正体
「そんな物騒なモノ、持ってきちゃダメですよ」
僕は彼女が持つ藁人形を指差して言った。
優馬の部屋に入ってきた小波渡円香は、お手製の人形を握りしめたままポカンと口を開けている。さっきまでの満面の笑みが嘘のようだ。
「ちょ……え……誰……?」
彼女は混乱したように室内を見回す。
「初めまして。僕は、こういう者です」
名刺を渡そうとしたが、円香は怯えたように後退った。
「優馬は、優馬はどこ!? あんた、何なのよ!」
「この家にはいません。今は安全な場所にいていただいています。僕は、貴女が優馬さんにかけた呪いを解くお手伝いをしている津久野と申します」
名刺を受け取ってはくれなさそうだ。
小波渡優馬は我が社の所有する宿泊施設に避難済だった。今、ミクから呪いの核の解呪に成功したとの連絡が入ったところだ。
円香が術者だということ、優馬が退院したと知れば何かしらアクションを起こしてくるだろうことを小波渡夫妻に伝え、ここに
室内の不自然さに気づかれないように軽い幻術を施していたため、円香は僕が声を発するまで優馬の幻影を見ていたはずだ。
「円香ちゃん……そんな……どうして」
部屋の隅に待機していた恵が蒼白な顔で口を覆った。
「義姉さん……」
恵の存在に気がつくと、円香の表情がスッと能面のようになった。
「バレちゃったんなら、しょうがないか」
一つ大きく息をつくと、クスクスと肩を震わせて笑い始めた。
「何でよ、何で円香ちゃんが」
「どうするの、警察にでも付き出す? 何て言って通報するの? 『アタシの大事な息子ちゃんを呪い殺そうとしてる女がいるんですう』って電話かける?」
恵の声に被せるように、円香の笑い声はどんどん大きくなる。
ふと、真顔になった。
「アンタのそういう悲劇のヒロインぶったところがずっと嫌いだったのよ!」
ほとんど絶叫だった。恵が耳を塞いで崩れ落ちる。部屋中に二人の女性の泣き声が響き渡った。
「私は捕まるようなことなんかしてないんだから。だからこれからも、アンタ達を」
「もう、止めなさい」
御札で円香の口を封じた。突然声が出なくなり、彼女は目を白黒させている。
何を話させたところで、今はどちらのためにもならないだろう。
拗れきってしまった絆を修復する術式を僕は知らない。
“小波渡優馬を呪いから解放する”……それが僕達に依頼されたことなのだから、粛々とそれを行うだけだ。
御札をもう一枚取り出し、円香の額に貼り付ける。彼女の身体が弛緩し、藁人形が手から落ちた。
円香の呪力を封じるために、あらかじめもう一つ術をかけていた。
チカラが弱すぎて封じられないのであれば、こちらから与える。
一度強化してから、呪力を封印するのだ。円香の力を一時的に活性化させる陣を玄関に敷いていた。
その影響で、彼女がこの家に入った瞬間、優馬に残っていた核が正体を現した。結果、ミクは解呪を遂行させた。
円香が恵への呪いにこめたのは「優馬が恵より先に死にますように」というものだった。円香自身は恵を呪っているつもりで、悪意の全ては優馬に向かっていた。それが“核”の正体だ。ターゲットは恵だったが、優馬に呪いが発動したのは必然と言える。
額の御札に右手をあて、力をこめる。
白い紙は青く燃え上がり、円香の額に吸い込まれるように消えた。彼女は床に力無く座りこむ。
「今日はもう、帰りなさい。貴女は休養をとった方が良い」
円香はゆっくりと顔を上げた。その目には先程の激情は残っていない。
力の封印自体は、至極あっけない作業だった。
ただ、気がかりは残った。
でも、特別な儀式や呪力を使わなくても、言葉の力だけで時に人は呪われてしまう。
それは怪現象に見舞われるようなものではなく、じくじくと心を侵食し人生を歪めていく、言葉の呪い。
親しい人に面と向かって悪言を浴びせられた時、傷つかない人間の方が少ない。
実際に生死の境を彷徨うほどの呪いを体験した後なら、尚のこと強く呪われてしまうだろう。
円香が作った藁人形には、何の力もこもっていない。だが、もし優馬がこれを見せつけられて呪詛の言葉を吐かれていたら、彼のこの先の人生は狂ってしまっていたかもしれない。
現に、円香の豹変を目の当たりにし、叫びを聞いた恵は心に何かしらの傷を負っただろう。
今は呪力の封印の影響で少し落ち着いたが、今後優馬にまた悪意の矛先が向かないとは限らない、そしてそれを止める術も権限も、
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