第11話 宮塚家
ホテルを逃げるように飛び出した一刀は、すぐにタクシーを拾い、行きたくもない宮塚家へと向かった。
できれば宮塚家に向かう前に子タヌキをどうにか親元に返してやりたかったが、流石に山を登っていると宮塚家に着く時間帯が昼過ぎになりかねない。
別に人が寝静まった真夜中に行き、存分に迷惑をかけても一向に構わないのだが、あのクソ野郎は何かにつけて俺を引き止め宮塚家の教育を施そうとする。
真夜中などに顔を出せばこれ幸いにと、徹夜で俺に教育をしてくることだろう。
まるで狂信者の如く信仰する神木神や神月家についての歴史を語り、いかに宮塚家が仕え、守ってきたのかという内容をイヤっというほど聞かされ、最後には一族の恥とならぬよう神木神と神月家にお仕えしろと命じてくるのだ。
そんな頭の可笑しい野郎に洗脳されるほど、俺の精神は貧弱ではないが、だからと言って好んで受けたくもないので、朝早くから宮塚家に向かっている。
朝早く向かえば遅くとも夕方頃には抜け出せそうだしな。
そして一時間後、宮塚家に到着した一刀は門の前で殺意を剥き出しにしながら、深く息を吸うと、
「唄嗣 奥菜が孫! 唄嗣 一刀だ! 宮塚家のクソ共さっさと門を開けろ!」
インターホンが付いているのだから、それを使えばここまで大声をださずとも良いのだが、ワザとインターホンを使わず、無駄に大声を張り上げながら自分の姓を名乗った。
その理由は、俺は宮塚家の人間ではない、唄嗣家の人間であると、誰がなんといおうとも貴様らの身内ではないと伝えたかったからだろう。
一刀の想いが届いているとは思えないが、それでも示せずにはいられなかったようだ。
そして、一刀の声を耳にしてか重く大きな門は静かに開かれ、門から玄関までの道すがら幾人もの美しい女中が整列し、一刀を出迎えた。
男は一人もいない。
「おかえりなさいませ。一刀様。宮塚家一同、一刀様のお帰りを心よりお待ち申し上げておりました」
そして、整列している女中の中でも一際美しく、目元に泣きホクロのあるおっとりした女中が代表として挨拶してきた。
「随分と舐めた真似しやがってクソ野郎が・・おい! さっさと案内しろっ!」
一刀は整列する美しい女中達を目にして、なお一層殺意を剥き出しにしながら歩み出す。
女中達が身に着けている着物は、一刀が心より慕い、尊敬した祖母が好んで身に着けていた着物だった。
帯の色も祖母が好んでいた紫色。
頭の飾りも祖母が好んでいた赤い玉簪。
女中の仕事をするうえで着飾るなどあり得ない。
これは確実にクソ野郎が仕向けた俺への当てつけだ。
祖母の変わりが欲しいなら、この中から好きなだけ代わりを持って行けと。
どれだけ遊び尽くそうとも、壊そうとも構わない。
だが、受け取ったからには宮塚家に忠誠を誓い、生涯を神木神と神月家の為だけに生き、誇りを持って宮塚家を栄えさせよと言っているのだ。
(俺の大切な家族を愚弄しやがって・・・クソッタレ!!)
だからこんな所に来たくなかったと、一刀は女中に案内されながら怒りに震え、誰にも聞こえない声で短い呪怨を呟いた。
殺意に満ちた視線を向ける一刀と、そんな孫の態度を小馬鹿にした笑みを浮かべる宮塚 家が当主、宮塚文才がいた。
一人は烈火のごとく憎悪に燃え、一人は春風の草原を散歩するように二人の温度差は明らかに違っていた。
だが、二人に温度差はあれども、今から命の奪い合いが始まってしまう。そう思ってしまうほどの緊張状態に保たれていた。
そんな状態の部屋の中で待機している女中達はすました顔で目を伏せているが、皆僅かに冷汗を流している。
現当主の宮塚 文才は朗らかでありながら、その作り笑いが恐ろしく、その笑みに隠された殺意は身近で生活している者からすれば耐えられるものでは無かった。
これほどまでに殺意を隠しながらも、朗らかに笑う文才を見たことがない。
故に女中達は冷汗を流していた。
そして、次期当主として呼ばれた一刀は正式な訓練を受けずに自力で力を得た鬼才児。
文才が隠している殺意に気付いているのか、それとも気付いていないのかわからないが、もしも気が付いていてもそれに臆することなく殺意をぶつけているのであれば、肝があまりにも据わりすぎている。
気付いていなくとも、ここは一刀からすれば敵地の真っただ中。
それも敵に囲まれた状態だ。
そんな中で自分達の大将に隠すことない殺気を撒き散らしている。
周りの者も邪魔をするならかかってこいと言わんばかりである。
文才の殺意を氷と称するならば、一刀の殺気は炎と言った所だろう。
周りの被害など考えず、全てを焼き尽くすほどに。
姿が違えども、互いに向ける殺意の質は同レベル。
まるで文才が二人いるかのように錯覚してしまうほどの強大な殺意と殺気。
そんな二人の姿に女中達は無条件で首を垂れてしまいそうになる。
ただし現当主に次ぐ才覚が一刀にあることは喜べるが、その力が今自分達の当主に向けられていることに、危機感を抱く。
もしも一刀が現当主である文才に牙を向けたときには自分達が盾となり矛となり、対峙しなければならないのだ。
そして、確実に邪魔をした自分達は殺される。
そんな確定した未来が見えてしまう。
敵対すると言うことはそう言う事なので仕方ない事ではあるが、できる事なら仲間内で争うことは避けて欲しいと思う。
なので誰かこの空気を換えてくれと女中達は願いつつ見守り続けた。
「中々に良い殺気ではないか。それでこそ我が後継者にふさわしい」
「余計な口を開かず用件だけ言え。こちとらテメェと同じ部屋にいるだけでブチギレ寸前なんだよ。それとも何も話さず死ぬか? あ゛?」
ゴキゴキと骨を鳴らしながら、拳を握る。
今すぐこのクソ野郎を殴り殺したいと言う衝動を必死に抑えてはいるも、隙あらばその命を奪わんと虎視眈々と一刀は狙っており、文才はそんな己の孫の心情を理解しながら楽し気に笑う。
「クククッ、小童がほざきよるわ。威勢が良いのは褒めてやるが心に余裕無き猪武者に討たれるほど衰えてはおらぬ。あまり舐めた口きいとると、そっ首落しちまうぞ」
文才は腰に差した刀に手を添え、笑みを浮かべる。
互いに臨戦態勢に入り、間合いさえ詰めればいつでも死闘が始まるだろう。
誰か止めてくれと一心に願いながら女中達も文才を守るために顔を上げる。
そして、
「文才様、神月家がご当主 神月 周白(かみづき しゅうはく)様。ご息女 神月 眞銀様。影宮家 長女 影宮 楓様がお見えになりました」
外で待機していた女中が襖を開け静かにそう言葉を発すると、文才の隠されていた殺意が散漫する。
押しつぶすほどの威圧が無くなり、威厳はあれども柔らかな雰囲気になった。
僅かにだが隙が生まれた。そう思い一刀は襲い掛かろうと腰を浮かせた。
一撃で確実に殺す。
恨みを今こそ晴らす。
そんな憎悪を胸に腰を浮かせたのだが、
「きゅ~~けぃ~~~~」
隣に置いておいたリュックから子タヌキが飛び出し、一刀の膝の上に乗ってきたために、それは叶わなかった。
チャンスを不意にされ、一刀は子タヌキをギロリと睨むも、子タヌキはパタパタと手足を動かすばかりで全く反省の色はなく、撫でろと言わんばかりに一刀の腹に顔を埋めてくる。
「・・・・・・・・・・・はぁ」
自由奔放で無邪気な姿にイラつきを覚えながらも毒気を抜かれたのか、一刀は子タヌキを撫でる。
元々この子を親元に帰す前にここに連れて来たのは俺だ。
下手に人里に放り出してしまうと危険と思いリュックサックに入れていたのも俺だ。
宮塚家の奴等に荷物を触られたくなく、信用できない奴等に子タヌキを預けたくなくて自分の傍に置いておいたのも俺だ。
全て俺が決めてこの子タヌキを傍に置いた。
ならば、こうなった結果を受け入れるべきだ。
そう考え一刀は僅かにくすぶる怒りを飲み込んだ。
「・・・・・・・お前は空気を読むことを覚えろ」
「きゅにににににに~」
まあ撫でる力が強くなり、腹いせとばかりに髭を軽く引っ張るくらいは許されるだろう。
そんな風に子タヌキと戯れている間に、神月の当主とそのご息女、そして先日一刀を看病していた楓が姿を現した。
文才は現れた神月家の両名の元に行くと深々と頭を下げ、わざわざ足を運ばれたことに感謝の意を示す。
神月家の当主はそんな頭を下げないでくださいと、恐縮していた。
今代の神月家の当主となった者は覇気が無く、何処にでもいる優男である。
頭を下げてはいるが、威厳や風格は確実に文才の方が上であろう。
まあ一刀には関係ない以前に興味もないことなので、視線を向けることなくただ子タヌキと戯れながら、だらしなく寝そべっていた。
その態度に文才は目を細める。
「なにをしている。神月家の方々がわざわざお越しくださったのだぞ。さっさと首を垂れよ」
「タヌキってやっぱイヌ科なんだな。柴犬よりも少し毛が固いが、なかなか手触りがいい毛並みだ。襟巻にでも・・・いや流石に襟巻にするには毛がイテェか」
文才の声は勿論聞こえているが、一刀はあえて聞こえないふりをして子タヌキと戯れる。
嫌いな奴の言葉に従うつもりなどない。
と言うか従わなければ相手を不快にさせられるので、無視した方が気分がいいと言うもの。
故に一刀は子タヌキと戯れる続けた。
そして、子タヌキも一刀が遊んでくれることが嬉しいのか尻尾を千切れんばかりに振りながら一刀の顔を舐めだす。
舐めるなと一刀は思いつつも、ここで顰めっ面を浮かべては文才をイラつかせることができないと思い、その行動を甘んじて受け入れた。
子タヌキが親に甘えるような声をだす光景はなんとも微笑ましいのだが、文才の気配はどんどん殺伐となる。
先程とは逆だなと思いながら、その気配に一刀はクツクツと笑みを浮かべた。
「どうしたクソ野郎。随分と余裕が無さそうだな。確か心に余裕がねぇのは猪武者だとかいってたな? 恥ずかしいねぇ。四家の剣とか矛とか宣った宮塚家も、現当主がこれでは仕えられている神月家も落ち目ってことだ。まあ所詮存在しない神木神を称える、頭の可笑しな集団だからな。潰れてしまっても世のためっ!?」
馬鹿にしていると不意に悪寒を感じ、一刀は子タヌキを抱えながら、転がる。
そしてすぐに立ち上がると、子タヌキを片手で抱えたまま構えを取る。
視線を向ければ今寝転がっていた畳が真っ二つに斬られていた。
剥き出しの殺意。
確実に俺を殺す一撃。
その事実に一刀は黒く歪んだ笑みを浮かべる。
「まさか神月家をバカにした程度でテメェから手を出してくれるとは思わなかったぜ、それとテメェ等が信仰するクソ神をバカにしたのが頭にきたか?」
「あまりにも不敬な態度、流石に目に余る。次期後継者として優しくしておればつけあがりおって。少しばかり教育してくれよう」
腰の刀に手を添える文才に、一刀はただただ嬉しそうに笑みを浮かべる。
子タヌキを手放す隙すら無く、抱えたまま戦うことになってしまい不利な状況ではあるが、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいが、だからと言って無下にするつもりなど無い。
子タヌキを武器にするつもりも、盾にするつもりも、命を無下に散らさせるようなこともさせはしない。
コイツには傷一つ付けずに親元に返すつもりであり、それができなければ潔く自分の命を散らし勝負を終わらせる覚悟もある。
関係ない者を巻き込んでまで復讐を晴らすつもりはない。
それが野生動物で害獣指定されている獣であってもだ。
その一刀の想いを理解しているのか、子タヌキは殺意渦巻く中にいると言うのにヒクヒクと鼻を鳴らしながら、ボケ~と成り行きを眺めていた。
なんだかんだ言って、こんな状況でもマイペースでいられる子タヌキこそが大物なのかもしれない。
そして、互いの殺意が色濃くなり、相手を押しつぶす重圧を発しながら二人は徐々にその距離を詰め出す。
それを見て、控えていた女中も立ち上がり懐から小刀を取り出し構えだした。
一触即発。
何か事が起こればすぐに殺し合いが始まる。そんな殺伐とした雰囲気ができあがっていた。
「何をしておるか! 文才! やめるのじゃー!」
いたのだが、またも場にそぐわぬ者が現れることになった。
まるで駄々っ子の如く手をブンブンと振り、文才の前に立ちふさがる幼女。
そう、あの森で付き纏われ、お菓子のウイスキーボンボンで酔いつぶれた悪霊幼女の姿がそこにあった。
「妾はこういう空気は嫌いなのじゃ! 人が無駄に争うことを妾が嫌っているのは知っておろう! ましてや血縁者と争うなど許されるはずもなし! 文才! 矛を収めよ! 世は・・・戦国時代・・・ではないのじゃぞっ!」
そう喚き散らす悪霊幼女であるが、文才は取り合うことはなく、じりじりと一刀に詰め寄るのを止めなかった。
そこで神月家がご息女、神月 眞銀が一歩前にでて文才に声をかけた。
「文才様 神木神様が矛を収めよとのことです。どうか神木神様のお言葉をお聞き入れください」
「む? 神木神様が・・・・ぬぅ」
その言葉に文才は致し方ないと言わんばかりに動きを止め僅かに刀から手が放れ、周りの女中達も殺意が収まった文才の変化に気を緩めた。
だが、未だに殺意を消さずにいた一刀だけは臨戦態勢を維持したままであり、そしてその隙を見逃すはずもなく、文才の命を狩り取るために動いた。
「やめよっ!!」
文才の心臓に向けて放たれる一撃。
確実にその命を奪うその一撃を文才は避けようと動き出すも、時すでに遅く悪霊幼女が声を出すころには、一刀は文才の心の臓を貫いていた。
文才の命を奪うことができたことに、悲願が達成できたことに一刀は気持ち悪い笑みを浮かべる。
これで当主を失った宮塚家の力は衰えていくだろう。
代わりに当主を殺した俺をこの家の者が逃がすわけもなく、傀儡とされるか、はたまた死ぬまで苦しめられるかもしれない。
最終目的であったこの街を消し去る計画を実行することが難しくなるが、この街を消し去るよりも文才を殺すという私怨を達成できたことを今は喜ぼう。
今捕まり身動き取れなくなるのは悔いが残るが、それでも笑いながらいつか死ねる。
そう思いながらも、できれば捕まりたくないと考えた一刀は逃げるために足に力を込めた。
だが、
「随分と嬉しそうだな。なにか良い事でもあったか?」
「な!? テメェ!?」
確かに心の臓を貫き殺したはずの文才が立っていた。
そして、文才の傍にはいつの間にか影宮 楓が控えていた。
「・・・・影宮の女。テメェが邪魔したな」
「宮塚家の騒動にあまり口を出すつもりはありませんでしたが、神木神様と眞銀様のお心が争いを好んでいませんでした。故に・・・・」
一刀はその場から飛び退き楓から距離を取った。
「・・・これ以上はお控えください」
距離を取ったにも関わらず、何かが頬を優しく撫で、一筋の傷を残した。
影宮家の御家流に幻を生み出す特殊な力があると聞いたことがある。
見えているモノは虚像であり、聞こえていた音は音幻であり、己の五感で感じた全てが虚無であり、幻である。
肉体的戦闘力はさほど高くないが、その特殊な力でもって静かに、そして確実に敵を殲滅することに特化した忍びの一族。
宮塚家とその当主相手でも分が悪いと言うのに、その上御家流を使いこなせる影宮家の女が出張って来ては、勝機はない。
そう判断した一刀は、小さく舌打ちをすると静かに構えを解いた。
「きゅ~ん! きゅ~ん! きゅ~ん!」
「・・・お前は緊張感ってもんがねぇな。呆れるを通り越して、感心しちまうぜ」
そして、子タヌキは抱きかかえられていることに飽きたのか、一刀の服にしがみ付き登り始めると、一刀の頭に顎を置き「むふ~」と満足げに鼻息を鳴らした。
その光景を見て、やっと皆の臨戦態勢は解かれ、話を始めることとなった。
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