第一話 内田帝
帝が、最初に母として認知した人は、乳母だった。
その人は、決して優しくはなかった。
最低限のことを、仕事としてこなすだけの存在。
それでも、間違いなく乳母が、帝にとっての『母』だった。
大多数の人間が、母親らしさを感じる言動を、帝に対して直接したことは、おそらく、ない。
内田家の子供は、乳飲み子の間、桃院家が手配した乳母に預けられる。
内田家の仕事をする人間は、常に一人か、多くても二人だ。
帝が産まれる前に、
子供の面倒を見ている余裕は、一切なかった。
帝から見て、乳母は、ある日、急に現れなくなった。
一度も名前を呼ばれたことがなかったし、笑いかけられたこともなかったけれど、寂しさから胸を痛めた。
だが、帝は、幼少期の記憶がほとんどない。
平均的に、一歳半の頃から自我が芽生え、意志を持って行動していたが、四歳よりも前のことを何も思い出せない。
通常なら、一人でトイレに行けるようになると、内田家次期当主としての指導を受け始める。
しかし、
帝には知る由もないことだが、内田家は、閉鎖的で、排他的な一族だ。
一般的な常識を認識すれば、禁忌の技を使用することに疑問を抱く可能性が高くなることから、内田家では不要とされてきた。
世間一般で悪とされていることを、なるべく悪として認識しないこと。
それこそが、内田家の英才教育なのだ。
学ぶべきことは、存分に学ばせるが、とても限られた内容だ。
人と、なるべく関わらずいられるよう、世間と感覚がズレていた方が好都合だ。
内田家の人間は、当主になるための教育を、ひたすらに受けるだけだ。
しかし、
知識ではなく、空気で。
いや、なるべく人と関わらずに、生きていても、ある程度の年齢になれば、否応なしに一般常識や倫理観についての知識を得ることになる。
多少なり、人と関り、会話を交わすこともあるのだ。
特に内田家の女性は、多くの男性と関係を持つから、話をする機会が必然的に多くなる。
内田家と言う人間の生き方が、いかに特殊であるかを、
内田家の子供は、内田家の当主と師弟の関係が結ばれた絆師のみであるから、ほとんど常に一人っ子だ。
異母きょうだいが、出産後に内田家当主、かつ、父との間に師弟の絆を結んだ例は、ない。
そんな風だから、内田家の人間は常に孤独。
知ろうとしなければ、一般常識など身につかない状況の中で、知ろうとすることが許されないのだから、決して身につかない。
内田家では、テレビやラジオはもちろん、新聞も禁止される。
内田家への連絡手段は、古くは伝書鳩。
電報が使われた時期もあったが、電話が普及してからは電話でやり取りされる。
もちろん、直接的なやり取りはしない。
主に隠語を使用して話をするし、依頼内容の詳細は直接話すのが通例だ。
帝が産まれる少し前に、ポケベルが流通した。
それにより、
禁忌の技を使用するというのは、大きな代償を伴う。
絆の糸を操作するというのは、精神の一部に、直接触れるに等しい行為だ。
中でも親子の絆は、根源的なもの。
切っても切れないその絆すら、操作することがあるのが、内田家だ。
一般常識や、親子の愛情を感じた時、それまでしてきたことを振り返ると、とてつもない後悔に苛まれる。
最初からやり直したい思いに駆られても、もはや、取り返しがつかない。
自分が味わっている後悔を、いまこの瞬間に子供に味合わせたらどんなことになるのか。
と、考えれば、その時に慌てて一般常識を教えることは出来ないだろう。
自らは、罪深さを突き付けられ、葛藤しながらも、内田家当主としての責務を果たさねばならない。
次代に引き継げば、その仕事を担うのは我が子。
数年はごまかしが効くだろうが、いよいよ行き詰ると、もうそこからは抜け出せない。
内田家は、桃院家のため、絆師全体の利益のため、なくてはならない。
絆師の闇を一身に背負った、必要悪。
内田家の人間は、ある程度、子供が成長し、一族に伝わる禁忌の技を、子へすべて伝え終わると、役割を終えたとばかり、不審死を遂げてきた。
最長でも五十歳、平均的には四十歳前後で人生を終えている。
他の絆師たちは、表面上は内田家を忌み嫌い、その実、いざという時には、内田家が何とかしてくれる、と、思っている節がある。
万が一にも、権力者に取り込まれれば、脅威でしかない。
関わりたくはないが、味方でいてくれなくては困る。
内田家とはそういう存在だからこそ、絆師に限らず、あらゆる人間との距離を一定に保ち、常に孤高の存在としてあり続けねばならなかった。
帝の母、
しかし、
帝を妊娠した頃に、
全国の絆師をとりまとめる桃院家。
古くから名家として存在し、権力者との繋がりも多い。
権力者から暗殺を依頼されることもあるのだから、それらが犯罪として立件されないため、人脈は重要だ。
同時に、そういった権力者から絆師を守る必要がある。
権力者が、個人的に絆師と接触すれば、思うがままに絆師を動かした挙句に、口封じのため、と、使い捨てることが起こり得る。
そのような事態から、絆師を守るために、管理を担ってきたのが桃院家だ。
桃院家は、一部では『
『羅』と言う文字は、網をつなぎめぐらせる、と言う成り立ちをしている。
この漢字が表しているのは、『ネットワーク』。
そのため、桃院家は、『羅家』と呼ばれる。
そして、その桃院家に付き従い、危険を排除する影のような存在が、
内田家と、頻繁に関わるのは、桃院家と公苑家くらいのもので、その他の絆師とは、滅多に関わらない。
内田家と関わりの深い一族とすら、必要最低限の付き合いだ。
帝の名前は、糸へんをつけると『締』となる。
帝のことを、産まれる前から、”内田家を、締めくくる者”として、
だから、帝が、四月に小学校入学を迎える前年の暮れ。
「あなたは、小学校に行きながら、別の師匠に習い、絆師としての修行をしなさい。」
と、師として命じた。
それから、
広々とした土地に、悠然と建てられた日本家屋。
庭園があり、敷地内で十分な散歩ができる。
母屋の他に、全部で五つの離れと、茶室がある。
華道専用とされた離れがあるが、桔梗の母、
その他、公苑の人間が寝泊まりする専用となっている離れが一つ。
残りの三つは、来客が宿泊する際、使用する。
公苑が使用している離れだけは、地下で母屋と繋がっており、いつでも行き来できる仕様だ。
母屋には中庭があり、松の木が中央にどっしりと植えられている。
東側には、池。
池の両脇には、水面を照らす灯篭があり、東南に井戸。
南には、毎年実がなる梅の木。
西側には池と同じくらいの面積に、中央部分に腰辺りまでの高さの竹が植わっている枯山水。
北側には南天の木とアジサイが植えられている。
庭の手入れは、主に公苑の人間が行うが、桔梗の母、
菊乃は、華道を教えられるほどの腕前だが、桃院家にいる限り、華道教室は開けない。
自宅外で、華道教室をやろうにも、場所の問題があるから、結局はやっていない。
菊乃の実家は、華道の宗家だ。
日課になっているから、何があっても、必ず日々花をいける。
家の中に、いけた花を飾る場所は十か所以上あるから、夏は毎日いけてもおいつかない。
南東に玄関。
玄関を入ると、正面は全面が壁になっているが、ちょうど玄関扉の正面に当たる部分が、両外開きの板戸だ。
板戸を開け放せば、玄関から中庭を一望できるが、普段は締め切られている。
池や井戸のある方角には、台所や風呂場などの水回りが集中している。
玄関から上がり、右手突き当り正面がトイレ。
左手に進み、突き当り、右手の部屋が客間だ。
玄関正面意外、中庭に面した縁側は全てガラス戸になっていて、暖かい日の昼間は開け放たれている。
四か所に設置されている
北東の縁側が、小さい頃の帝の定位置だった。
まだ寒い頃には、トイレと客間の間に位置する居間の端で、公苑家の者に付き添われ、母の用が済むのを待っていた。
月に二、三回は必ず訪れるから、その度に公苑家の者が一人付き切りになるのが、なんだか落ち着かない、と、感じていた。
三月もう後半になると、だいぶ温かくなり、中庭に面した窓が開け放たれるようになった。
それからは、公苑の者が、そばに付き切りと言うのではなく、帝が見える範囲で動き回るようになった。
客間を訪れる者が、必ず通るその場所は、子供が座っていれば、つい声をかけたくなる、と、言える。
「君は…とても優しいね。絆師にとって、絡まり合った絆を丁寧にほどいて、きれいに結びなおすことも、立派な仕事の一つだと、私は思うよ。」
背後から突然話しかけられ、帝はどう反応したら良いか、一瞬、わからなかった。
しかし。
「わたしの師匠は、できて当たり前のことだと言いました。」
それまで、大したことと考えていなかったこと。
立派な仕事だと言われたことで、内心誇らしい気持ちになるのを、抑えるように言った。
自分と他人に間にある絆に、改変を加える事は禁忌とされているが、元から存在している絆を、一度ほどいたのち、元のように戻すことは、許されている。
それは絆師としての第一歩。
まず最初に行う実技であり、基本中の基本だ。
「出来て当たり前なんてことは、この世に何一つない。と、私は思う。」
帝は目を見開いて、次の瞬間、立ち上がり、姿勢を正した。
「わたしは、いま、教えてくださるお師匠様を探しています。師匠から、他の絆師の方に、教えを乞うように、言われました。わたしのお師匠様になってくださいませんか?」
今度は言われた工氏郎が目を丸くして。
「はっはっはっ。私が君の師匠に?」
「あ、あっ、あの、わたしは、内田帝といいます。四月から小学生になります。」
教えられた自己紹介は、慌てた様子で、たどたどしい。
工氏郎は、微笑ましく感じていたが、その正体には内心驚いた。
「そうか、君は、
これまで耳にしたことがあるのは「内田の子」という言い回しだけだった。
それも、ヒソヒソと遠巻きに。
桃院家も、公苑家も、決して優しくはない。
会話は
帝の心の中で。
『この人に教わりたい』と、いう気持ちがはっきりと芽生えた。
幼稚園の先生たちは、はじめこそ張り付いたような笑顔で接したが、帝の不気味さに、引きつるようになった。
泣かない、笑わない、怒らない。
しかし、自分のしたいことは押し通そうとする。
それが悪いことだとは少しも感じていない。
誰にも教わらなかったのだろう。
母親に注意をしても。
「そうですか。」
と、だけ。
他の園児の保護者から、苦情が来るまでに、それほど時間はかからなかった。
「私に常識がないことはわかっています。けれど、あの子には常識を学んでほしい。私自身がこれから常識を学びあの子に教える事は出来ませんから、あの子に教えて頂けませんか。乱暴にしてくださっても構いません。」
幼稚園の先生は、母親が親から何も教わらなかったのだ、と悟った。
「仕事が特殊で、ほとんど一緒に過ごせないし、普段自分の子供がどんなふうに生活しているかも知らない。
これからますます仕事が忙しくなるから、自分自身で向き合うことは出来ない。あの子が、この先、一人で生きて行けるようにしたい。」
そう語る母親は、母親として必死、と、言うよりは、何かそれ以上の大きな事情を抱えているように感じられた。
虐待をしている風でもないし、通報する必要はなさそうだ。
園側は、そう判断し、他の園児とは別の時間を作り、少しずつ人との関わり方を学ばせる、と言う事で話がついた。
そうして、帝は、母の愛を知らぬまま、母の愛情により、幼稚園で教育を受けた。
しかし、第三者から見れば、不器用な愛情であった。
帝は三月三十一日に産まれたから、間もなく六歳を迎えようとしている。
他の子と、比べたことがないから、
だからこそ、外へ出すことにした。
「じゃあ、私が君の師匠になって良いか、
「はい。お願いします。」
内田家の子供は、早くから、言葉遣いだけはしっかりしている。
誰に対しても敬語を話し、礼儀作法については一通り習うのだ。
人を寄せ付けない、感情を動かさないように、挨拶し、淡々と無感情に言葉を交わす方法、と、いう事には、
丁寧に接し、他人の気を荒立てないようにするのもまた、内田家の人間として必要なこと。
子供同士の間では、通用しない、と、
帝は、内田家の子供にしては、感情を表に出すし、はつらつとした印象を与える。
一般的な六歳の子供と比較したら、子供らしさに欠けるし、不自然な点が多々ある。
が、それでも、決して、幼少期から陰気な気配を放つ、内田家の子供らしくはなかった。
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