津久野 太一(つくの たいち)

 ピリピリした人だな、というのが小波渡こばとめぐみの印象だ。

 小波渡優馬が意識を取り戻してから数日後。

 小波渡家のリビングで、僕と波多家はだかミクは小波渡夫妻と向かい合っていた。調査報告と、今後の対応方針についての承諾を得るためだ。


 恵の吊り気味の目と細い眉が、彼女の刺々しさをより強く感じさせる。常に気を張り臨戦態勢で、小柄な身体で目一杯、何かを警戒しているような。

 我が子がいきなり原因不明の昏睡状態になったのだから、神経が過敏になっても当然なのかもしれない。自分にも似た年齢の娘がいる。僕も妻も、同じ目に遭えばもっと取り乱すだろう。

 対して夫の小波渡こばと優一ゆういちは、一言で言えば影の薄い人物だ。もっとも、僕のように自他共に認める地味で目立たない男には言われたくないかもしれないが。

 優一は打ち合わせの場でもほとんど言葉を発さず、こちらの意見に賛成なのか反対なのか、理解しているかどうかもよくわからない。

 自然と、恵の方と話を進める形になる。


「検査の時にもお話しましたが、優馬くんを呪っているのは“人間”っす」

 隣でミクが報告書を見つつ小波渡夫妻に説明する。彼女はあの日以来、小波渡優馬の体内に残る呪いを解呪する作業をする傍ら、分析も行っていた。

「それも、幽霊じゃなく生きた人間による仕業っす。相当強い恨みがこめられてますね」

 ヒュ、と小波渡恵が息を呑んだのがわかった。息子が強い恨みによって攻撃される事態など、普通の家庭なら経験も想定もしないことだ。どれほどの衝撃だろう。

 ミクの見解について、僕もおおむね同意見だった。霊的検査の際に少し触れた程度だが、アレは“何かのタイミングでたまたま怪異に行き合った”ようなモノではない。特定の人物を狙って、人為的に作られている。

「強い、恨み……」

 恵がミクの言葉の意味を確かめるように呟く。渡された報告書を握る優一の手は、ぶるぶると震えている。

「呪いを作り出した犯人は、プロじゃなくて素人だと思います。“呪い”はウチ等のようなチカラのある人間じゃなくても、わりと簡単にできる術なんで」

 ミクは淡々と続ける。

「ただ、誰でもできるんすけど、素人がやると失敗もしやすいんす。狙った相手に届くとは限らない」

「失敗、ってどういうことでしょうか」

 恵がミクの説明に割って入る。最もな疑問だった。ミクの説明の続きを僕は引き取った。

「まだ確定的なことは言えないのですが、我々は犯人の狙いは優馬さんではなかったのではないか、と考えています。素人が行ったものとはいえ、こめられた恨みの強さは相当なものです。普通に暮らしていた十六歳の子供がここまでの恨みを持たれるとは考えにくい。被害妄想の強い何者かに逆恨みされた可能性も捨てきれませんが、ターゲットの失敗の線も考慮して調査を行っていきたいと思っています」

「ターゲットの、失敗……」

 何かを考え込むように、恵は俯いた。優一はじっと報告書を読んでいる。恵の方を見向きもしない。

「優馬くんの身近にいる人物を狙っての“呪い”が、失敗して逸れてしまった結果、優馬くんが呪われてしまったかもしれないということっす」

 恵が弾かれたように顔を上げた。真っ青だ。

 珍しい事例ではなかった。呪術師のように呪いの扱いに長けている者でない限り、誰かを呪うという行為はその相手や効力のコントロールがうまくいかないことも多い。

「その場合、申し上げにくいんすが、優馬くんの非常に近くにいる人物が本来のターゲットだと思われます。たとえば」

「かぞ、く……?」

 ミクが言い終わる前に、恵が独り言のように呟いた。

「そうですね、もしくは、お友達」


「いいえ」


「え?」

 恵の声は消え入りそうにか細く、危うく聞き逃してしまうところだった。唇がワナワナと震えている。

 彼女は紙のように白くなってしまった顔を、ゆっくりと夫の方に向けた。

「おい、お前、どうした……」

 優一が恵を見て怯えた声を出す。

「私、です」

 再びこちらに向き直る。

 何かを告白するような口ぶりの彼女の目は、私達でなくどこか遠くを見ていた。

 

「呪ったのは」


 涙が一筋、溢れた。


「私です」


 小波渡恵は気を失った。

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