第四話 出会い

 一年間、みかど工氏郎こうしろうの言う事をよく聴いた。

工氏郎の言いつけ通りに、まったくふみと会わなかったし、電話もしなかった。

ただ、さすがに手紙さえも書かないことには、工氏郎の方が心配した。


 「帝さん、ふみさんへ手紙を書かないのは、何故かな。」

「はい、お師匠様。内田家では、親子の絆はとても弱くするのが習わしです。心を通わせれば、絆が強くなる。手紙もその一つです。」

「…そうか。」


 「それに…書いても、母は、決して私の手紙を読みません。読まれない手紙は、書いてもしかたがありません。」

工氏郎は、何と声をかけて良いか、わからなかった。


 無駄ではない、と、言いたいような気もした。

だが、本当に読まれることがないのなら、手紙を書いている時間に、他のことをした方が有意義なのかもしれない、とも、考えられた。


 内田家の当主として、日々、禁忌の技を行使して仕事をしているであろうふみ

手紙を書かない帝の選択こそが、正しい選択のように思える。


 生活の中で、思い浮かべる、意識する、心配する。

それらの心の動きが、絆の糸を相手に向かわせてしまう。


 内田家は、自身の心の動きを制御して、禁忌の技を行使できるようにしてきた。

スポーツ選手が、種目に特化した肉体作りをするように、内田家は、全てを禁忌の技を使う為に整えている。


 そんな内田家のことを、さこ家は、比較的近くで見てきたから、想像がつく。

ふみは、たしかに、手紙を読まないだろう。

それどころか、読まずに捨てるかもしれない。


 帝は、もはや内田家を継ぐものではない。

だが、内田家の現当主に対する在り方は、内田家らしくあるのが、母に対する最大限の敬意なのかもしれない。


 いずれにしろ、他人が決めることではない。

帝がそうしたいと言うのならば、そうさせてやろう。

絆師として必要なことは、他で学べばいい。


 そう、思った瞬間、工氏郎は、それこそが、正にふみの考えであることに気が付いた。

「…なるほど。」

自身にだけ聞こえるつぶやきは、しばらくの間、こだまのように、工氏郎の中に響いていた。


 工氏郎が帝の師匠を務めている間、約束通り、帝を定期的に桃院家へ連れて行き、自ら、桔梗と帝の間にある絆を調整した。

月に一度は調整をしていたが、一人でやっていては、あまりに時間も手間もかかる。

桃院家へ助っ人が必要である、と、申し出た。


 時に、それはふみであったが、他の絆師のこともあった。

結果として、帝が翌年の師と出会う機会を、作ることにもなった。


 だが、次の師匠は、そう簡単には決まらず、帝は、一年の約束であった工氏郎の元から、一度、実家へ戻ることに。


 工氏郎が住み込みで弟子にしたのは、帝と同い年の孫が自宅にいるためだ。

兄弟のような存在ができることで、帝が新たな成長を遂げられるだろう、と、考えていた。


 しかし、工氏郎の孫息子の由己ゆうきは絆師ではない。

絆師のことは、もちろん知っているが、内田家の事情はまだ教えていなかった。


 帝と同い年の、絆師でない子供に、内田家のことを教える必要があるのか。

内田家と懇意にしている一家では、度々議論になっていた。


 工氏郎が思いもよらない事態は、由己が、帝と生活を共にしたことにより、それまでは感じたことがなかった。

『絆師の家に産まれたのに、自分が絆師ではない。』

と、いう負い目を、感じるようになったことだ。


 そればかりか、帝が、年相応でないことから、自身をひどく出来の悪い子供であるように感じてしまったらしい。

思い描いていたような、仲の良さは育まれないまま、一年が過ぎ、むしろ自分の孫を苦しめる結果になったことを、工氏郎はおおいに悔やんだ。


 そして気が付いた。

他の家でも、同年代の子供がいると、同様のことが起こるのではないか?


 そこで、由己に起きた事をありのまま伝え、今後、帝の師匠を担う者は、住み込みさせることは避けた方が良い、と、ふみに伝えた。

それに、師匠が変わるごとに転校していては、学校での人間関係がままならない。

ずっと同じ学校に通い、同年代との人間と継続して付き合った方が、よほどためになるだろう。


 「これはあくまでも私の考えだけれど、せめて二年生の一学期の間だけでも、帝さんには、絆師のことを一旦忘れてほしいと思う。

絆師ではなく、なおかつ、絆師であることを話さないまま、交流を持つ事ができる同年代の子供と過ごす時間に、集中させてやるのが良いんじゃないかと思うんだ。」

「そうですか。わかりました。お孫さんには申し訳ないことをしましたね。」


 「いや、ふみさんは、気に病まないでおくれ。私の考えが足りなかったのだ。次の師を見つけるまでは、学校がない日だけでも、私が引き続き面倒を見よう。」

「それは、とてもありがたい。よろしくお願いいたします。」


 そんな会話を、工氏郎とふみが交わし、二年生の夏休みまでの間は、帝は、習い事のような感覚で、工氏郎の家へと通った。


 何にせよ、帝は、最低でも月に一度、桃院家を訪問する。

工氏郎が、助っ人を求めたことにより、桔梗と帝の間にある絆の問題は、昔から内田家と懇意にしている絆師へと知らされていた。


 現状、桔梗と帝の間にある絆のことを、明確に知っているのは、さこ工氏郎の他に、工方くがた内東ないとう半内はんない爰広ここひろの四家だ。


 現在、絆師として正式に活動できる者がいるのは、その五家。

他の三家、高帛こうはく家には帝の六歳上のしん、岡田家には、帝の六歳下に逢工あいくがいる。

しき家の絆師は、帝が六歳の時に、六一歳の若さで亡くなったばかり。

八家の内、五家に成人した絆師がいる状態は、多い方である。


 絆師として正式に活動ができる条件は。


一、絆師の心得を学んでいること

一、法的に成人していること。

一、禁忌の技を認識し、禁忌を犯さぬと宣誓していること。


 十五歳以上の絆師は、成人している絆師の監督下であれば、助手として活動可能だ。


 高帛申は、あと一年ほどで助手に入れるようになる。

勉強になるから、と、桔梗と帝の絆の調整に関わることが予定されている。


 帝は、小学校二年生の夏休み中には、次の師匠を見つける、と、心に決めていた。

ふみと共に桃院家を訪れたある日、そこには工方家の絆師、しゅんがいた。


 「ふみさん、お久しぶりです。旬です。」

「工方の。おいくつになられましたか?」

「今年で二五歳になります。」


 「今日は、調整の助っ人に来て頂いたので?」

「ええ。…帝さん、お初にお目にかかります。工方旬です。」

「はじめまして。内田帝です。…あのぉ…」


 「旬さん、この子を他家の絆師の方に、弟子入りさせている話は、お聞き及びですか?」

「はい。」

「帝、続けなさい。」


 「はい。…工方様、来年の三月終わりまでの期間、私の師匠になっていただけませんでしょうか。」

「僕の条件だと、工氏郎さんほど頻繁には教えられないけど、構わないかな?」

「ご都合の良い時だけで、十分です。」


 「そうですか。それならお引き受けいたします。詳しい話は、またのちほどいたしましょう。」

「ええ。よろしくお願いしますね。」

「よろしくお願いします。」


 その後、桔梗と帝の絆の調整を二時間ほどかけて行われると、帝は眠ってしまった。

最新の注意を払っても、大量の絆の糸を一度に移動すれば、極度の睡魔に襲われる程度は消耗する。


 作業はいつも、客間で行われていた。

桔梗と言えど、無闇に客間に踏み入ることは出来ない。


 更に、帝が桃院家を訪れる際には、菊乃が、事前に公苑へ命じ、桔梗に睡眠薬を飲ませていた。

目が覚めた時には、ことが済んでいる。

桔梗は絆師ではないから、絆を見ることが出来ない。

だが、強い絆を感じていた相手の存在が、遠くなっているのを感じ、胸が締め付けられる。


**********


 「ええ、既に弟子が産まれたことは確認しています。既に何度か訪問はしていますが、本格的に面倒を見るのは、まだ先のことですね。」

「では、弟子はこの子が初めてなのですね。」


 「はい。工氏郎さんや、既に弟子に教えている先輩方からアドバイスを受けつつ、帝さんの指導にあたりますよ。」

「懸念をしているわけではないのですよ。初めての弟子が帝で、気苦労をおかけするのではないかと、少々心配なのです。」


 「プライベートを優先するつもりですし、無理をせず、負担にはならないよう、条件を提示させてもらっています。何より、絆の繋がった弟子を指導するまでに、環境を整えておきたいですから。」


 通常、二五歳になるまでには、弟子が誕生するのが絆師だ。

同じ家の中で師弟関係になることは、極稀なこと。

工方家は、山梨県にルーツを持つ。

実家は今でも山梨にあるが、旬は、東京都内で一人暮らしをしている。


 工方旬の弟子は、栃木県に住んでいるから、日々通うには遠い距離だ。

いずれ、旬が弟子を住み込ませるか、弟子の家にしばらく泊まり込むか。

どちらにしても、長期間自宅に弟子を住まわせる。

あるいは、長期間自宅を留守にすることになる。


 弟子への本格的な指導をはじめるタイミングは、なるべく弟子の希望を聴くことになっている。

旬の弟子は、十歳から指導を受けたい、と、申し出ており、あと五年。


 やり方やタイミングは人それぞれとはいえ、絆師の多くは、弟子へ指導をはじめる前に身を固める者が多い。

旬も、そういった意味で、いまは大事な時期。

恋人との時間を最優先にしている。


 「工氏郎さんが、お知り合いのいずみ家へ声をかけてくださったそうで。僕が指導に当たれない時には、フォローしてもらいます。あ、もちろん、泉家には、あくまでも帝さんの指導だけを手伝ってもらいますから、ご安心ください。」

「お心遣い、感謝します。さりとて、いずれは知れ渡りましょう。そこまで神経質に秘匿せずとも、構いませんよ。桃院家のご当主も、絆師の皆さまには、いずれ知れることだと認識されています。」


 「ぅん…。」

旬が「そうですか」と、言いかけたところで、帝が目を覚ました。


 「帝、起きたのなら、帰りますよ。」

ふみの声には抑揚がなく、無感情のように聞こえる。

「はい。すみません、寝てしまって。」

一方、帝の話し方には、表情が感じられた。


 「良いんだよ。仕方のないことだ。」

旬は、笑顔で帝へ話しかける。

「ぉっ…お師匠様の件、引き受けて、くださるのでしょうか。」

先ほどもだが、帝は、旬に対して少し緊張していた。

帝にとって、旬の年代の若者と接するのは、ほとんど初めてのことだ。


 「はい。謹んで、承りました。」

旬が大げさに言ってみせると、帝は、雲に隠れていた太陽が顔を出したかのように輝く笑みを浮かべたた。


 旬は、目を丸くした。

内田家の人間が、こんなにも豊かな表情を浮かべることがあるとは、夢にも思わなかったからだ。

ふと、気になり、旬はふみの表情を盗み見た。


 すると、驚いた様子が一瞬見えたものの、すぐに背を向け。

「私は先に行きます。車で待っていますからね。」

そう告げて、ふみは足早に部屋を後にした。


 「夏休み期間中は、僕の都合がいい日に、僕の家へ来てもらう。最初だけ、最寄りの駅に迎えに行くからね。今度の木曜日に会おう。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」


 旬に教わった年明け三月末までの期間は、帝にとって、あっという間だった。

また、次の師匠を探さなくてはならない。


 旬の都合が悪い時に、面倒を見た泉ここは、工氏郎の三歳年下だ。

間もなく初孫が産まれる予定で、おばあちゃんになろうとしていた。

時々なら、帝の面倒を見られるが、一年間引き受けるのは難しい、と、帝が打診する前に、宣言されてしまっている。


 ここからは、もう一つ大切な話を聞かされていた。

帝が小学校二年生の十一月下旬ごろ、工氏郎の体調が思わしくないという話があった。

その後、体調こそ回復したものの、何やら人が変わったようになってしまったのだという。


 帝は、工氏郎のことがとても気になっていたから、工氏郎の様子を確認した上で、もう一度師匠を頼めないか、相談してみようと考えていた。

ちょうど、桃院家に絆の調整のため訪問した今日、工氏郎が来ることになっている。


 ふみは帝を桃院家へ送り届けるなり、仕事へ出かけた。

四月二日、春の日差しが中庭に差し込み、温かい日。

帝は、定位置、居間の前縁側で、工氏郎が来るのを待っていた。

 

 「ああ、帝さん、元気だったかい?」

明らかに以前の工氏郎とは別人だった。


 以前の工氏郎は、普段から洋服を着ており、桃院家を訪れる時にはスーツを着ていた。

帝が知り合ってから二年。

その間、一度も見たことがない着物姿をしている。


 それも、工氏郎のきちんとした雰囲気がなく、着崩しており、大股で歩く度着物の裾が遊んでいた。

帝には、具体的な違いが見て取れるわけではないが、感覚的に違うことがわかった。


 ふみは日常的に和服を身に着けている。

明確な理由はないが、工氏郎とふみが隣同士に居合わせたら、とても雰囲気が良いだろう、と、帝は思った。


 「帝さん、どうなすった?」

帝が戸惑っていると、後方から障子の開く音がした。

そして、次の瞬間、全身に電気が走り、意志とは関係なく振り向いて…

いや、いた。


 その瞬間、世界から切り離されたかのように、中庭越し、二人の人間が対峙していた。

辺りは灰色で静寂に包まれている。

二人のいる空間だけが色づき、煌めいていた。


 「…君が…」

もうすぐ十六歳になる桃院桔梗が、目をこすりながら八歳になったばかりの帝を見ていた。


 「ああ…花が咲いた、な…」

工氏郎がどこか嬉しそうに声を上げた。

が、その声は帝の耳には届いていない。


 ガタン!


 と、音がすると、公苑大山が、人間のものとは思えない動きで帝を客間に連れて行き、同時にその場に居合わせた春芽が、桔梗の前へと立ちはだかった。

反射的に帝の方へ向かおうとする桔梗を、春芽が力ずくで桔梗の部屋へ押し戻した。


 「何かありましたか?」

騒ぎを聞きつけた菊乃が、中庭に面した廊下に顔を出すと。

「いえ、春芽様が桔梗様のお部屋をご訪問されています。」

公苑塚本が、いたって冷静に応えた。


 「あら、そう。最近、あの二人は仲がよろしいわねぇ。」

菊乃は、玄関に飾る用の花を、活けていた。

当主と妻の居室が、桔梗の部屋と客間の間に位置している。


 普段は自分専用の離れで花を活けるが、帝が訪問するとわかっている日には、必ず母屋の居室で花を活けているのだ。

公苑は、姿こそ現さないが、常に状況を見張っていた。


 菊乃に、二人が対面したことを知られてはならない。

瞬時に判断し、塚本と、その息子である大山は動いたのだ。


 「はっはっはっ。綺麗な花が咲いたものだなぁ。」

中庭には、季節の花々が植えられている部分があり、一年中いつでも、何かしら綺麗な花が咲いている。


 改めて言う程、大層な花でもないのに、何故あんなに嬉しそうなのか。

と、菊乃は、工氏郎の言動を訝しんだ様子を見せた。


 「さこ様は、先日、痴呆の診断を受けられました。」

耳打ちした塚本の言葉に、菊乃は一瞬目を見開き。

「まあ、お可愛そうに…」

と、工氏郎の方へ気まずそうに会釈すると、居室へと戻っていった。

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