第10話

 僕はヒワタの言いつけを破って、クッシーロ監獄の門を叩いた。

 昨日の門番に頭を下げ続け、ようやく門の中に入れた。


 高い塀のある広場の中心には痩せ細った囚人を囲む看守たちと昨日の典獄てんごくがいた。

 典獄てんごくの手には冷気を放つ洗練された美しさの刀が握られている。


「罪人は店の飲み屋で暴れ回り、一人の命を奪ったかつての英雄様だ。罪名は殺人罪。貴様を氷結刑に処す」


 典獄てんごくが刀を振りかぶり、囚人は固く目をつむる。


 彼は確かに罪を犯したから適切に裁かれるのが正しいのだろう。

 しかし、昨日の悲しげなヒワタの顔を思い出すと体が勝手に動いていた。


 処刑台まで跳躍し、典獄てんごくの前で両手を広げる。


「これ以上、その刀を悲しませる行為をやめてください!」


「昨日の小僧か。早くつまみ出せ」


 僕の両腕を掴む看守の力が強くて振りほどけない。

 自分一人ではどうすることもできず、叫ぶことしかできなかった。


「彼女を悲しませないでください!」


「彼女? 何を馬鹿なことを。邪魔するなら貴様から氷漬けにしてやるわい」


 寒刀かんとう氷綿ひわた』の切っ先を向けられた途端、言い様のない寒気に襲われて膝が震え始めた。


「……これが十刀姫じゅっとうきの威圧感」


十刀姫じゅっとうき? 何を言っている、これは危険刀きけんとうだ。……貴様、何を知っている?」


 突きの構えで腰を低く落とした典獄てんごくを睨みながら抵抗するが看守二人をほどけない。


 ゆっくりと迫る切っ先が僕の腕を薄く切り、生温かい血液が指先を伝って流れ落ち、足元の雪を溶かした。


「次は本気だ。この寒刀かんとう氷綿ひわた』が刺されば最期よ。体が凍り始め、じわじわと体温を削られて死に至る」


 典獄てんごくの言う通り、腕の傷は凍って塞がったのか既に出血は止まっていた。


「もうヒワタに人殺しはさせたくない。二度と苦しませたりしたくない」


「刀はただの道具にすぎん。最後までおかしなガキだったな。家族には『このクッシーロの寒さに耐え切れずに凍死した』と伝えておこう。安心して逝け!」


「僕は死なない!」


 叫んだ瞬間、胸の奥が心地のよい熱を帯びて心臓が跳ねる音が体中に響いた。


「無茶をしてるわね。こんなところで死なれると困るのよ」


 聞き慣れた声を知覚した時には既に僕を拘束していた看守がよろけていた。

 

 とっさに飛び退くと僕は響刀きょうとう美蘭ヴィオラ』を握っていた。

 追撃するように放たれた寒刀かんとう氷綿ひわた』の突きを響刀きょうとうの鞘で受け止める。


「ヴィオラ!? どうやってここに!?」


 返答は頭の中にだけ響き、彼女がいかに野蛮なやり方でここに侵入したのかを知る。


「分かったよ。さっさと終わらせて暖かいお風呂に入ろう。いくぞっ!」


 典獄てんごくから距離をとり、抜刀していつものように構える。

 刀身を長時間の雪に晒すわけにはいかないから一気に決めるつもりで腕と指を動かす。


響刀きょうとう美蘭ヴィオラ』、格式奥義かくしきおうぎ――剥牙絶弦はくがぜつげん


 突き刺さなければ最大の力を発揮できない寒刀かんとう氷綿ひわた』と違って、響刀きょうとう美蘭ヴィオラ』は遠距離攻撃が可能だ。

 この状況なら圧倒的に僕の方が有利だ。

 典獄てんごくや周囲にいる看守たちの戦意を削り取るつもりで右手を動かし続ける。


「ギヤァァァアァァァ!!」


 彼らの叫び声は監獄内に響き渡り、それを聞いた囚人たちも恐怖で身を縮こまらせながら奥歯をガチガチと鳴らしていた。


「これ以上続けるなら心を壊します」


 典獄てんごくの震える眼球を見下ろし、脱力した彼の手から寒刀かんとう氷綿ひわた』を奪い取る。


「もう殺さなくていい。僕はきみの鞘を持っている。これから残りの八人を探すつもりなんだけど、一緒に来てくれない?」


 寒刀かんとう氷綿ひわた』は僕の手から離れ、昨日出会った雪女のような姿となって地に足をつけた。


「な、なんだ!? 刀が人の姿になっただと!?」


 クッシーロ監獄の人たちはヒワタの存在を本当にただの刀だと思っていたようだ。

 驚く典獄てんごくたちを前にヒワタが膝から崩れ落ちる。


「私を許していただけるのでしょうか」


「許すもなにも、あなたは自分の意思で人を殺してきたわけではないはずだ」


「逃げ出すことはできたのに、そうしませんでした」


「ヒワタは義理堅いから何か理由があるはずだ、とヴィオラが教えてくれました。これから先は悲しませたりしないと約束します」


 ヒワタは綺麗な瞳から涙を流し、僕の手を取ってくれた。


「刀が人になるなど聞いたことがない。わしを、クッシーロ監獄を捨てるのか!? 今更、善人になれると思うなよ! 貴様も同罪だぞ!」


「先々代の典獄てんごく様へのご奉公は果たしました。今日限りでこの生活を終わりにして、サヤ様の刀となって罪を償います。まずはあなたを」


「止めろ、そんなことは許さん。絶対に許されんのだ!」


 期待の目を向けるヒワタに向かって首を横に振る。

 僕には刀を振る才能がない。


 足元を凍らされて身動きが取れない典獄てんごくに向かって一直線に刀を進ませるだけだ、と言われてもすっぽ抜ける自信がある。


「試してもいいけど、かっこ悪いことになるよ?」


 この緊迫した状況をぶち壊す真似はできない。

 渋々納得したヒワタは擬刀化ぎとうかを解いたヴィオラの元へ歩み寄り、にっこりと微笑んだ。


「久しぶりですね、ヴィオラちゃん。すぐに済むので私を握って、突き刺してください」


「しょうがないわね」


 つまらなさそうに立っているヴィオラが擬刀化ぎとうかした 寒刀かんとう氷綿ひわた』を握る。


「やめろ、来るな! わしはクッシーロ監獄の典獄てんごくだぞ!」


 そして、往生際の悪い典獄てんごくの前にしゃがみ込み、冷めた声でささやいた。


「うるさいのよ、小物風情が。弱者は黙って言うことを聞きなさい」


 サクッという表現が適切だろう。


 何の抵抗もなく体の中に進んでいく 寒刀かんとう氷綿ひわた』を中心に典獄てんごくの体が凍り始め、最後には断末魔さえも閉じ込めてしまった。


 絶対にヴィオラとヒワタを怒らせないようにしようと誓った瞬間だ。

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