めぐり、めぐる

「おはようございます、今日もいい天気ですよ」

 カーテンを開け、太陽の光が患者のベッドを照らす。いつも通り、彼女からの応答はない。それもそのはず、彼女はただ生命維持だけを行っているだけの植物人間なのだ。それでも声をかけていないと、彼女が人であることを忘れてしまいそうで怖い。何年たっても、この状況に慣れることはないなと、自分の精神の健全さに安堵する一方で、いっそ慣れてしまいたいのにと心が疼く。

 忘却治療の記憶の移管先、いわゆる受け皿は、身元引受人が不明な植物状態の患者だった。当初は人権侵害だという批判が多かったが、社会保障や経済効果などを勘案した結果、忘却治療の拡大が優先された。今は重度の精神疾患を持つ患者以外は自費だが、国会では全患者の保険適用に向け、前向きな議論が繰り広げられている。その時、受け皿となる対象としては、身元が分かるが経済的な意味で生命維持が難しい患者があがっている。「受け皿給付金」という形で毎月助成金が出るので、生命維持費を抑えながら、回復を待つことが出来る。考えようによっては良いプランだと思う。

 ただ、他人の記憶が植え付けられた患者を実際に見てから議論してほしい。ごく稀にだが、突如目を覚ます患者は存在する。身内がそんな状態になったら、はたして耐えられるのだろうか。忘却したい記憶とは、言葉の通り忘却したい記憶なのだ。


 それはいつもの朝だった。忘却治療がはじまり、数年たった頃合いだった。はじめは精神科の看護師である自分が介護士のような仕事をするのは不本意だったが、その分給料が上積みされたので異論はなかった。むしろ、何も会話がない患者の方が、突然泣きわめく精神不安定な患者よりも楽だとさえ思った。もともと当院はうつ病中心の診療を行っていたが、いまや忘却治療が軌道に乗り、都内有数の忘却治療専門の病院に生まれ変わっていた。

「おはようございます」

 いつも通りに淡々とルーティンをこなす。栄養補給のための点滴を変えていたとき、患者が瞬きをしたのが見えた。植物人間の基礎的な反射はよくあることだったので、気にも留めなかった。病室を後にしようとした時に、荒々しい呼吸音が聞こえた。臨終かもしれないと慌てて振り向くと、患者ははっきりと目を開けていて、天井に手をのばしていた。何か叫ぼうとしているようだが、しばらく発声していないからか、うまく声にならない。すぐにナースコールをし、先生を呼んだ。このような状況ははじめてだったので、先生もかなり慌てていた。そして、患者の耳元で「ここは安全です」と繰り返し囁いていた。

 後から聞いてみると、数週間前に虐待された記憶や自殺した親を発見した記憶など、忘却治療の中でもかなり重いとされる記憶を移管していたらしい。奥深くに移管したはずなのにと、先生は憔悴しきっていた。その受け皿となった患者はひっそりと別の病院に転院し、その後まもなく発狂して亡くなったそうだ。忘却治療をした側は個人情報の漏洩がなかったかを気にしていたが、公にしたくないという思いから訴訟には発展しなかった。この頃、急な需要の増加から受け皿が不足しはじめていた。急いで用意した分、精密な検査をしていなかったということが発覚し、結果的に先生への責任追及はなかった。しかし、それ以来、先生は悩み続け、やがてPTSDを発症した。忘却治療はもうやめるとしきりに呟いていたのを私はまだ鮮明に覚えている。

 ただ、現在も先生は忘却治療を続けている。医師という職業は高所得なものだったし、忘却治療は高額医療なのでかなり稼げる。先生の収入に頼り切っていた奥様は今までの生活レベルが維持できないということを受け入れられず、先生に忘却治療を受けさせた。そして同じリスクを伴わないよう、今も定期的にメンテナンスと称して忘却治療を行っている。先生はきっと定年になるまで忘却治療をし続け、され続けるのだろう。

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忘却治療 陣ちとせ @jin_chitose

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