第三話 運命の糸

 内田みかどは、自分と誰かの間にある絆が気になってしかたがなかった。

絆師でなければ、視認できない絆に引っ張られる様な感覚に、原因不明の違和感を覚えていたのだろうが、帝は絆師。


 視覚的に捉えることが出来るから、絆の糸の動きまで常に確認することが出来る。

眼が冴えて眠れない夜には、ずっと、絆を見ていた。


 意識すると、絆の糸が伸びていく。

呼応するように、向こうからも伸びてくる時があり、複雑に絡み合う様子が面白い。

そのうち眠りにつく。

不思議と安心した。


 ふみには、絆をこれ以上強めないよう、なるべく意識を向けないように言いつけられていたが、そう簡単にはいかない。

子供の好奇心も手伝い、見て面白ければ、観てしまうのだ。


 引っ張られるような感覚があり、その原因が視覚化できるのだから、気にしないのは大人でも難しいだろう。

まして、時折絆を調整されているものの、しぶとくしつこく絆の糸を伸ばしあい、絡み合う。


 絆師は、絆の調整をする際、念力のようなもので絆の糸を動かす。

切れないように慎重に行うが、絆の方も、切れることがないように複雑に絡み合うことがある。


 何度も解かれていれば尚更、今度は解かれないように、と、まるで絆の糸そのものが意志を持つかのように結び方を変える。


 互いに大切に思う、ずっと縁を持っていたいと願う相手であれば、簡単に切れたり解けないようになるもの。

結ぶというより、編み上げる、と、と表現するのが相応しい有様だ。


 基本的には、知り合って、想いを通わせ、初めて絆が結ばれる。

時間に関わらず、想いによって強固になっていくものだ。


 しかし、前世からの因縁がある、と、考えられるような場合には、まだ出会っていなくとも、相手がこの世に存在していれば、互いに絆の糸を伸ばしあい、引き合うようになる。


 絆師の間では、絆の糸が、当人たちを出会わせようとしている、と、考えるのが主流だ。

一般的な認識に置き換えると。

「運命の赤い糸が互いを引き寄せる」

と、いう事になるだろう。


 桃院とうのいん家が、出会う前から絆を調整しているのは、二人が出会わないため。

現在は、桃院家と内田ふみが話し合い、取り決めに従い行っているのだが、工氏郎から見ると経緯がわからない。


 工氏郎は、ふみが桔梗に対して無遠慮な絆の調整をしていることから、こう推測した。

まず、何の相談もなく、事前告知もなく、桃院側が絆を調整した。

帝が、それによって体調不良を起こした。

だから、ふみは腹を立て、同様のことを行い、反対側にいる人間が、どうなるのかを見せつけたのではないだろうか、と。


 絆師が、絆を調整する時、絆の繋がった者同士が近くにいて、絆の両端が視認できる状態で行う。

双方に違和感を与えずに絆を調整するためで、最も安全な方法だからだ。


 相手側が見えない状態で調整をするのは、内田家くらいのもの。

その内田家でさえも、滅多にやらないことだ。


 どちらか一方の絆の端が見えない状態で絆の糸を調整するという事は、絆の見えない側の絆の糸を引きちぎってしまうリスクがある。

絆の糸は言うなれば気力だ。


 精神エネルギー、魂、霊体。

断定的にいう事は出来ないが、生命エネルギーの一部であることは確かだ。

損傷を与えれば、主に影響が出るのは当たり前のこと。


 子供が叩かれたりつねられたりしたら、ほとんどの場合仕返しをすると思う。

逃げても追い詰められれば必死に抵抗するだろう。

黙って攻撃を受け入れて、自分の命が奪われるまで無抵抗のままでいる者はほとんどいないはずだ。


 絆の糸が引きちぎられる、と言うのは、突然髪の毛を数本引き抜かれるのと似ている。

急激に調整する時には、指一本、腕一本と言うように、身体の一部を切り取られる様なものだ。


 だから。

「絆の糸は切ってはいけない。」

と、言われる。


 乱暴に例えれば、『絆の糸を解いて結び直す』のと、『絆を切る』のは、 『二人の人間がつないだ手を気付かれないように別の人間の手につなぎ直す』のと、『繋いだ手を離すためだけにどちらかの手首を切断する』くらいの差がある話だ。


 産まれる前から存在している類の絆の『芯』は、心臓の太い血管に等しいと言える。

切るなどもっての他だ。


 特に、桃院桔梗ききょうと、帝の間に存在する『芯』は、生命そのものを司る絆と密着していた。

確実に命に影響を及ぼすものだから、ふみでさえ、どうにも出来ない。


 工氏郎の推測は、おおよそ合っていた。

絆師を取りまとめている桃院家は、絆の取り扱いに関する注意事項を認識しているはずなのに、独断で桔梗の側から絆の調整を行った。

それも、一度や二度ではない。


 当時の騒動は壮絶なもので、しかし、関係者、目撃者には口止めを徹底しているから、噂にさえなっていない。

内田家に関することは、時に命の危険を伴う為、皆固く口を閉ざすのだ。


 ふみが、もはや子供を産めないという話は、子作り目的で声をかけられるのを抑止するため、ふみが意図的に吹聴したものだ。

そうでもない限り、内田家の話は誰もが避ける。


 特にこの件は、ふみ桃院家と公苑家の人間を根絶やしにする勢いで怒り狂ったことだから、恐ろしくて誰も話せなかった。


 ふみが桃院家へ押し入り。

「貴様ら、何をしたかわかっているのか。」

静かに、しかし、確かに怒っているふみを前に、誰もが凍り付いた。

相手は内田家の現当主だ。

下手なことは出来ない。


 ぐったりと息も絶え絶えな子息を抱え。

「今ここで、我が子もろとも羅家の子を葬り去ってやろうか。」

と、地面が揺れたと錯覚するような重低音の声に、身震いしながらも、公苑は桃院家の前に立ちはだかった。


 「無意味だとわかっていよう?命の絆を切れば死ぬのだからな。」

公苑は、桃院家を守る存在だが、あくまでも外部からの話だ。

絆師、まして禁忌の技をためらいなく行使する内田家の当主となれば、無力。


 「公苑、退け。ふみ、すまなかった。今の君のように、親として必死だった。君の子のことまで、考えが及ばなかった。」


 桃院家の当主が床板に額をつけ、全力の謝罪をしたのは、後にも先にもこの時だけだ。

「これからの事は、近いうちに話し合いの機会を設けて頂く。が、今回の罰は受けてもらうぞ。」

「…何をすれば良いのだろうか。」


 「貴様らは何もせずとも良い。同じことををするだけさ。帝の側から、勝手に絆の調整をさせてもらう。貴様らが勝手にやった回数と同じだけ、な。」

「そんな…」

「菊乃!」

黙れ。と、言う代わりに、尚哉は首を横へ振った。


 「わかった。まだほんの赤ん坊の子供がどれだけ苦しんだのかを想像すれば、甘んじて受けるしかない。」

当時、帝は一歳前だった。

「覚えておけ。大げさでも何でもなく、我が子と貴様らの子は一心同体なのだ。」


 ふみがその場を去ると、その場に居合わせた全員が張り詰めた空気から解放され、ため息をつき、胸をなでおろした。

「こちら側から、勝手に桔梗と内田の子の間にある絆を調整することは、今後一切禁止だ。」


 独断で動いたのは、菊乃。

尚哉は、ふみには事実が伝わらぬよう、振舞っていた。

反論したい気持ちはあれど、もはやできるはずもなく、菊乃は力なく返事をする。

「…はい。」


 桔梗と帝は、互いがこの世に存在していないと生きられない。

現に、桔梗は帝がふみの胎内で生命となった時以降、体調が改善した。


 帝が現世に存在していない間は、頻繁に意識を失い、入退院を繰り返していた。

現在は、体調が優れない日があっても、入院をするまでには至っていない。


 桔梗と帝の絆の調整は、絆師の代表を務める者が、定例報告の際に必ず行う。

それ以外は、ふみが帝を桃院家に連れてきた際に行う。

と、取り決めている、と、工氏郎は聞かされた。


 師匠になるにあたり、定期的に桃院家へ帝を連れて訪問して欲しい、と、頼まれた。

その際、ふみが桃院家に居る居ないに関わらず。

「師匠として、自分の弟子でいる間は、母親には会わせないというのであれば従う。」

と、ふみは言った。


 そして、特例で工氏郎が、絆師の代表を務めることになった。

絆師代表として定期的に桃院家を訪れるのが、当の工氏郎である方が都合が良い。

師匠として、弟子の絆を調整してやりながら、解き方のコツを教えることもできる。


 絆師の代表とは、権力を持つ者ではないから、誰も反対しなかった。

むしろ、現場からは遠ざかっている最年長の者が務めるから、次に代表を務める予定だった人にとっては楽ができる、と言う感覚だ。


 工氏郎の家は、内田家からは車で一時間ほど。

桃院家からなら、車で三十分ほどだ。


 代表は、希望すれば、桃院家の運転手に送迎を依頼できる。

が、工氏郎は依頼するでもなく、桃院側から送迎をつける、と、言われた。

桃院家としては、確実に帝を連れてきてもらわなくてはならないのだから、当然のことだ。


 会わせたくないから、なるべく近づけたくない。

しかし、絆を調整するためにはある程度近くに居る必要がある。

最悪、出会うとして、許嫁と結婚し、跡継ぎが産まれた後であれば問題ない。

せめて、それまで出会わないよう祈るばかり。


 桔梗もまた、桃院家の後継者として、絆が結ばれた相手とは出会わない方が良い、と、考えていた。

両親、桃院家に仕えている公苑家、絆を調整する絆師らが、みな、口を揃えて、出会わないのが最適だと言う。


 桔梗が最も信頼しているのは、公苑家の者だ。

両親には感謝しているが、信頼をできるかどうかは別問題。


 父は、名家の当主だし、母は、当主の妻。

立場がある以上、父として、母としての思いより、家のことを優先させるべきだ。 


 それでも、どうにもならない感情が介入して判断を誤る可能性を捨てきれない。

家の為と言う純粋な考えを、自分に対して誤りなくできる人間は、公苑を置いて他にない、と、考えている。

例え、桔梗と言う一人の人間の幸せを犠牲にしても、桃院家の為に選ぶべき道を、揺らがず示してくれる。

 

 例えば、父、尚哉は。

「お前とその絆で結ばれている人間は、会ってはならない。少なくとも、お前が桃院当主としてやるべきことを終えるまでは、な。」

と、言った。


 母、菊乃は。

「絆のことなどは考えず、許嫁の春芽はるめさんのことを考えるのよ。それが、あなたの務めです。」

と。


 公苑家、現当主の塚本つかもとは。

「出会うか出会わぬかよりも、出会った時にあなたがどうするのか、心を決めておくことが大切だと、私は考えます。」

と、言った。


 絆師が。

「これほどの絆があると、どうしても、出会うことは避けられません。

頻繁に調整しても、強く互いに求め合うように絆の糸が絡まり合う。

まして、出会う機会が全くないわけではないのだから、遅かれ早かれ出会ってしまうでしょう。」

と、両親に対して話していたのを、当時十歳だった桔梗は、偶然耳にした。


 桔梗が七歳のある日、突然何かに強く引っ張られる様な感覚に襲われた。

実際に身体が引っ張られたわけではない。

感覚的に引かれただけだ。


 とてつもなく奇妙な感覚で、しかし、同時に体調の悪さが驚くほどに改善した。

この時はまだ、『運命の相手』など、いるものか。

居たとして、産まれる前から結婚相手が決められている自分には、関係のない、と、考えていた。


 しかし、死んだ方がマシと思う程に苦しい時を過ごしてきた桔梗にとって、病状が落ち着いたことはあまりに大きかった。

一時的な改善でなく、調子の悪い日が極端に減り、明らかに調子のよい日が続く。

すると、いよいよ、『運命の相手』の存在の影響を、無視できなくなる。


 自分に言い聞かせるようになると、感情が反発するようになり、イライラすることが増えた。


 「くそっ!」

以前ならば間違えないような問題を間違えるようになり、集中力が落ちていることを、痛感する。


 気にしないようにすればするほど、気になるもの。

そして、人はたいてい、更に意識して、深みにはまる。

桔梗も例外なく、その道を辿った。


 「もういい!」

大きな声を出すことはしない。

普段の声量とほとんど同じまま、語気を強めただけ。


 元より、病気の症状の一つとして癇癪のような状態になる桔梗の勝手やわがままに対して、周囲の人間は半分無意識に許容範囲が大きくなっている。


 「何かお手伝いできることはありますか?」

塚本は、いつもと全く変わらない様子で問いかける。

「もういい、って、言ってるだろ。」

慣れた対応に、尚更苛立った桔梗は、部屋にこもるようになった。


 桔梗は、二年生までの間、ほとんど小学校へ行けなかった。

病気の性質上、学校に行くことは避けた方が良いのだが、気を付ければいけないという事もない。


 だが、実際には入退院を繰り返していたし、それでなくとも体調が悪い日が多く、とても学校に行ける状態ではなかった。

家庭教師の授業すら、頻繁に休みながら受けていた日が多い。


 横になったまま授業を受けても不十分だったため、家庭教師が自習用に作成した課題を、隙を見てはやっていた。

学校に通えるようになったとしても、ならなかったとしても、授業には遅れないよう、桔梗は必至に食らいついていた。


 本人にとっては、イライラしたから取っている行動のつもりでも、周囲からすると、以前とあまり変わらず、大して気にも留めなかった。


 特に構ってほしいわけではない。

感情を持て余しているだけで、当たり散らせば、結局、後味が悪くなるのは自分。

桔梗は、なるべく人と関わらないようにした。


 そうして一人で過ごす時間が増えると、尚更、余計なことを考える。

人は誰とも会話をせずに、一人で延々と思考すると、ほとんどの場合、ろくなことにはならない。


 ついには。

『絆が繋がった会ったこともない相手』

に、対して、勝手な理想を押し付けるようになった。


 「この絆が繋がった相手なら、他の人と何か違うのかな。」


 やがて、絆を調節されることを、なんとも思っていなかったのに、絡み合う絆の糸を解かれる度、喪失感に襲われるようになる。


 そのことを、誰にも言えないでいた。

桔梗の目には見えていない強すぎる絆の存在を、日に日に強く感じるようになる。


 結局、桔梗は小学校五年生になって、初めて通学するようになった。

学校に通うようになってからは、クラスメイトや教師との接し方に悩み、絆の繋がった相手について考える機会が多少減った。


 しかし、中学校へ通うようになると、周囲が急に大人びて、好きだの恋だのと、色めき立った雰囲気。

漫画や小説、アニメの話をするにも、大げさな表現だが。

『白馬に乗った王子様が迎えに来るのを夢見る女子の会話』

が、嫌でも耳に入った。


 好きな男子に、恋愛小説を貸すことで、それとなく思いを伝えるという現象が起きていた時、桔梗もまた対象にはなっていたものの。

「病気のことがあるから、借りられないんだ。せっかくだけど、ごめんね。」

と、断るのがお決まりだった。


 それでも。

「これ、私が持っているのと同じ小説なの。新品を買ってきた。消毒もしてあるから、読んでみて。」

と、本を押し付けられた。


 「…でも…」

「あ、私はただ、その本を読んで欲しいだけだから。返さなくて良いからね。」


 彼女の意図はわからなかったが、風の噂で。

「うーん…なんか、お告げ?あの本を、桃院君に渡さなくちゃいけない、って、私も理由は良くわからないんだけど。本当にそれだけ。」

と、話していたことを耳にした桔梗。


 公苑に調べさせたところ、彼女は巫女の家系だと判明する。

「まさか、本当に神のお告げ、なのか?」

と、冷や汗をかきながらも。


 「いや、そんなわけない。」

と、煙を払う動作で、自らの思考を払拭した。


 その後、実際に本を読んでみた桔梗は、帝が、工氏郎に絆の繋がる相手について尋ねていた頃、自室で呟いていた。

「会いたいな…」

 






 

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