かけぬける召使い
蜂麓さんの車に乗せてもらい、眠ってしまったひとつさんとともに向かったのは見るからにお金持ちが住んでそうなマンションだった。
部外者が中に入るのはいろいろ手続きが必要だから、と言って蜂麓さんがひとつさんを運び終えるのを車中で待っていると、ようやく蜂麓さんが帰って来た。
「お待たせしました。ひとつお嬢様から伝言です」
「何て言ってました?」
「日付が変わるころ部屋で持ってるわ。と」
「真面目に」
「冗談が通じませんね。……ごめんなさいと、今日はありがとうって言ってました」
本当になんともなさそうで、安心するとともに別の心配が湧いてくる。
「マジでショッピングモールのど真ん中で立ったまま寝たんですか?」
「はい。昔から、と言うよりはここ数年。時たまにお嬢様はところかまわず寝てしまう。私がお嬢様の傍に常に控えているのは今日のように急に倒れた時のためです」
「それ本当に病気とかじゃないんですか?」
「強いて言うなら不眠症ですかね。お嬢様、基本的に寝ないんです」
「寝ない、ってどういうことですか」
「そのままの意味ですよ。お嬢様は基本的に自分から眠りません」
また冗談を言っているのかとも考えたが、ルームミラー越しに俺の表情を見て察したのか「冗談ではありません」と付け加えてきた。
「寝ないというわけではないのですが、基本的に疲労が限界になると倒れるように眠りについてしまうんです。ここ数日は特に、転校の手続きやらで忙しかったので……と言っても納得できないといった顔ですね」
「だって蜂麓さん俺の事弄りまくるじゃないですか」
「それは弄りやすい顔してるさだめが悪いのですよ」
蜂麓さんはそう言って楽しそうに笑う。
この人やっぱ性格悪いし態度悪いし、丁寧なのは話し方と仕事ぶりだけでよくこれで召使いなんて繊細な仕事できるよなと一周まわって感心すらしてしまう。
でもそれだけ召使いとしての仕事には真面目というか、真摯な人でもあるのだろう。
「ショートスリーパーというのをご存知ですか?」
「ナポレオンやエジソンがそうだったとか言うアレですか?」
確か一日の3時間や4時間くらいの睡眠でも活動できる人の事だっただろう。
俺はそんな生活続けたらどこかでぶっ倒れること間違いなしなのでなんとも現実味のない話としか思えないが。
「お嬢様もその気質があるんです」
「それってかなりすごくないですか?歴史上の偉人たちと同じ才能なんて」
「まぁお嬢様は普通に眠くて今日のようにぶっ倒れるんですが」
「ダメじゃないですか!?」
それってショートスリーパーとかじゃなくて、ただの不眠症って言うんじゃ……。
「昔からそうなんです。お嬢様は……自分で寝れないんです」
「寝れない?」
「そういえば今、お嬢様は何していると思いますか?」
俺の質問と一見何も関係ないような質問が飛び出してきて、一体何のことだと思うがとりあえずまず蜂麓さんの質問に答えることにした。
「眠くてぶっ倒れたなら……まぁ寝仕度しているところかもう寝ているかですかね?」
「残念不正解。本日は……外国語の授業ですね」
「え?」
「簡単に言えば習い事ですよ。お嬢様は数多星グループ代表の孫娘。その身分に相応しい知性、品性が求められますからそれこそ毎日。今はオンラインでもあれこれできて便利ですよね」
「いや、驚いたのはそこじゃなくて……」
毎日習い事とかもお嬢様って感じで驚いたのだが、今日もなのか?
ただ眠っているだけとはいえ寝不足で倒れてしまったのなら、今日は休んだ方がいいのではと思ってしまう。
「普段から頑張ってるんでしょうし、今日くらいは休んだ方が……」
「……そうなんですよね。私ももう10年近く言っているんですが」
「10年も……10年!?」
つまりそれって、10年もずっとそんな生活を続けているということだろうか。
「病院とかに入ってないんですか?」
「行きましたとも。でも、病気とかじゃないのよ。お嬢様自身が限界まで起きて、毎日毎日勉強に習い事をしているだけ。だからこそ、大変なんです」
病気ならば治療すればよいのだろうが、ひとつさんが好きにやっていることならば彼女にやめさせる以外に手段はない。
「それでも体調管理は完璧で、基本的に人前で倒れたりはしないんですが……本日は予想外の体力消費があったので」
「あー……なるほど」
今日はそこそこの距離を歩いたから、それもあって疲れて眠ってしまったのだろう。
でもやっぱり、そんな生活はおかしいというか、やはり良くない。
これからずっとそんな生活をし続けたら確実にいつか本格的に体を壊してしまう。
「おかしい、と。そう思いますよね。でもこれはお嬢様にとって当たり前のことなんです。睡眠時間を削って、ずっとずーっと毎日数多星の後継者になるために」
だから、と蜂麓さんは言葉を付け加える。
まっすぐと俺の目を見て、それから少し笑って俺の手に駄菓子を握らせながら。
「貴方がお嬢様に半ば無理やり突き合せられている。私はそう認識していますが……それでも、お嬢様を思ってくれるなら。どうか、あの人を大切にしてあげてください。私達の常識とは変わっているところがありますが……とても良い子なんです。どうかよろしくお願いします、洞桐さだめさん」
俺はまだまだ、自分でも思った以上にひとつさんのことを知らない。
俺と彼女では住む世界が違くて、俺と彼女の間では常識も違う。彼女にはいろんな責任があり悩みがある。そして、俺にだって彼女の知らない悩みはいくつもある。
でも今日はいろんなことを知れて同じ時間を共有することができた。
不思議な時間だったけれど間違いなく楽しくて、今日かった靴をもいればいつだって今先ほどのことのように思い出せる。
「俺なんかでよければ。ひとつさん、素敵な人ですものね」
「それは私じゃなくてお嬢様に言ってあげてください。意外と押しに弱いのですよお嬢様」
「えー……そんなことなさそうですけどまた冗談ですか?」
蜂麓さんは何も言わず、ただにこりと笑うだけだった。
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