たったひとつの嘘
『ひとつ。恋をしなさい。ロマンチックで、劇的で。運命というものを信じてしまうような、そんな恋を』
お祖父様の言葉に、生まれて初めて疑問を持ったのはその時だった。
お祖父様は正しい人だった。
実際に会社の運営に成功し、多くの仕事仲間や友人に好かれ、私のことも大切にしてくれる。
お祖父様は完璧な人間だ。
たまに暑苦しい時もあるけれど、それは私を心から大切に思っているからというのもわかるし、ちゃんと公使をわけられる人間だし。
だから私はお祖父様のようになりたいと思った。
でも、私はお祖父様のようにはなれない。
お祖父様はよく笑う人だったけれど、私は上手く笑えなかった。楽しそうにすることも、楽しいと思うことも苦手。
お祖父様は怒る時は激しく怒る人だったけれど、私は他人に怒ったりできなかった。何をされても、相手に対してそこまで熱を持った感情を抱くのが苦手だった。
感情がないのか、と誰かが気味悪がって。
私は自分が感情が希薄なのだと気がついた。
苛立ったり、面白がったり、そういう感情がない訳では無いのだけれど、それが強くなることはほとんど無い。
言い換えてしまうと、他人の行動にそこまでの興味がなかったのかもしれない。
こんな私を、誰かが皮肉を込めて『彫刻』と讃えたことがあった。
大理石を削り取って作られた、本物よりも美しく、けれど偽物の表情を浮かべる気味の悪い人形。
でも私はそれでいい。
偽物でも、気味が悪くても、美しいならそれで良かった。
上辺だけでも保てていれば、私の中身なんて知られなくても構わない。
至らぬ私でも、お祖父様の跡を継ぐとまではいかずともお祖父様の築き上げた数多星グループを支える柱の一つくらいには頑張ればなれるはず。
どんな時も微笑みを貼り付けて、感じ良く、当たり障りなく。
それできっと、私は大丈夫。
『ロマンチックな恋の激情こそ、人生で最も大切なものじゃ。お前にはその熱を知って、幸せになってもらいたい。そして幸せそうな花嫁姿のお前が見れれば、儂の人生に悔いは無……いややっぱ許せん!可愛いお前をそこらの小童に任せられん!でも花嫁姿は見たい〜!』
酒に酔い少しだけ怪しい呂律でお祖父様がそう語ったのを、よく覚えている。
お祖父様はまだまだ元気であるけれど、それでも高齢であるのは事実だ。
あと10年、20年も経った時に元気でいられる保証は無い。
だから私は祖父孝行がしたかった。
しかし、本当は私は数多星グループの未来の為の政略結婚をするものだとばかり思っていたし、自分自身でもそうしたいとすら思っていた。
それを祖父に伝えたら、信じられないくらいに怒られた。
何があっても政略結婚やらお見合いやらなんてものは認めない。お前は自分の好きな人と燃えるような恋をして恋愛結婚をするんだ、と。
あの日ほど祖父が激怒したのは見たことないくらいに怒られた。
けれど私は恋愛をできる人間ではない。
運命とは惹かれ合うもの、となにかの本に書いてあった。
お祖父様と翔。
私の狭い世界で私が大切に思うものなんてそれくらいで、あとはどうでも良い。
何にも惹かれない私では、誰かと惹かれ合うことがない。シンプルだがあまりに致命的な問題だった。
ならば、発想を変えてみよう。
惹かれる、という現象そのものを嘘で固めて作りだしてしまえば良い。
翔は背が高く、少し着込んで顔を隠せば大柄な男性に見えなくもない。
もしも本当に痴漢として翔が捕まっても、それくらいの出来事ならばお祖父様の手を借りずとも揉み消せる。
こうして私の運命の人探しは始まった。
電車に乗って、男装した翔に私の尻を触らせる。
すぐに上手くいくと思っていた。
だって、本にはこういう運命の出会いが幾つも書かれていた。本の中では、誰かが私を助けてくれて、私とその人は恋に落ちるものだった。
しかし現実は上手くいかない。
男装した翔が怖すぎるのか、結構派手にやらせているのに誰もその痴漢を指摘しようとしなかった。
時間や電車を変えて試してみても結果は同じ。
どうしてこんなに上手くいかないのか、不思議に思いながら窓ガラスに映る自分の顔を見て、その理由に気が付いた。
そこに映る私は、気味が悪いほどに無感情な顔していた。
尻を触られ、体に性的なイタズラをされているのにまるでそれをなんとも思っていないかのような、平然とした顔。
咄嗟に嫌がる顔を、なにかに耐えるような顔を作ろうとしたが上手くいかない。
もしも今私の尻を揉んでいるのが翔じゃなかったらと考えても、そんなもの別にどうでもいいとしか思えない。
興味無い相手から何をされても何とも思えない。そして、誰にも興味を示すことが出来ない。
こんな顔の女を助ける気なんて、きっと漫画のヒーローだってなりはしないだろう。
助けを求めるなんてこと、これまで一度も考えたことすらなかったのだから。
それに気がついて、私はこれで最後にしようとその日は平日の昼前、少々田舎の電車に翔と共に乗り込んだ。
同乗者はただ一人、完全に遅刻ではあるが学校に向かっているであろう真面目なのか不真面目なのか分からない学生。
どうせ彼も私に声をかけることはないだろうと、翔に尻を揉ませながら私は窓に移る彫刻のような自分の顔をただ眺め──────。
「あの、それ痴漢です……よね?やめたほうがいいんじゃないんですか?」
それがたった一つの、私達の仕組まれた運命の始まり。
彼の名前を調べて、学校を調べて、次の日には転校できるように無理やり押し通して。彼を運命の人に仕立て上げると決めたのだ。
担任の先生に彼が知り合いだと言ってくじ引きの中身を操作してもらって、偶然隣になったように装って。
良い顔をして、運命を仕組んで、好きになってもらおうと、これが運命なんだと思わせようとして。
別にさだめくんに不幸になって貰いたいのではない。
むしろ、数多星家の人間になれれば彼は世間一般的には逆玉の輿と言うやつで、勝ち組と言うやつになれるのだから心配することは無い、そのはずだったのに。
「俺は、世界の誰よりもひとつさんを愛せます!」
言ってなんて頼んでもいないのに。
無表情でつまらない、惹かれ合うものの何も無い私を愛せると、耳が痛くなるくらいの大声で宣言した。
彼は優れた人間では無いし、正義感が強い訳でもない。
人並に優しく、人並に臆病で、でも人よりも相手をよく見ている。
私の貼り付けられた微笑みも、翔の前でだけしか見せたことの無い怒り方も、突然変なことを叫ぶ彼に対する混乱も。
貴方はしっかりと私のことを、数多星ひとつを見てくれていた。
「ねぇ、翔」
「なんですかお嬢様」
「運命って、本当にあるのかしらね?」
私達の間にあるのはきっと運命ではない。
私が作り出した運命のように見えるだけの、お見合いや政略結婚と何ら変わりない、私のエゴそのもの。
掌に残った
空に浮かぶ月を眺め、貴方はこの
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