魔物狩り

提案

 二週間経っても、優馬の意識は戻らなかった。どんな検査をしても、異常が見つかることはなかった。

 あれからずっと優馬には会えていない。

 実はもう息子はあの後既に亡くなっていて、皆して私を騙しているのではないか。そんな考えが頭を支配して、夜中に飛び起きる。毎日のようにネットで医療情報を検索しては、あの子と同じような症状から回復した事例はないかと探し回る。

 日々が暗く塗り潰されていった。

 そんな時、病院からの呼び出しがあった。優馬の意識が戻った、という知らせではなかった。なら、どんな内容であっても喜ばしいものではないだろう。

 週末の午後、渋る夫を宥めすかし何とか連れ出した。


 私達は、応接室に通された。テーブルの向こう側には、院長ともう一人、スーツ姿の人物がいた。

 どこにでもいそうな、中年の男性。顔立ちも平凡で、これといった特徴の無い人だ。

 津久野つくの太一たいちと名乗ったその男は、柔和な表情を私達に向けた。

「『ハンター派遣』?」

 何をおこなっているのかよくわからない社名の入った名刺を渡された。夫も訝しげな顔をしている。

「順を追って説明します。どうぞ、おかけください」

 院長が話を切り出した。


 院長はまず、優馬がこれまでどんな検査を受け、結果がどうであったかを資料を元にしつこいくらいに解説しだした。

 それはすでに散々説明されてきたことだ。医療知識に乏しい素人の私ですら、とっくに理解していることばかりだった。

 この人は何を言いたいのか。わざわざ院長が場を設けてまでやることとは思えなかった。最初に配られたお茶は、手をつけられないまますっかり冷めてしまっている。

 話の真意が掴めずイライラしてきたところで、院長はやっと本題に進んだ。


「そして、ここからが本日ご相談したかったことなのですが」

 やっとか、とあからさまにため息が出てしまった。夫の態度も似たようなものだ。

「端的に申しますと、私は小波渡優馬さんが何らかの“霊障”にかかっているのではないかと疑っております」

 はあ? と声が出そうになった。

 霊? 私の聞き間違いだろうか。

「それは……その……わかるように説明していただけませんか」

 そう返すのが精一杯だった。

わたくしどものこれまでの経験といたしまして――」

 持ってまわったような口調が鼻につく、と密かに思う。

「優馬さんのように、肉体的な異常が発見できず意識が戻らない患者様の中には、ごくまれに霊的な問題が発見されることがございます。そこで、一度“霊的検査”を行うことをお勧めしたいのです」 

 ……私達は何を聞かされているのか。

 真面目くさった顔で、院長は続ける。恥ずかしげもなく。

「にわかには信じがたい話だということは重々承知しています。ですが、いわゆる“心霊スポット”に行った人間がその後に不自然に体調を崩す、というような現象が当院の患者様の中においてもこれまで幾人も確認されているのです。器質的な異常は見られないにも関わらず、何らかの疾患を思わせる身体的・精神的症状を」


 バン


 私がテーブルを叩いた音で、院長の話は遮られた。湯呑が倒れ、溢れたお茶がテーブルの上に広がった。

「つまり、息子は悪霊か何かに取り憑かれているとでも言いたいのですか? 原因がわからないから?

それで? 高額の壺か札を買って家に飾ればあの子は無事に目を覚ますと? 覚まさなければ別のお布施をすると良いのですか?」


 私はいつの間にか立ち上がっていた。全身の血が沸騰しているかのように身体中が熱かった。

「ふざけないで! こともあろうに総合病院の院長が、患者家族の心につけこんで霊感商法なんて!」

 自分にここまでの声量があったかと思うほどの叫び声だった。

「私は今、至極しごく真面目にお話させていただいています」

 院長は、私の目を真っ直ぐ見つめている。怒るでも、謝るでも、笑うでもなく。

 私のように怒りだす家族など慣れっこなのだろう。堂々とした態度を取り続けて真実味を演出しているつもりなのか。

 私は勢いバッグを掴み、扉に向かった。


「髪の毛」


 それは、よく通る声だった。

 最初の挨拶以来ずっと沈黙していた津久野の発した言葉だ。決して大声で叫んだわけではなかったのに、私の頭の中に響き渡る音だった。

 思わず振り返る。

「優馬さんが倒れた際、大量の髪を吐き出したという証言を複数聞いています。彼は、しょくもう症だったのでしょうか」

「それは……」

 木矢部君が、しきりに「髪が」と言っていたことは覚えている。医師にも異食について聞かれた。

 私の前でそんな様子はなかった。でも。

 優馬が髪を食べるなんてあるはずがない……と断言する自信は、正直なかった。だから、その時は「わかりません」としか言えなかった。

 極度の精神的ストレスにより、髪を食べる事例があるのだという。テレビでも特集を観たことがある。

 

 極度の。

 無意識に夫に視線を向けていた。彼は席を立つ機会を失ったまま、私と津久野のやり取りを呆然と眺めている。

「私は、優馬さんは違ったと思っています」

 津久野の声は確信に満ちている。この男は何者なのか。

 院長が身を乗り出して話し出す。

「もし日常的に食べていたのだとしたら、毛髪が歯の間に挟まって残ることが考えられます。ですが、優馬さんの口内にはありませんでした。少なくとも倒れる直前に口にした可能性は低い。その後の排泄物の中からも発見されていないようです。自身で髪を抜いた形跡もなく、頭皮どころか全身の皮膚はとても綺麗な状態とのことです」

「それなら……なら、あの子が吐いた髪は……」

 声が上擦る。

「どこからやってきたのでしょうね」

 まるでその答えを知っているかのように、津久野は私に問いかける。

 さっきまでの気勢はそがれ、私は津久野に向き直り、彼の話を聞く態勢になっていた。


「その疑問を解く手助けになるかもしれないので、先程も院長からお話があった“霊的検査”をさせていただきたいのです。私達、“魔物狩ハンターり”に」


 私は着席しなおした。

 夫は、ずっと座っている。



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