尋ちゃんを見た時にビビビッて来たんだ。俺はこの人を好きになる、この人のために人生を賭する。そう感じたんだ。だから、俺はいてもたってもいられなくなって、あんな場所から自分の気持ちを叫んでしまった。答えは会長のせいで聞くことができなかったから、もう一度言うよ。白河真尋ちゃん、俺は君のことが大好きだ。だから、俺と付き合ってほしい。もし、俺に至らないところがあるならなんでも言ってくれ。その日のうちに直して、真尋ちゃん好みの、万人に誇れる彼氏になって見せるから」
省吾は矢継ぎ早に言葉を続けるが、相手は「えっ、えっ?」と、理解が追いついていない。
「だけど、一つだけ。一つだけでいいから、俺の希望を聞いてほしい。それ以外はなにも望まないし、そのままの君でいい」
省吾は手を合わせて懇願するように言葉を続ける。
「今よりもあと五キロ痩せてほしい。四キロでも、六キロでもない。あと、五キロ痩せてくれたなら、真尋ちゃんは俺の理想の女の子になるんだ!」
急な告白に戸惑いの色を見せていた真尋であったが、省吾の願いを聞いた瞬間、ドキドキもなくなり、ただただ冷たい笑みを向けた。
「どうした? なにか気に障るようなことでもあったか?」
さすがに、室内の温度が下がるほどの冷気を当てられては、省吾も異変には気付く。しかし、原因までは把握できていなかった。
「………」
真尋は口を開かず、その表情はみるみると強張っていくが、省吾は口を動かすのを止めない。
「真尋ちゃんは美しい。今のままでも、十分に魅力的であるけれども、あと五キロ痩せてくれたならば」
「死んでしまいなさい!」
真尋はカバンを手に取り、思いっきり振り回して、省吾のこめかみを狙い打った。
あまりの衝撃に省吾は朝に続いて、バタンっと、前のめりに倒れて気絶した。
怒りの上限を超えてしまっては、品の良さなど関係ない。柔和な雰囲気は感じられず、肩で息をするほどに呼吸を乱したが、深呼吸をしながら、少しは平静を取り戻すと、「フンッ」と、そっぽを向いて、真尋は足早に教室から出て行った。
残された生徒たちは、倒れている省吾を見なかったことにして、いそいそと、無言で教室を後にしていく。
「なにやってるのよ、バカ兄貴」
ただ一人、クラスの全員が話しかけたい少女だけが、文句を言いながら教室に残った。
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