第二話 桃院桔梗
「いくつか、条件がある。」
と、真顔で帝に語り掛けた。
「はい。」
帝は、とても素直に返事をした。
「わたしの弟子である限り、わたしの家に寝泊まりする事。期間は1年とする。」
「はい。」
「わたしの弟子でいる間は、一度も実家に帰ってはいけない。電話は週に一度、手紙はいつでも自由に書いていい。」
「はい。わかりました。」
表情一つ変えずにあっさりと返事をする帝に、工氏郎は驚いたが、表情には出さなかった。
理由はわからないが、この時工氏郎は、帝に対し。
『意外だ』
と、言う態度を見せてはいけないように感じていた。
帝は、どんな条件を提示されようとも、不満や疑念を抱くことなく受け入れるよう、
表情に出すな、とか、言葉にするのは控えろ、と、いうのでなく、気持ちすら抱くなというのは、まったくなんということを言いつけられていたのだろう。
と、帝は、大人になってから気が付く。
母に、一年間まったく会えないという事を理解しているのだろうか?
と、工氏郎は疑問に感じたが、途中で音を上げたなら、その時はその時、と、考える事にした。
当時、工氏郎、五十八歳。
帝は、六歳になる年。
三月二十一日のことだった。
「何か質問はあるかい?」
「はい。あの…師匠になっていただくことについては質問はありません。別のことを、質問しても良いでしょうか?…」
「なんだい?」
「あの部屋には、誰がいるのですか?」
どうして帝がそんな質問をするのか疑問を抱くと同時、工氏郎は、半ば無意識に、絆師の視覚を有効化していた。
『それ』を見た工氏郎は、悪寒を感じる。
絆師としての視覚は、普段の生活では無効にしておくのが通例だ。
この世界には、たくさんの人の絆が存在しているから、常に絆師としての視覚を有効化していると、まともに道を歩くことすらできなくなる。
先ほど、帝の手習いを見た時には、手元のあたりだけを見ていたから、全く気が付かなかった。
視界の端くらいには見えていたかもしれないが、大きすぎると、かえって認識できないことがある。
「これは…」
帝が示した部屋の主との間に、存在しているであろう絆は、工氏郎が見たことのある絆の中で、最も強固で、複雑に絡み合っている。
『それ』は、まるで出雲大社のしめ縄のよう。
「私が絆の糸を認識した時には、もうありました。ずっとあって、時々細くなったりもするのですが、また太くなるのです。きっと、細くなる時には、絆師の方が操作しているのだと思います。」
工氏郎は、以前聞いたことがあった。
桃院の次期当主には、産まれつき、誰かと繋がる絆があり、どれだけ調整したところで、芯が太すぎてどうにもならない、と。
絆の中には、『芯』を持つものがある。
絆を構成するのは、温かく微かに発光する繊維のようなものだ。
たった一本の細い繊維から始まった絆が、年月と共に『芯』のように固くなることもある。
それはあくまでも、絆の糸が寄り集まって、長年かけて強固になった、と、見てわかる。
一方、『芯』と言うのは、絆の糸で構成されているものではない。
産まれつき存在する絆には、大概『芯』が存在する。
と、いうより、産まれる前から存在している絆には、必ずと言って良いほど、『芯』がある。
多くの人間には目に見えない絆を視て操作できる絆師だからと言って、全員が輪廻転生を信じているわけではない。
だが、あまりにも『芯』が太い絆については、輪廻転生論をあてはめて考えざるを得ない。
『芯』がある絆とは、前世で硬く結ばれていた絆を、現世に引き継いでいるもの、と、考えると、納得ができる。
切ろうにも切れないその絆は、絆師でさえどうにも出来ない。
ものすごく慎重に、時間をかけて削っていくことは、可能かもしれない。
が、少しでも手を出すと危険、と、言い伝えられているため、絆の『芯』に手出しをするのは内田家の人間くらいのものだ。
絆の糸は繊維状で、現実世界に存在するものに例えるなら、繭糸。
『芯』は、シリコンゴム製の棒と言ったところだろう。
帝と桔梗の間にある、見えなくとも、明らかに『芯』がある極太の絆。
『芯』の周囲に絆の糸が巻き付いて硬くなった部分があり、更にその外側を、常に新しく絆の糸が巻き付き続けている。
と、工氏郎は、経験から推測した。
『運命の相手』などと言う言葉が、陳腐に感じるほどに、しっかりと結ばれた絆は、工氏郎でさえ恐怖を感じるものだ。
「…あの部屋にいるのは、桃院家の次期当主、桔梗さんだ。」
中庭の一角、畳一畳分ほどのスペースに作られた、ミニチュア風の枯山水に一番近い、屋敷西側の角部屋。
産まれつきの病気を持ち、伏せていることが多い、と、桃院家に出入りする絆師なら、誰もが知っている。
工氏郎は、桔梗の具合が悪いのは、あるいは『それ』の影響なのではないか?
と、想像した。
「帝さんは、『それ』に何かを感じて、特別具合が悪くなることはないかい?」
「…時々、重くて、とても苦しくなることがあります。そういう時には、師匠が対処してくれます。」
「なるほど…」
工氏郎は、
その時、そばにいる帝には、不快感を感じないように配慮してやれるだろうが、もう一方の桔梗には配慮出来ない。
内田家の当主である
絆が結ばれている相手を、確認していないのか?
と、工氏郎は疑問を抱く。
重苦しいと感じるほどの状態を解消するには、通常一度に解いていいとされる限界以上の絆の糸を、解かなければ治らないはずだ。
そんなことをすれば、互いに不調になる。
「もう少し、
「はい。」
帝は、再び一人になってからも、部屋の方を、じっと眺めていた。
どんな人がいるのだろう?と、想いを巡らせて。
あまりにも強大な絆で結ばれている相手には、いつか、必ず会うことになる。
絆の糸は、陽の光を受けて輝く小麦畑の色に近く、決して赤くはない。
けれど、『運命の赤い糸』伝説は、絆師にとっては、ただの事実だ。
対面した時に、何を感じるのか。
想像すると、どうしてだか、胸のあたりがざわざわした。
重篤な症状が常に出ているとか、極端に日常生活へ影響を出すようなものではない。
薬を飲んで、注意事項を守ってさえいれば、健康な人とほとんど変わらない生活を送ることが出来る。
とはいえ、体調が優れずに横になっていることは多く、あまり外出をしない。
外出を避けているのは、免疫機能に関係する病気で、免疫を抑制する薬を常時服用しているから、と、いう理由もある。
ウイルス感染症にかかれば、健康な人より重篤化する可能性が高い。
可能な限り、特定少数の人間とだけ関わる生活が理想だ。
帝が六歳になろうとしている時、桔梗もまた、十四歳になろうとしていた。
運命で結ばれた相手同士は、誕生日が近いことがある、と、一般に言われるが、帝が三月三十一日産まれなのに対し、桔梗は四月八日。
近いと言えば近いが、誰もが因縁を感じるほどではない。
しかし、絆を見れば、誰もが前世からの縁を感じるに違いない。
もし気付いていないのなら、すぐに知らせたい。
気付いているのなら、なぜ、桔梗に対して気遣いを見せないのか。
その理由を知りたい、と、工氏郎は思った。
絆師は、絆師の中で代表を務めている者ですら、桃院家には月に一度来訪する程度だ。
それほど多くはないが、一生顔を合わせないままの絆師もいる。
絆師同士は、仕組みや時代背景が手伝って、あまり積極的に交流しない。
内田家の人間なら、尚更だが、
工氏郎と
内田家の当主は、最低でも一週間に一度は来訪する。
忙しい時期は、毎日という事もあるほどだ。
そもそも、今日、工氏郎が桃院家を訪ねたのは、呼び出されたから。
帝から声をかけられた後、桃院家の当主に面会しに行ったところ、そこに
桃院家を通じて工氏郎を呼び出したのは、
「帝から師匠になって欲しいと望まれたら受けてほしい。」
と、頭を下げられた。
順番が後先になったことを知った
「
と、応えた。
帝の師匠の話をしただけで、桔梗の話は少しも出なかった。
師匠として関わる以上、知っておくべきことだと考え、工氏郎は再び客間への訪問を公苑に申し出た。
すんなり受け入れられ、再び桔梗の父である桃院尚哉と、内田
帝が誰かとの間にあまりにも強力な絆を持っていることは、妊娠中から気が付いていた。
相手は、当然のように妊娠中に発覚。
同時に、産むしかないという現実に直面した。
産まれる前から、内田家を継げない子供だとわかっていた。
絆師にしない選択肢はあったが、内田家が絆師でない子供を産むとなると、また別の問題がある。
絆師として産むしかないが、内田家の後継には出来ない。
それが帝の立場を悪くすることは明白だった。
呪われた一族の代償を、全て帝に背負わせるようなものだ。
やがて、工氏郎と
「帰るわよ。」
帝とすれ違いざま、
ちらりとも帝の方を見ない様子は、息子のことを少しも気にかけていないように、見える。
黙って玄関に向かう
「失礼します。」
と、工氏郎へお辞儀をし、駆けて行った。
「なんと皮肉なことだろうね。」
工氏郎のつぶやきに。
「まったくです。」
公苑が予期せず応えた。
桃院家にとっては、ほとんど脅迫であったことが、簡単に想像できる。
「しかしまあ、仕方がないのではないかい? 何しろ、切るにも切れない。どちらか片方の命に関わることが起きれば、もう片方までもが、絆を通じて同様の事態に陥る可能性が高い。
事実を伏せ、帝に内田の役割を全うさせようとしていたなら、桔梗ともども、早々にあの世行き。
「ごもっともです。」
内田家秘伝の、絆の反動を、身代わりが受けるようにする技がある。
だが、その技は完璧なものではない。
本体に攻撃をしようとしたエネルギーが、身代わりに移動する過程で、絆の繋がりが強固な者へと流れてしまうことがある。
第三者への被害を防ぐため、内田はなるべく他人と絆を結ばないように生きているのだ。
帝は、内田家の後継として相応しくない、と、言える。
桃院家は、当然真偽のほどを知っており、現時点で
一方の、桃院家については、桔梗は幼い頃から、自身の病気とうまく付き合い、自覚を持って日々生活していた。
因縁の絆があるから、と、新たに跡取りを産めば良い、などと、簡単にはいかない。
桔梗の母、菊乃にも、持病がある。
母子共に全く同じ病気と言うわけではないが、菊乃が持っていた病気の影響を桔梗が受けたのは明らか。
既に、桔梗を産んだ時に、菊乃は生きるか死ぬかと言う状態になった。
その時点で。
「次に妊娠しても、無事に産まれてくる可能性が低い。
下手をすれば、母子共にこの世を去ることになるでしょう。」
と、医師から言われ、菊乃は望んでいた娘を、諦めた経緯がある。
仮に、無事に産まれたとして、菊乃に病がある以上、次に産まれてくる子供も、桔梗と同じようになるかもしれない。
一時は、現当主の尚哉が外で子供を作ってくれやしないか、と、望んだこともあった。
しかし、何より桔梗本人が次期当主として努力しているものを、親として否定できない。
桔梗にかける思いがあるからこそ、帝の存在は、尚哉と菊乃にとってさぞ疎ましいだろう。
「桔梗さんのお身体の具合は、いかがなもので?」
工氏郎は、余計なおせっかいを自覚しながら、帝の未来を案じずにいられない。
「ええ、元々、直接命に関わるようなものではありませんし、身体的に、跡取りが望めないという事もありません。旦那様、奥様共に、帝さんのことを大いに警戒なさっています。」
工氏郎は、質問の意図まで見透かされている、と、突き付けられ、さすがに一瞬、言葉を詰まらせた。
「…公苑さん。帝さんは、おそらく、辛い立場に置かれるだろう。どうか、出来る限りで構わないから、あの子を守ってやって欲しい。」
公苑は、工氏郎の言葉に戸惑ったが、そう言った心の揺れを相手に感じさせないようにするのは、公苑家の特技である。
「はい。できることは、そう多くはないでしょうが…可能な限り。」
公苑は、あくまでも桃院家に付き従う一族だ。
桃院家に利がある存在として、これまでの内田家当主に対しては、丁重に対応する必要があった。
しかし、害にしかならないとなれば、話が変わる。
帝を暗殺するよう、命令が下ってもおかしくはない状況の中、桔梗との間にあるあまりにも強すぎる絆の影響で、手が出せない。
桃院家にしてみれば、せめて女性であれば、と、言う思いがあった。
相手が女性であれば、絆に抗えずに関係を結んだ結果として、子供が産まれる可能性があるからだ。
正妻との間でなくとも、桃院家の跡取りが産まれれば、それでいい。
代々続く名家には、概ねそのような考え方がある。
正妻が、子供を産めるとは限らないからだ。
当の菊乃が、愛人との間に子供を作ってくれやしないか、と、考えるほどに、名の通った家にとっては、当たり前のこと。
妾が産んだ子を、正妻の子として育てる、とか。
跡取りとなるはずだった、正妻の子が病気で急逝し、産まれた事すらなかったことにされていた妾の子が、急に手のひらを返して引き取られる、などと言うこともある。
どちらにせよ、絆師との間に子供を儲けることを禁じられている桃院家だ。
女性であろうが、男性であろうが、桃院桔梗との関係は、いばらの道であることに変わりはない。
桃院家と、内田家と言う、絆師にとっての二つの要が断絶への道をたどっている。
自然の
工氏郎は、そんな風に感じながら、絆師の未来より、これから弟子となる帝の未来を案じていた。
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