たったひとつのご挨拶


 不思議な女の子だとは思っていた。

 作り物のようで、俺の世界の何もかもを一瞬でめちゃくちゃにしてしまった女の子、数多星ひとつ。


 けれどまさか、世界的大企業社長の孫娘なんて、そんな住む世界が違う存在が俺の『運命の相手』として目の前にいるなんて。


 現実味がなさ過ぎて、もしかしたらなんて考えすら湧いてこなかった。だが冷静に考えてみれば、数多星なんて珍しい苗字の時点で気が付くべきだったかもしれない。


「……ん、あら私ったら。客人の前で眠ってしまうなんて不覚」


「その割には車に乗ってすぐに眠ってませんでした」


「ふふ。実は昨日は明日さだめくんに会えるからとワクワクして眠れなかっ」


「お嬢様は嘘をつかないので今の冗談を訂正しておくと、昨日は転校に関する手続きで眠れなかっただけ……」


「翔?」


 数多星さんの細長く、体重を支えるのがやっとそうな華奢な足が運転席を思いっきり蹴りつけた。高級そうな内装にくっきりと足形が付いており、一瞬激しさを増した車の揺れがその威力を物語っている。


「……でも、お嬢様は嘘をつかないので」


「えっと、いいんじゃないんですか。主従互いに信頼し合っているんですね」


「私は乙女の秘密を暴露した召使いへの信頼が失われかけたところだけれどね」


 おしとやかなに微笑む数多星さんであるが、額に青筋が浮かんでおり明らかに怒っているのがわかる。


「……ふふっ」


「あら、どうしたのかしらさだめくん。何か面白いことでも?」


「あ、いや。なんというか、初めて感情が見えたなぁって」


 初めての印象は生きた彫刻。

 そんな何もかも作り物めいていた数多星さんの、作り物ではない本物の感情が見えた気がしてなんとなくおかしくて、少し嬉しくてつい笑ってしまった。


「数多星さんって怒ったらそんな顔するんですね」


「……私は怒ってないわ。ただ、余計なことを言おうとした召使いを黙らせただけ」


「それを怒ってると言うんですよ」


「これが、怒り……?」


「マジで理解してなかったんですか?」


 まさか感情を自覚する言葉をロボット以外から聞くことになるとは。


 そんなくだらないやり取りをしている間に車はどこかの駐車場に停車し、目の前にはこの辺りで一番の高級ホテルの姿があった。


「お祖父様は忙しい方なのだけれど、私が婚約者を紹介したいと言ったらホテルを予約して飛んできたのよ」


「へぇ。仲が良いんですね」


「正直さすがに社業を優先して欲しいというか気持ち悪い」


「仲悪いんですか?」


「一般的な祖父と孫娘の関係程度だと自認してるわ」


 なんの迷いもなくずんずんと突き進んでいく数多星さん。

 その後ろを歩幅を合わせて付いていく蜂麓さん。

 そして、気後れしながらも置いていかれないように付いていく俺。


 ホテルの内装や、中にいる人たちもみんな俺なんかとは生きる世界が違う感じがする。


「本当に、数多星さんってあの数多星グループの社長の孫娘なんだな……」


「信じてなかったの?」


「信じるも何も、今さっき車の中で知ったからね」


「……え?」


 祖父の元に向かう足を止め、蜂麓さんを押しのけ俺に近づいてくる。背丈の関係上、彼女が俺を見上げる形になるのだがなんとなく見下ろされている気分になる。


 ……そう言えば、さっきの話の時数多星さんは寝ていたんだった。


「言ったわよね。私、去り際に数多星ひとつって自分の名前言ったわよね」


「いやあの時はよく聞こえなくて……」


「クラスで自己紹介もしたじゃない」


「まさかその数多星だと思わなくて」


「つまりさだめくんは、今の今まであの数多星の家の婿になれるチャンスだとか全く考えずに、ただいきなり婚約者を宣言していた頭のおかしい女の言うことを聞いてなんのメリットも無いかもしれないのに付いてきていたの?」


 付いてきていたというか、連れてこられたってのが正解なんだけどね。


 でも確かに、本気で抵抗すれば逃げられたかもしれないのにそうしなかったのは何故だろう。

 そりゃあ幾ら急でもこんなに可愛い子の婿になれると言われたら満更でもないだろうが、やはりそれ以上にだ。


「せっかく俺を必要としてくれているんだ。運命だなんて言われたら、なんだか断れないなって」


「……それだけで。こんな頭のおかしい状況に付いてきてたの?」


「だって、数多星さんの言う通り本当に色々と運命的だったし、誰かにこんなにも求められるのって、悪い気しませんから。と言うか、頭おかしい自覚あったんですね。なんか安心しました」


 笑いながら誤魔化すが、数多星さんの眉が不機嫌そうに弓がしなるように曲がってみせた。しまった、さすがに頭おかしいは言い過ぎだったか。


「ここまでお人好しというか、断れない性格だったとは。予想外過ぎて少し情けないとすら思うわ」


「わかります。さだめって情けないところが多くて正直いった!?お嬢様本気で蹴りましたね!?翔の空をも翔る健脚を!」


「ここから先は婚約者と私とお祖父様の家族水入らずの会話をするので、使用人は車に戻って空調の温度を丁度よく調整でもしてなさい」


「……はーい。お嬢様のご命令の通りに」


 しぶしぶと、足を軽く引きずりながら蜂麓さんは去っていく。

 去り際にこちらを向いて親指を立てて笑っていたが、一体何を伝えたかったんだろうか。


「蜂麓さんとは、仲良いんですね」


「まぁ彼女は生まれた時からそばに居るから姉みたいなものよね」


 生まれた時から使用人がいるとか本当に御伽噺みたいな話が当然のように数多星さんの口からは飛び出す。


 このままいけば、俺はそんな絵本の中の登場人物のような大企業の社長に、娘さんとの婚約の挨拶をすることになる。


 ……よく考えたらおかしい。

 いや、よく考えなくても出会って24時間と少ししか経ってないし、俺の両親は数多星さんのことを知らないのにこうなるのは確実におかしい。


「そうだ、さだめくん。お祖父様に会う前に二つ覚悟して欲しいことがあって」


「なんですか。もう俺は数多星さんが実は男とか言われても動じないくらいもう覚悟決まってますよ」


「……」


「ちょっと待って、なんで黙るんですか?冗談ですよね」


「全然覚悟できてないじゃない……」


 呆れたように溜息を吐きながら、数多星さんは俺の首元へと手を伸ばしてきた。


「制服の襟、乱れてますよ。お祖父様は老が……古き良き大和男児なのでめんど……厳格な性格をしています。決して弱みは見せてはいけません」


「やっぱり仲悪いの?」


「……それにしても、こうして制服の襟を直していると、まるでネクタイを結んであげる新婚さんのようですね」


 明らかに誤魔化しにいったが、そこは触れない方がいいのだろう。

 新婚さんみたい、と彼女は言うがもしも本当に彼女の言う通りのように事が運んだら、俺たちは新婚さんになるのだ。


 何もかも現実感がなくて、物語の世界の事や夢幻の作り物のようで。

 もしも帰ったら家族にはなんて説明しようとか、いろいろ思考だけは回って



「大丈夫よ。私とさだめくんは運命で結ばれているんだもの」


 そう言いながら数多星さんが俺の手を握ってきた。

 シルクのハンカチのような滑らかな手触りの小さな手が、体温を伝えるように指を絡めてくる。


 今心配しているのはその『運命』をどう説明しようとかそういうことなんだけど、いったん考えるのはやめておこう。


 何も取り柄がなくて、クラスメイトに名前も覚えてもらえないくらい目立たなくて、そして声も小さいらしい俺を、彼女は運命と定めて信じてくれている。


 とりあえず今後がどうなるかは置いておいて。

 数多星さんがしてくれている期待には応えられるくらいの人間にはなりたい。


 握ってくれた手をやさしく握り返し覚悟を決める。

 いよいよ、世界的大企業数多星グループの現社長、数多星唯一への婚約報告だ。




「その前に、一ついいですか数多星さん」


「なにかしら?」


「覚悟しておいてほしいこと、二つって言ってたけど一つしか聞いてないんですけど」


「……行くわよ」


「待って!怖いから確認させてくださいよ!俺は何を覚悟すればいいんですか!」








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