第39話 彼は敵
ぴちょんとお風呂のお湯に雫が落ちる。
その波紋を眞銀と楓の二人は見つめていた。
今二人は神月家のお風呂に入っていた。
何故風呂に入っているのかは察してあげて欲しい。
彼女達は初めて走馬灯を体験するような、己の死を経験したばかりなのだ。
ゆっくりと呼吸ができなくなっていき、全身の力が失われ、己の身体なのに指一本動かせず、血の流れまでも止められ、ふと苦しさが無くなり、ただ・・・・あっ、死ぬ。と、どこか他人事のように思いながら、今まで歩んできた過去を思い出せられたのだ。
もう少し、ホントにもう少し絞められていたならば自分達は死んでいただろう。
そう思うと温かなお風呂に入っていても身体が震えてしまうのは仕方が無い。
「眞銀様。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。楓は大丈夫?」
「ええ、これくらい。なんてことないです」
ただの強がりなのだろうなと思いながら、その強がりを否定することはしなかった。
私だって強がっているのだから。
「一刀さん・・・本当に嫌いなんだね」
「本人が何度も口にしていましたからそうなのでしょう。しかし、まさか眞銀様にまで手を出すとは見下げた男です。眞銀は歩み寄ろうとしていただけだと言うのに、何がそんなに気に食わないのか・・・」
ぶつぶつと文句を吐く楓。
少し余裕がないのか、途中から私の事を様付けではなく、普通に眞銀と呼んでくれた。
それがとても嬉しく感じる。
「一刀さんは私達自身が気に食わないんじゃなくて、ただ神月家に属しているのが気に食わないんだよ。楓だって影宮家を捨てれば多分普通に仲良くして貰えると思うよ?」
「影宮を捨ててあの男と仲良く? ありえません。ママとパ・・・お母さんとお父さんを捨ててまで仲良くするほど、あの男に魅力も無ければ価値もありません」
「・・・ここには私だけしかいないから、普通にママとパパって呼んでいいよ?」
「そんな子供みたいに呼びませんよ」
「え? さっき呼んでたじゃん?」
「呼んでません」
「えぇ~、呼んでたよぉ」
「呼んでないったら呼んでません」
別にママやパパって呼んでもバカにしないのに・・・・むしろ可愛いと思うのに。
「それはそうとどうしましょうか眞銀様。あれほど嫌われているとお役目が果たせません」
「そう・・・だね」
ブルルとまた死の恐怖を思い出し、身体が勝手に震えだす。
そして恐怖に震えながら、ふとあることを思い出し、それを考えだすと涙が勝手にこぼれ落ちていた。
そんな眞銀を楓は探る様な目付きで盗み見ていた。
「・・・眞銀様。怖がらなくて大丈夫です。泣かなくて大丈夫です。今回の事でアイツがどれほど無礼で、どれほど非道な男かわかりました。ですので大丈夫です。今回のようなことが起こらぬように取り計らいますので」
「違うの・・・違うの楓・・・そうじゃないの」
死への恐怖はある。
殺されかけた恐怖は確かに残っている。
けれどそうじゃない。
それが怖くて泣いているんじゃない。
楓。違うのよ。この涙は違うの。
「ねぇ、楓。死にかけるだけでもこんなに恐いのに・・・・・本当に死んだらもっと恐いよね」
「流石にそれはわかりません。死んだことはありませんので・・・」
「うん・・・うん・・・そうなの。死んだことないもん。わからないよね。けどね・・・けど・・・きっととっても恐いと思うの。とってもとっても恐くて泣いちゃうくらいだと思うの。それなのに・・・それなのに・・・・・・・・・・・・・一刀さんはこの恐怖を何度も経験してるんでしょ?」
「それは・・・・・・・・」
眞銀の言葉に、楓は記憶に新しい一刀が死んでは生き返る光景を思い返す。
文才の技を食らい、何度も何度も死んでは生き返りを繰り返す一刀の姿を。
「死ぬって・・・死ぬって・・・絶対今の私達が思っているより恐い事だと思うんだよ。普通は死ねば恐怖は終わるけど、一刀さんは終わらない。死ねないから何度でも、何度でも経験することになる。それを思うと、なんだか悲しくなっちゃって・・・」
「・・・・・・・・・・・」
こういう人だから守りたいと思う。
神月家だからとか関係なく、こういう風に自分よりも他者を重んじてくれる人だから守りたいと思う。
自分にはできない事だから。
「相変わらず優しい子じゃの。眞銀」
「神木神様・・・」
壁をすり抜け、ぴょこんと現れた艶魅は、湯に触れられぬと言うのに、眞銀達と同じように服を脱ぎ湯船に浸かりはじめる。
「普通は他人の事より自分の恐怖を優先するものじゃよ。もっと自分の事で泣いてよいのじゃよ?」
「・・・だけど・・・だけど・・・一刀さんは・・・あんなに恐い目に・・・何度も・・・」
「お~よしよし、わかった。わかったのじゃよ。もう自分のために泣けとは言わぬから、一刀のために泣いてやるが良い。その方が眞銀にとって発散できようて」
「う・・・うぅぅぅ~」
ほんにどうしようもなく優しい子じゃなぁ。と呆れながらも、艶魅はよしよしと頭を撫でる。
勿論艶魅が眞銀に触れられない。
それでも他人のために涙を流す優しい眞銀を慰めたいと思ったのだろう。
ぽろぽろと涙を流す眞銀。
その姿を見て、楓は湯の中で固く手を握る。
「・・・やっぱり眞銀は、今後あの男と関わらない方がいいよ」
「うっく・・・へっく・・・な、何を言っているの楓」
「眞銀は優し過ぎるんだよ。あの最低男とこれ以上関わったら、眞銀ばかりが傷付いちゃう」
「そんなこと・・ないよ。それに関わらなくなっちゃったら・・お役目・・できなくなっちゃう」
「それは・・・・・・それは・・・・・・・・・・・・後でママとパパにお願いしてアイツを捕まえてもらうわ。そして無理やりやっちゃえばいいのよ」
「やっちゃうって・・・・・・・・・・・・・ふえぇぇっ!?」
あまりにも予想外の返答に、眞銀の涙は引っ込む。
「のじゃ!? だ、大胆な事を言い寄ったよこの子。流石天城の娘。責められるより責める方が好きとは、やはり血は争えんか」
「そ、そうなの楓!? せ、せ、せ、責めちゃう方が、しゅ、しゅ、しゅきなの?」
「そんな事一言も言ってない! それに私はママとは違って普通よ! 普通に責められる方が好きだもん!」
「・・・へ?」
「あ・・・ち、違う! そう言う意味じゃなくて! こう・・あれなの。こう、望まれる? そう! 普通に好きな人から望まれるのがいいの! わかるでしょ眞銀!」
「・・・鞭・・・いるかえ?」
「いりませんよ! 神木神様も悪ノリは止めてください!」
「じゃけど・・・のぅ」
「か、楓。お母さんのお仏壇に使う蝋燭・・・すこし・・・いる?」
「いらないってば! 普通なの私は! 私はそう言う偏った性癖は無いの!!」
「「・・・・・・・・」」
楓は二人の言葉に否定的であり、何度も弁解するも、どうしても弁解するたびに繕うっている感じがするのだった。
「ま、まぁ楓の性癖はこの際気にしない事にして「私は普通だってば! 眞銀!」一刀さんを捕まえるとか、捕まえて・・その・・・そういうことをするとか・・・ダメ・・だよ?」
「そうじゃぞ。流石に無理やりはダメなのじゃ。恋愛感情は抱けずとも友愛は築けよう?」
「あんな男と友愛?・・・そんなの無理ですよ」
「無理では無かろう! 楓も眞銀も良い子じゃし、一刀も口と態度は悪いが根は良い子なのじゃ! 一刀はなんだかんだ言ってポク達の面倒もよく見てくれるしの」
「良い存在であったとしても私達とは相容れない存在です。あの男は私達の事を、私達の家を憎んでいるのです。何も築くことなんてできません」
今回の事で嫌でも理解した。
彼は、一刀は、私達の家を憎む敵であると。
「お役目を果たすためには、もはや彼を捕縛し、無理やり子種を奪うほかありません。出来る事なら肉体接触はせずに、試験管ですませたくはありますが、それでは力を宿した子を成せませんので、致し方ありません」
「致し方ありませんじゃないよ楓。そんなひどいことしちゃダメなんだよ。無理やりがどれだけ怖い事なのか私達は・・・知ってるでしょ?」
先日一刀に無理やり襲われ・・・てはいないが、襲われると錯覚させられ、その恐怖を刻まれた。
言葉と雰囲気だけで何もされてはいないが、それでもあの時感じた恐怖を私達は知った。
「それでもです。私達はあの男との間に子供を作らなければならないのです。屈辱的ですがそうしなければなりません」
「いやいや、じゃから事を急ぎ過ぎじゃと言っておるじゃろ。まだまだ時間があるのじゃから、もっと互いを知って友好を築いてじゃな・・・」
「無理です。そんなことしている間にこちらが殺されます。異形のモノ達にではなく、本来味方であるべきあの男の手によって殺されます」
楓はざばっと風呂から上がり浴槽を出る。
「ごめんなさい。神木神様。私はもう決めたんです。あの人の事は嫌いだけど、知ろうとはしていたんです。わかりあえなくても敵対はしないようになろうって、思っていたんです・・・けれどあちらが本気で殺しに来たならもうダメです。もう・・・ダメなんです」
「楓・・・」
そう言葉を残すと楓は風呂場から出ていき、眞銀はそんな楓を見送ることしかできなかった。
ずっと一緒にいた眞銀だから、先程浮かべた表情は、何を言っても意見を変える気がないとわかっていたから。
「こ、これは流石に宜しくない方に話が進んでおるのじゃっ! 待つのじゃ楓! 気持ちはすこぶるわかる! やられたらやっちまえこのヤロウの精神はすこぶるわかるのじゃ! じゃけどあんなんでも一刀は味方なのじゃ! あんなおたんちんでも一応は味方なのじゃ! じゃから襲っちゃダメなのじゃよぉ! 痴女化してまで一刀に悪戯してはならぬのじゃよぉぉぉっ!」
艶魅は、そんなシリアルな雰囲気を読むことなどできず・・いや、あえて読まずに出て行った楓に突撃していった。
冗談を交えてでも関心を引き、話をさせることで、少しでも心の内を吐き出させる為だろう。
そして吐き出させて、心に少しでも余裕ができたならば、やってはいけない事だと話すために。
「・・・本当は友達である私がやらなきゃいけないのになぁ」
今動くべきは自分だった。
そう思いながらも、楓の決意を無下にできず止めることができなかった。
だって楓は私のために、そして家のために動くことを決めたのだから。
「・・・・・・・・・・・・・」
私はどっちなのだろうと思ってしまう。
お家のために務めを果たしたいと思ってはいても、やっぱり好きでもない相手と行為に及ぶことは怖くてイヤだ。
それが我儘だとわかっているけれど、こればかりはイヤなのだ。
だから、できるだけ仲良くして、行為を受け入れられるようになろうとしているけど・・・・それもままならない。
一刀さんと私達の状況が、それを許してはくれない。
彼は私達の家を憎み、家に属する私達を憎む。
こればかりはどう頑張っても、変えられない。
「いがみ合うのはイヤだな・・・・・・」
綺麗事を並べ、理想を語っているのは理解しているが、その意思だけは返る事ができず、眞銀はただ風呂の中で膝を抱え続けた。
動かなければ理想を体現することができないとわかっているのに・・・。
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