ちゃーじ

滝村透

ちゃーじ

 誰もが心躍らせる金曜日の夜、一週間で溜まった愚痴や不満を吐き出しに集まった人々で賑わう居酒屋に、芹沢せりざわと山本はいた。

「なぁ山本〜、相談があんだけどさぁ」

「ん?」

「誰か良い女いねぇかなぁ」

「またその話かよ」

 山本は呆れた顔で、つまらなそうに携帯の画面をスクロールする。芹沢は既に酔いが回っているようで、頬を紅潮させ時折テーブルに突っ伏している。

「お前、今まで俺がどれだけ紹介しても一回もうまくいったことないだろ」

「そりゃさ、しょうがねぇじゃん。みんな俺みたいな低スペック男とは付き合いたがらねぇんだし」

「そうか……俺の交友関係もそこまで広いわけじゃないし、正直もうこれ以上は無理なんだが」

 山本が携帯の写真フォルダを漁りながら言った。すると、芹沢が突然ガバッと身体を起こして、

「頼む、山本! 俺にはお前しか頼れる友達がいないんだ」

「……」

「もう何も条件は言わないから! 誰でも良いから紹介してくれ」

「そう言われてもなぁ……」

 万策尽きた山本は、答えに窮していた。上の空のまま、串カツを口に運ぶ。

「あれっ、この子って誰? 知り合い?」

 芹沢が山本の写真フォルダの中の一枚を指差して言った。

「あぁ、まぁな。彼女は俺と同じく、ロボットの研究者だ。……お前まさか、彼女を」

「めっちゃ可愛いじゃん! 見せて見せて」

「おい」

 芹沢は携帯を奪い取ると、写真をじっくり眺め回した。山本が手を伸ばすが、芹沢は俊敏な動きでそれをかわす。

「ねぇ、この子なんて名前? 何歳? 年収は? 彼氏はいるの?」

「何だそのクソまとめサイトみたいな質問」

「もし今フリーなんだったらさ……」

「いいから早く返せよっ」

 芹沢の腕を掴み、山本はようやく携帯を奪還した。画面に映るその女性をしばらく見つめる。

「彼女の名前は、カナメと言う。年齢は、俺たちよりずっと若い。恋人の有無は知らない。……これでいいか?」

「年収は?」

「知らん!」

 山本は鋭く言い放つと、ビールをあおった。

「なぁ山本、俺はことごとく女運が悪いんだよ。今まで付き合った女はみんな俺を騙した。実に巧妙な手で金を巻き上げられたりもした」

「それお前がバカなだけじゃねぇのか」

「あぁそうさ。今になって思えば、どいつもこいつも最初からどこか怪しかった。今の俺ならそれがわかる。でも、その写真の子は違う。その子はきっと俺を騙したりなんか」

「おいおい、今まで散々ひどい目に遭ってきたってのによくそんな期待ができるな」

 必死の熱弁を軽くあしらわれると、芹沢は声色により切実さを滲ませて言った。

「好きなんだよ、その子のことが。びっくりするぐらいタイプなんだ。ど真ん中なんだ。こんな出会いはもう二度とないよ。絶対に」

 先ほどまで酔って虚ろな目をしていたのが嘘のように、芹沢の目つきは真剣そのものだった。その強い眼差しは、山本の堅固な心をも揺り動かした。

「……わかったよ。お前も懲りねぇ奴だな」

「やったぁ!」

 芹沢は満面の笑みで拳を突き上げ、機嫌よく鼻歌を歌った。山本が溜息をつく。

「全く、何がお前をそこまで突き動かすんだか。俺は結婚なんかまっぴらごめんだよ」

「えぇ、そうかい? そういやお前、女の話とか全然しないよな。人間に興味ないのか?」

「それは言い過ぎだろ、調子に乗りやがって。俺だって人間に興味あるわ。ロボットの研究してたら、嫌でも人間について考えるようになる。ロボットと人間はどう違うんだろう、とかな。俺は人間を知るためにロボットを研究してるんじゃないか、って思うくらいだよ」

 山本はそこから人間とロボットの境界について語ろうとしたが、ふと芹沢を見ると話に全く興味がなさそうな顔をしていたのでやめた。

「お前、せめて興味ありそうなフリぐらいはしてくれ」

りぃ。俺、そういう難しいこと全然わかんねぇのよ」

 芹沢が軽い調子で笑うと、山本は再び溜息をついた。



     ◆



 翌日の土曜日、芹沢は一人で公園のベンチに腰かけてサンドイッチを食べていた。よく晴れた日にここに座って元気に遊び回る子どもたちを見ながら、近くのパン屋で買ったサンドイッチを食べるのが彼にとって幸福な休日の過ごし方だった。

 その日のランチも極上だった。ベーコン、レタス、トマトという最強の組み合わせを味わい、さらに家から持ってきたブラックコーヒーを飲んだことで、芹沢の顔にはこの上なく幸せそうな表情が浮かんだ。

「ふふふっ」

 突然、女性の笑い声が聞こえた。芹沢はそれが自分に向けられたものである気がして、閉じていた目を開いた。するとやはり、声の主は芹沢を見ていた。

 その人の姿を見て、芹沢は飛び上がった。

「カナメさんっ!」

「えっ?」

 初対面であるはずの男に自分の名を呼ばれ、その女性は目を丸くして驚いた。互いに驚き合った二人は歩み寄る。

「カナメさんですよね!」

「そうですけど……どうして私の名前を?」

 芹沢は、突然の事態に胸の高鳴りが苦しいぐらいだった。

「あの、山本くん、わかりますか。僕、その人の友達なんですけど、彼が見せてくれた写真にあなたが載ってて。それで彼から名前も聞いて」

「あぁ、山本さんのお友達なんですね。山本さんにはお世話になってます」

 カナメは深々とお辞儀をした。つられて芹沢もこうべを垂れる。

「申し遅れました、僕は芹沢と言います。この近くに住んでて、まぁ普通のサラリーマンです」

「芹沢さんですね。お食事中にすみません。あまりにも美味しそうにサンドイッチを食べてるものだから、つい」

「いや、そんな! 全然、何の問題もないです! むしろ嬉しいぐらい、というか……」

 芹沢は頬を赤らめて恥じらった。

「写真見ただけで私のことを覚えてくださるなんて、すごく記憶力が良いんですね」

「いやぁ、そんな大したことないですよ。僕、頭悪いですし。それに、写真を見たのはつい昨日のことだったんで」

「そうなんですか。すごい偶然ですね」

「えぇ、ホントそうです。あなたは印象的で……一目見ただけで夢中になってしまった」

「あら嬉しい。芹沢さん、そんなに私のこと褒めてくださるなんて」

 それから二人はベンチに並んで腰かけ、会話に花を咲かせた。互いの仕事の話や、趣味の話。共通の知人である山本の話で、二人は最も盛り上がった。芹沢はカナメと過ごす時間の楽しさを実感していた。この時間だけでも、カナメが自分にとってこれ以上ないほどの恋人になり得る存在であることを芹沢は感じ取っていた。

 会話が一段落ついたとき、芹沢が切り出した。

「あの、カナメさん。もしよかったら、またいつか会いませんか。今日みたいに一緒に食事をしたいです」

「えぇ、ぜひ。私も芹沢さんに会いたいです」

「それじゃ、連絡先を……」

「私、実は携帯持ってなくて。……もしよかったら、来週の土曜日、同じ時間にまたここで会いませんか」

 芹沢に拒む理由などなかった。

「そうしましょう。楽しみにしていますね」



     ◆



 それから芹沢は、カナメに会える土曜日を楽しみにしながら生きた。カナメとの会話は驚くほどストレスがなく、心地良いものだった。博識なカナメは何を聞かれてもよどみなく軽やかに答えたし、それらは全て的確で機知に富んでいた。芹沢にとって、週に一度の彼女との逢瀬おうせはもはや日常の一部になっていた。

 その日はひどく雨が降っていた。外でランチを楽しむ気分にはなれないが、芹沢はベンチの前で傘を差してカナメを待っていた。

「カナメさん!」

 傘を差してこちらに歩いてくるカナメの姿が見え、芹沢が呼びかけた。カナメも手を軽く振って応え、少し歩調を早めて近づいていった。

「芹沢さん、こんな雨の中でも来てくださったんですね」

「当たり前だよ。カナメさんに会うことが僕は何よりも楽しみなんだから」

 芹沢がそう言うと、カナメはその白く綺麗な肌に微笑みを浮かべた。

「でも、こんな雨の中じゃランチなんて楽しめないよね。すぐそこにある僕の家に来ない? 料理を振る舞うよ」

「本当ですか! 嬉しい」

 そう言ってカナメは笑った。だが、すぐにその笑顔が陰り、カナメはうつむいた。

「カナメさん?」

 異変を感じた芹沢が尋ねるが、カナメは答えられない。次第に彼女の目から涙が溢れ出てきた。よく見ると、その頬にはあざがあることがわかった。芹沢が狼狽うろたえていると、カナメは俯いたまま傘を放り出して芹沢に抱きついた。

「すみません、芹沢さん。今日、とてもつらいことがあって、それで、芹沢さんの優しさに触れたら、なんか私、いろんな感情が溢れちゃって……」

 カナメの涙が芹沢の服に吸い込まれていく。それと一緒に、カナメが抱えていたいくつもの想いが芹沢の心へと伝わっていった。

「大丈夫。いくらでも泣いていいよ。こんな雨の中だ。僕の服がどれだけ濡れたって構わない」

 そして芹沢もカナメを抱きしめた。降りしきる雨と万感の涙がないまぜになる。温かい抱擁が冷たい雨から二人を守った。

「ちゃーじ」

「?」

「こうやっていると、私の心が充電されていくような気分になる」

 鼻が詰まった声でカナメがそう言って笑った。芹沢も笑う。

「そうだね。僕もそうだ」

「チャージ」

「チャージ」

 雨は降り続けた。




「服、乾くまでまだ時間かかるかも」

 芹沢は隣でベッドに横たわるカナメに言った。

「ありがとう。何から何まで」

 そして、芹沢はカナメに覆いかぶさるようにして彼女を抱いた。その流れで、唇を近づける。

「駄目……キスは。キスはしちゃ駄目なの」

 カナメが柔らかく拒むと、芹沢は我に返って顔を離した。

「……すまない」

 芹沢はカナメの悲しげな表情を見ながら、彼女の肩の輪郭を手でなぞった。冷たかった。

「なぁ、寒くないか? さっきの雨で風邪引いてたりしない?」

「いや……風邪ではないと思う。けど、なんか身体にうまく力が入らない」

「大丈夫?」

「ちょっとつらいかも……ねぇ、どこか充電できるところってない?」

 カナメの声は弱々しく、外から打ちつける雨の轟音にかき消されてしまいそうだった。

「充電って、さっき言ってたこと?」

「そうじゃなくって……コンセント」

「なら、そこにあるよ。でも、この大雨でさっきから停電してる」

「えっ……」

 カナメが目を大きく見開いて声を漏らした。暗い部屋の中で、その目は猫の目のように光って見えた。

「どうした?」

「……」

 しばらく返答がなかった。重苦しい沈黙の中で、芹沢はカナメの心に新しい何かが目覚める気配を感じた。

「あぁっ……苦しいっ……」

 カナメは息を切らして、今にも叫び出しそうな表情で身悶みもだえしていた。

「カナメ? しっかり!」

「うぅっ……」

「大丈夫か! 今、救急車呼ぶからな!」

 芹沢は暴れ出しそうなカナメを必死に押さえつけ、何とか落ち着かせようとしていた。彼女の身体に何か問題が起こっていることはわかるが、その原因がわからない。

 そのとき、虚ろな目をしたカナメが両腕を芹沢の身体に回し、彼を抱き寄せた。腕の震えが芹沢にも伝わってくる。二人の唇が、止まることなくどんどん近づいていく。

「カナメっ」

 その距離がゼロになった。

 すると、芹沢は声を発することもできずに、ただ甘美な口づけの感触を味わいながらゆっくりと眠りの中に沈んでいった。やがて口づけを終えると、カナメは恍惚こうこつとした表情を浮かべたまま身体を起こし、目の前で静かに横たわっている芹沢の姿をじっくり眺めた。

 家のインターホンが鳴った。カナメは芹沢のクローゼットから服を適当に選び取り、裸の身体にまとって玄関へ向かった。

 カナメが玄関のドアを開ける。そこに立っていた男は、彼女の姿を見て満足げに微笑んだ。

「カナメ、お疲れ様。計画通りにうまくいったようだね」

 その男——山本は、黒い服に身を包みポケットに手を入れたまま、大股で芹沢の眠る寝室まで歩いていく。

「芹沢、すまないな……カナメは俺の恋人なんだ」

 男は告白を始めた。

「カナメがお前にとってすごくタイプなのは、お前がかつて居酒屋で語った理想の女性像を、そのままロボットとして具現化させた存在がカナメだからだ。つまり、カナメは人間ではなくロボットだ。そして、その開発者が俺。彼女がロボットの研究者をやってるなんてのは適当についた嘘さ」

 放たれた言葉を、受け取る者は誰もいない。

「カナメはお前にとって魅力的であるのと同時に、俺にとっても魅力的だった。カナメを作っているうちに、俺はどんどん彼女に惹かれていった。カナメの写真を見たお前に求められて、仕方なくカナメにお前を好きになるよう命じるプログラムを打ち込んだが、俺はまだカナメのことが好きだった……」

 虚しいばかりの静寂だけが、その告白への返答だった。

「しかし、これは後になってわかったことだが、いくらロボットといえども同時に複数の人間を愛することはできないらしい。もともとは俺を愛するように指示していたのだが、命令を上書きされたカナメは、俺のことを愛さなくなったばかりかむしろ冷淡になり、避けるようになった。俺は怖かった。カナメが俺のもとからいなくなってしまうのが、恐ろしかった……。そんなときに思いついたのが、カナメの『充電』だ」

 稲光が瞬き、しばらくして遠くの空で雷鳴がとどろいた。

「カナメは電気を取り入れることで動いている。充電は、人間にとっての食事と同じようなものだ。大抵はコンセントに差して充電するが、近くにコンセントがなかったり停電していたりする状況でエネルギーが不足したとき——カナメは、近くにいる人間が持つ生命エネルギーを吸い取り、それを自分の体内で電気に変換し何倍にも増幅させることで生きながらえる。そして、生命エネルギーを吸われた人間は……死ぬ」

 山本は、もう反応を返してはくれない友人の肩にそっと手を置いた。

「飢餓状態にあるカナメが、お前の持つ『電気』に食いつかないわけがない。愛する人間の持つ『電気』ほど、彼女にとっては美味しいものだからな。この記録的な大雨でここら一帯が停電になることは読めていた。だから、カナメが充電できずにエネルギー源に困ってくれれば、お前の生命エネルギーを吸い取ってお前を殺してくれると思った。……でも芹沢、悪く思わないでくれよ。心から愛する女性にキスされながら死ぬなんて、この上なく幸せなことだろう? 俺だって人の心がないわけじゃないんだぜ」

 山本は実に愉快そうに笑った。

「でも、ひとつだけわからないことがあるんだよな。カナメに出した『指定した人物を愛する命令』は、俺とお前を指定した場合のどちらも同じ内容だった。それなのに、カナメの反応が違う……何だか、お前といるときの方が楽しそうなんだよ。どうしてなんだ?」

「そんなこともわからないの?」

 カナメが鋭い口調で言った。

「だってあなた、すぐ私を力ずくで支配しようとするじゃない。殴ったり、わざと充電させないで空腹にしたり。私のことを所詮ロボットだと侮ってるから、そんなひどい扱いができるのよ。あなたが私に向けてる感情は愛なんかじゃない」

 山本は心の内が読み取れない目で虚空を見つめていた。

「でも芹沢さんは違った。彼はいつも私の気持ちに寄り添った。私を力ずくでどうにかしようなんて思わなかった。私のことを心から大切に思ってて」

「それは、あいつがバカだったからだ! ロボットのことなんかわかりもしない奴だから、君が人間じゃないってことなど考えつかないで」

「そんなことを言ってるんじゃない! ……やっぱり、あなたは何もわかってない」

 その言葉と同時に、カナメは一筋の涙をこぼした。雫は美しくきらりと光った。それを見た山本が目を大きく見開いて驚く。

「カナメ、涙を流せるようになったのか? これは大きな飛躍だ! きっと世界中から注目されるぞ! 歴史的な出来事だ!」

 興奮してまくし立てる山本にも動じずに、カナメは冷ややかな声で言った。

「芹沢さんと出会って、私はいろんな感情を知った。あなたのことを愛せよと命じられていた頃には到底わからなかったような心の機微が、だんだんわかるようになってきた。それに……」

 カナメは少し間を置いてから言った。

「芹沢さんは死んでない」

 山本が顔を歪める。

「何? まさか。君があいつにキスをして、生命エネルギーを吸い取ったんじゃないのか?」

「いえ。私は確かにキスをした。でもそれは、あなたが言うような生命エネルギーを吸い取るキスじゃない。私たちは互いの唇を重ねるだけの、人間らしいキスをしたの」

 山本は、芹沢の様子をもう一度よく見てみた。

「気絶……しているだけなのか?」

「ええ。彼は私とのキスを幸せに思うあまり、気を失ってしまったようね。気絶しているだけだから、じきに目を覚ますと思う。私は彼から何も吸い取ってない。だから今も飢餓状態にある」

 そう言うと、カナメは山本のもとへゆっくりと歩み出した。芹沢に気を取られたままの山本は、それに気づかない。

「それにしてもバカだな。キスされただけで気を失うなんて」

「本当にそう思う?」

 カナメが山本に囁いた。山本は驚いて身体を引こうとしたが、カナメに押さえられて身動きが取れない。

「どうしたんだ、君……まさか! やめろ! やめるんだ!」

「どうして? 愛する人からのキスでしょう? 拒む理由などないはずよ」

 カナメは不敵な笑みを浮かべて、山本と自分の唇を重ねた。それから深く深く息を吸い込むと、山本はうめき声を上げてその場に倒れ込んだ。手の甲で唇を拭って死者を一瞥いちべつすると、カナメはしかばねを飛び越えて芹沢の眠るベッドに潜り込んだ。

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ちゃーじ 滝村透 @takimuratoru

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