唯一無二のお爺様
「久しぶりじゃのうひとつ!儂と二人きりでお話ししたいとはなんじゃなんじゃ!?かわいい孫のひとつの頼みなら儂は小国までなら買ってやるぞ~?」
エレベーターの扉が開くとそこにはすっごい孫に甘そうな老人がいた。
御年70近い高齢ながら、いろんな意味で老いを感じさせない若々しい在り方をしているその姿を、テレビとかでたまに見かけたことを思い出す。
目の前の老人こそ数多星グループ現代表、
「……私以外だったらどうしたの?数多星グループ最大の恥部であるその姿をまさか私以外に晒す気で?」
「安心せい。こういうところはセキュリティがちゃんとしとるから、誰が来るかの確認ができるようになっとるんじゃよ」
「それならいいけど。祖父のこんな恥ずかしい姿見られたら、私首を掻っ切って死を選ぶ……」
大きくため息を吐きながらそう言う数多星さんと目が合った。
彼女は無表情のまま懐からペンを取り出してゆっくりとそれを自分の喉元に……
「ストップ!!!俺は何も見てません!見てませんから!!!」
全力で自害を防ぐべく数多星さんの手を掴むが思いのほか力が強い。
陶芸品のような力を籠めたら折れてしまいそうな腕を、高校生男子が情けなくも全力で握りしめて止めるのが精いっぱいとは、マジで死ぬ気だったのかよ数多星さん。
「そういえばその男は誰じゃひとつ?今日は二人きりだと聞いていたんじゃが?」
流石大企業の社長は肝の太さが違うのか、それとも数多星家ではこれが日常茶飯事なのか。
孫娘の自殺未遂を目の前にしても唯一さんは一切動じず俺の方に視線を向けてきた。
というか、数多星さん俺の事お祖父さんに話してないの?
「ふむ、そちらの青年まさか。……恋人とかいうわけではあるまいな。ひとつ」
唯一さんの表情が瞬時に切り替わる。
優しい笑みで彩られていた顔から温度が抜け落ち、まるで氷のように冷たい瞳が俺を人間ではなく、商品として価値を計るように見つめ回す。
同時に数多星さんにも目を向けているが、その視線も既に祖父として孫を甘やかすものではなく、部下に状況報告を求める上司としての、極めて事務的な感情が籠っているように感じる。
「はい。今日はお祖父様に彼を紹介したいと思いって。こちら、私と結婚を前提にお付き合いをしている、洞桐さだめくんです」
だが、大の大人ですら気後れしてしまいそうな圧迫感の中で、ペンを懐のしまった数多星さんは堂々と、何一つぼかすことなくそう声にした。
「あま……ひとつさんと結婚を前提にお付き合いさせていただいている、洞桐さだめです。よろしくお願いします」
「普段は私が恥ずかしいので苗字で呼んでもらっているけれど、二人きりの時はひとつさん、と名前を呼んでくれるのよ」
数多星さんが二人いるこの場所で数多星さん、と呼びそうになって慌てて言い直した俺をすかさず数多星さん改めひとつさんがフォローする。
「洞桐さだめくん。君、特技は?」
「特技、ですか?」
突然の質問に戸惑い思わず聞き返してしまい、その一つのやり取りで唯一さんの顔が僅かに険しくなる。
「君がひとつに、数多星グループに貢献出来る資質と言ってもいい。君がひとつに与えられるメリット、それを教えて欲しい」
これだから大企業の社長というのは。
如何にも大事そうで実際大事だけど突かれると痛いところを的確に突いてくる。
特技なんてあるわけないし、メリットと言っても俺が数多星さんに与えられるメリットってなんだ?
言葉に迷い喉の水分が少しづつ失われていく感覚の中で、先程の自殺未遂の流れで繋がれた数多星さんの指が僅かに動く。
これは……掌の中に指で文字が書かれている感覚がする。
なるほど、こうして数多星さんの指示通りのことを言えばいいんだな。
バレないようにやっているせいか指の動きは小さい上に速く、文字を正確に感じ取ることは難しいが数多星さんの指のきめ細やかな肌がその存在をしっかりと俺に伝えてくれる。
「俺は、世界の誰よりもひとつさんを愛せます!」
数多星さんの指示通りに、俺は胸を張って出せる限りの大声でそう宣言した。
その瞬間、俺は数多星さんの二つ目の感情を目の当たりにした。
「………ぇぇ?」
急になにやってんのコイツ。
そう言わんばかりの、混乱した顔。
え、だってそう言えって伝えてこなかった?
そういう事かと思って叫んだは言いものの、数多星さんの表情を見る限り俺は何かを決定的に間違えてしまったっぽい。
「……そうか。ひとつ、お前はこんな男の何が良いんだ?」
こんな、って言われちゃってる。
明らかに唯一さんの中での俺の評価が下がり、コイツに話を聞いても意味は無いと判断されたのか話は数多星さんの方へとふられてしまった。
「え、えっと、ひとつくんは……電車で痴漢されている私を助けてくれたから……」
「それで、他には?」
「そ、その時にこの出会いが運命とか、かっこいいことを言ってくれて……」
俺の予想外の発言のせいか、目に見えて数多星さんは狼狽えていて、発言にもあの堂々としたキレがない。
「他には?」
「……さだめくんは、私のことを神話のお姫様みたいだって言ってくれたのよ!」
そんなこと言って……いや、言って、言ってはない!
勝手に数多星さんが心を読んできただけで口には出していない、はず!
「意外と大胆なんじゃなお主」
違うんです、と言いたいところだがここはそういうことにしといた方がいいのか?
心なしか、唯一さんが俺に向ける視線が柔らかくなったような気がする。
「そう、彼は大胆なんです。臆病に見えるけれど、私のことをよく見てくれているの」
その些細な変化を見逃さなかったのか、畳みかけるように数多星さんの舌が回り始める。
彼女らしい美しくて、完璧すぎて作り物めいている美辞麗句の嵐。
「まだ出会って日は浅いけれど、彼は私のことを第一に考えてくれていて、気弱そうに見えるけれどそれは優しさで、声の小ささだって私の耳に配慮してのことで」
物は言いようだなぁ、と傍目に思った。流石は社長令嬢もとい社長孫娘、口の達者さは祖父譲りなのかもしれない。
事実を歪曲し、脚色し、それらしく整えた言葉の数々。天然の宝石より研磨されたそれの方が魅力的であるように、彼女が語る俺は実際の俺と比べて随分といい奴そうに聞こえる。
「そしてなにより……なにより、彼は、洞桐さだめくんは」
そんな彼女の言葉が、突然躓いたかのように途切れた。
俺の顔をまっすぐ見て、何かを思い出すように、そしてようやく出てきた続きの言葉は、先ほどまでとは打って変わって拙い語り口になってしまっていた。
「私を、ひとつをよく見てくれるんです。たった一つの私を見て、たった一つの私を考えて」
様子がおかしいと俺にですらわかる。
急に一体どうしたのか、かと言って俺にできる事は何もない。
ただ、そんなふうに思ってくれていたのなら、と。
繋いだ手を握り返して、彼女が言ったようなたった一つの数多星ひとつを見続けた。
「ひとつを、運命の相手だと、認めてくれました。だから私は、私は……」
「痴漢から助けてくれて、情熱的な愛の告白をしてくれた男と、偶然にも転校先で再会。同じクラスに隣の席。まさに運命、だから結婚とな?」
かすれるような声は音にすらならず、唯一さんのその質問に数多星さんは首肯で答えた。
常識的に考えればおかしな話だ。確かに劇的ではあるが、論理的ではない。
頷いてしまいそうになる言葉の勢いも、すっかり縮こまってしまった
感触は最悪。
難しい顔をして俺達を見つめる唯一さんから飛び出してくる言葉を、まるで死刑執行前の罪人のような気持ちで待ち続ける。
「……ロマン」
「ろまん?」
「ロマンチックで劇的なラブじゃなぁ!儂はお前にそんな恋をしてもらいたかったんじゃ!まさに、運命!!!」
厳格な雰囲気が吹き飛んで、先ほど最初に数多星さんに話しかけたときの愉快な老人の雰囲気で、唯一さん満面の笑みで飛び上がった。
「洞桐さだめ、いやさだめ
「は、はい!」
「これからも孫娘のことを頼んだぞ」
何が起きたのかはよくわからない。
たった一つ確かなことは、俺と数多星さんはお祖父さんの許可を得て、正式にお付き合いすることになったということだ。
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