第9話
帝国の最北端とだけあって上着がなければ外出が難しくなってきた。
曇り空から降ってきた雪が鼻先に触れて溶ける。
「ここから先は刀の姿で鞘に納まっててくれないかな?」
「なぜ?」
「なぜって。ヴィオラの存在がバレるのはよくないと思うんだよ。それに、変な男に言い寄られても困るし」
「ふぅん。意外と束縛するタイプなのね」
最初は不機嫌そうだったヴィオラだが次第ににやけ始めた。
「いやよ。隣を歩きたいもの」
「でも、ほら寒くなってきたし風邪をひいても困るから」
「わたしは病気にならないから安心して。むしろ、あなたの方が心配だけど?」
挑発的な笑みで見上げてくるヴィオラから視線を外すと、こんな寒い中にもかかわらず薄着の女性が店の前に立っていた。
「あら、お兄さん。こんな寒い日は人肌で暖まるのが一番よ。安くするからどう?」
お色気たっぷりのお姉さんに声をかけられて戸惑う僕は足を止めてしまった。
彼女の後ろには看板が立てかけられてあり、その建物が
「いや、僕は――」
「結構よ。こと足りているわ」
僕が答えるよりも先にヴィオラが
なにを怒っているのか分からないけど、そこまではっきりと客引きを断ってくれるのはありがたい。
愛想笑いを返していると腕を引くヴィオラが振り返りながら喚き始めた。
「まったく、あなたという人は! こんな最北の地まで来て、別の女の尻を追いかけ回すつもり?」
「そ、そんなつもりはないって! 機嫌直してよ、ヴィオラ」
より一層絡ませる腕に力を込めたヴィオラが「わたしがいるのにね」と上目遣いで挑発的な笑みを向けている。
これ以上、口を開いてまたボロを出しても嫌だから無視していいかな。
町を離れると雪原の中に巨大な要塞の影が現れた。
これが極悪人収監施設、クッシーロ監獄。
「やっぱりヴィオラをこんなところには連れて行けないよ。それに帯刀しながらなんて論外だと思うから、ここからは一人で行くよ」
「へぇ。それでわたしにどうしろっていうの?」
「町の宿屋で待っていて欲しいんだ」
不服そうなヴィオラに腰から抜いた九本の鞘を渡す。
ヴィオラが抱きかかえた鞘越しに僕を睨みつける。
「子供扱いしないで。わたしの方が年上なのよ」
「分かってるって。だからお願いしてるんじゃないか。一人でお留守番できるよね」
「だから! それが子供扱いだって言ってるの!」
「じゃあ、頼んだよ」
ヴィオラを一人にするのは不安だけど、監獄の人に没収されるのだけは避けたい。
頬を膨らませるヴィオラを宿に送り届け、一人で雪原を進むと想像よりもはるかに強い不安感が押し寄せてきた。
ヴィオラが隣に居ないだけでこんなにも変わるのか。
でも、カッコつけたからには最後までやり遂げないといけない。
自分を鼓舞して、背丈よりも高い門を見上げると何も悪いことをしていないのに息が詰まるような感覚と緊張感に襲われた。
覚悟を決めて併設された施設に向かって頭を下げる。
「なんだ小僧。ここはお前のような子供が来る場所じゃないぞ」
「えっと、ここに
「……何者だ?」
「僕は傭兵です。各地に散らばった
「誰からの指示だ?」
この様子だとまだゼィニクたちは来ていないとみた。ここは一か八か賭けてみることにした。
もしも失敗したら、ヴィオラに頭を下げよう。
「傭兵部隊【ブレイブセメタリー】のゼィニクから別行動を言い渡されています。それ以上は言えません」
「皇帝直轄部隊ならエリートじゃないか。無礼を詫びよう。許してほしい」
ゼィニクってすごい人だったんだ。
僕も実はすごい部隊に所属していたのだと今更ながらに気づく。
そう言われると世界に三人しかいない勇者の一人だから当然なのかもしれないが、それならそうと教えて欲しかった。
巨大な門に取り付けられた扉が開かれる。
丸腰では不安だけど、さすがに囚人たちが襲ってくることはないだろう。
監獄の中を案内され、ひときわ豪華な扉の中へ入ると立派な髭をたくわえた初老の男性が腕組みをして待ち構えていた。
「
「本当に皇帝陛下の
いつもより堂々としているつもりだけど、まだ足りないようだ。
でも、ビンゴだ。
「だが断る。明日の処刑が済むまでは絶対に渡さん。何よりも刑を優先せよと仰せつかっているのでな」
「処刑!? ヒワタに人を斬らせるつもりですか!?」
「おかしなことを言う。刀なのだから当然だろう」
喚こうが抵抗しようがそれ以上の会話はさせてもらえず、クッシーロ監獄から追い出された。
しんしんと降り積もる雪の中で座り込んでいると激しい吹雪が吹き荒れ、白銀の世界から雪女が現れた。
「お化け?」
「あらあら。珍しく人が訪ねてきたと聞いて来てみれば、お化け呼ばわりですか?」
目の前に立っている着物姿の女性は色白な手で口元を隠しながら目を細めた。
真っ白な着物に、限りなく白に近い水色の髪。
銀世界に埋もれてしまいそうな色素の薄い髪を赤い
「僕はサヤ=シリと申します。こんなに寒いのに薄着で平気ですか?」
「ここは私の庭ですから何とも感じません。寒さには強い方なんです」
足元は薄い
気づくと彼女の視線が僕の右腰を捉えていた。
「私を探しに来たのでしょう?」
僕は思わず、白い息を吐いた。
「じゃあ、あなたが
「面白い方ですね。私に敬称をつける人なんて初めてです。明日は来ないで下さいね」
物憂げな微笑みが吹雪の中に消えて、震える声だけが僕の耳に残った。
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