第4話

 風が木の葉を揺らす音の中に微かな靴底が地面と擦り合う音が聞こえる。


「あなたには指一本触れさせないから安心して」


「え、あ、きみは誰?」


「何も知らずにこの鞘を持っていたの? おかしな人ね」


 彼女はくすっと笑い、つぶらな瞳を細めた。


 僕たちを取り囲む四人の男たちはとても二人で相手にできる数ではない。

 実質、彼女一人だ。僕は足手まといにしかならない。

 

 それでも彼女から不安は感じられなかった。


「お前ら、やっちまえ!」


「ねぇ、なにか特技はある?」


 右往左往する僕の服を引っ張り、鞘で男たちの攻撃を受け流す彼女は緊張をほぐすかのように雑談を始めた。


「特技なんてないよ!」


「なにか一つくらいあるんじゃない?」


 必死に頭を回転させても答えが思い浮かばない。

 そもそも特技なんてないのだ。勇者の称号を持っているだけで傭兵としての功績も何もない。

 だからこそ、大したことない答えしか絞り出せなかった。


「耳が少し良いことと、指先が少し器用なことくらいだよ」


「へぇ。この出会いは運命かもね」


 目がくらむような光の中で彼女の声だけが取り残されて、姿形はなくなっていた。


「……これって」


 左腰にはこれまでになかった重さを感じる。

 音符と音色を表現している模様と装飾が施された鞘に納められた刀がそこにあった。


 まるで「抜け」と言わんばかりの雰囲気に気圧されながらも刀の柄を握る。


 足を開き、腰を落とす。

 左手で鞘に角度をつけて、息を吐きながら一気に引き抜く。

 まるで居合い術を習ったことがあるかのような身のこなしに自分でも驚きつつ、男たちを見回した。


 うるさいほどに跳ねる心臓の音も、風に揺れる草木の音も、男たちの怒声も、今は何も聞こえない。

 脳内に響くのはさっきまでいたはずの彼女の声だけだった。


「君と契約を結ぶ!」


 スキル『契約』が発動し、刀となった少女との間に縁が生まれた。

 抜刀した刀のつばと同じ形の指輪が左薬指にはめられ、光を反射して輝いた。


「なんだよ、その構えは!?」


「なめてんじゃねぇぞ!」


 男たちの勢いは変わらない。

 しかし、彼女の冷静な声に従って体を動かす。


 鞘を左肩に乗せ、顎を鞘に乗せて挟み込み、高く持ち上げるように構える。

 体を少しだけ左に傾け、目線は鞘と平行になるように意識する。

 左手の指で三つある音符の装飾を押えて、視線を右手に移した。

 そして、最後に右手に持つ刀のみねを鞘にあてがう。

 

 彼女曰く、これで戦闘準備が整ったらしい。


 僕を囲む四人の男たちが一斉に飛び掛かってきた。

 目視できる敵は二人。残り二人の位置情報は脳内に直接流れ込んできた。

 後ろから一人、右から一人。


 今は刀となっている彼女が警戒してくれているおかげで目がいくつもあるような感覚だった。


 みっともなく動き回る必要はない。

 まるでステージの上で演奏する音楽家のように僕は右手を動かし始めた。


響刀きょうとう美蘭ヴィオラ』、格式奥義かくしきおうぎ――剥牙絶弦はくがぜつげん


 それは聞く者の心に爪を立て、むしるような残虐な音色だった。


 身の置き場がなくなり、体がねじ切れるほどに身悶える男たちには目もくれず、僕は演奏を続ける。


 刀の峰は計算し尽くされた鞘の凹凸と空気穴によって摩訶不思議な音を奏でていた。他のどの楽器でも同じ音は出せないだろう。

 でも、僕にとっては嫌な音ではなかった。


「や、やめてくれぇぇえぇぇえ!」


 絶望の音色に耐えかねた男たちが発狂しながら地を這いずり回り、懇願こんがんする。

 僕はその様子を恐ろしく冷え切った頭で認識し、見下ろしていた。


 演奏を止めた僕の周りにはどこからあふれ出たのか分からない体液まみれの男たちが横たわっている。

 全員生きているようだが、口からはよだれを流し、意味を持たない言葉は聞き取れない。精神錯乱状態のようだ。


「いきなりわたしの奥義を発動させるなんて、とんでもない男ね」


 踵を鳴らしながら少女が着地する。

 刀の姿から人間の姿に戻る瞬間を目の当たりにして目を疑い、言葉を失った。

 そんな僕の顔を覗き込む可愛らしい少女の姿にあとずさる。


「これを僕がやったの? 武器を持った男たちを一人で?」


「そうよ。これはとんでもないことなのよ! わたしを握ったのも、奥義を発動したのも、あなたが初めて。やっと見つけた、わたしだけの主様」


 そう言って僕の手を握る少女の満面の笑みに鼓動が跳ねる。


「死んでないよね?」


「やっぱりおかしな人。殺される前に殺す、それが基本でしょ。って言ってもわたしでは上手に殺せないけどね」


 あまりにもいさぎよい考えを持つ彼女の指が僕の指の隙間に入り込んでくる。いつの間にか恋人つなぎをしていた。


「人になったり、刀になったり、訳が分からないよ。きみは何者なんだ?」


 含み笑いをする少女と見つめ合っている僕の背後で足音が聞こえた。

 振り向くと優雅な動作でお辞儀するドレス姿の少女がいた。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」


「い、いえ。お怪我はありませんか?」


「はい。おかげさまで」


「それで、あの、この子は?」


 ドレスの少女は僕の隣に立つ拘束具姿の少女と視線を合わせてから僕に向かって微笑んだ。


「この子の名は美蘭ヴィオラ。随分とあなた様を気に入っているようですし、差し上げます。優しく扱ってあげて下さい」


「えぇ!? それないきなり、人をもらうのはちょっと……」


「わたしは構わないわ。わたしはあなただけのもので、あなたはわたしだけのものよ」


 恋人つなぎしている手により一層の力が入る。


「わたくしはアリサと申します。失礼ですが、お名前を教えていただけますか?」


「……サヤ=シリです」


「以後、お見知りおきを。つかぬことをお聞きしますが、サヤ様は鞘の勇者様であらせられますか?」


 その通りだが、なぜ彼女が僕の称号を知っているのだろう。

 不思議に思いながらも頷くと、アリサは顔を輝かせた。


「お会いできて光栄です。実はサヤ様のご実家を訪ねたのですが、旅に出たとご両親に教えていただきまして、密かに探していたのです」


「そうだったんですか。……僕の旅はもう終わりました。これからどうするかはまだ考えていません」


「では、サヤ様に一つお願いがあります。ヴィオラと共に【解呪かいじゅ砥石といし】を探して欲しいのです。どこにあるのか、誰が持っているのか手がかりのない宝です。ここから新しい旅を始めてください」


「【解呪の砥石】?」


「詳しくはヴィオラから話させます」


 またしても丁寧にお辞儀をして、アリサが踵を返す。

 突如、吹いた強風に目をつぶってしまい、次に目を開けると既に彼女の姿はなかった。


「なんだよ、それ。自分勝手な」


 そんなことを呟いていると頭がくらっとした。僕は膝から崩れ落ちる。


「ちょっと、大丈夫!?」


 ヴィオラの美しい声を聞きながら僕は意識を手放した。

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