第20話 女神が人間になった日(紅夜side)
オレが芸能界に入ったのは、十五歳の時だった。高校進学の時期、普通の人生にしたくないと何となく思っていた時に見つけたオーディションの広告。容姿についてはよく褒められていたし、運良く受かればいいななんて軽い気持ちで応募した。ありがたいことにオーディションで太鼓判を押されて、オーディションを開催してる関西の事務所に所属した。仕事をしていく中で、色んな先輩の背中を見て、オレもこうなりたいと真剣に思うようになって……タレントという仕事を、真面目にこなしていた。
でも、進めば進むほど、人気が出れば出るほど、理想と現実のギャップは広がるばかりだった。憧れた先輩とは程遠い、おちゃらけた自分のキャラ。無理をして作ったキャラでもないし、間違いなくそれが自分だったけど……今思えば、仕事とプライベートが分けられなくなっていたんだと思う。漠然と、疲れたなと思うようになった。
「ジャスティナちゃんは、オレとの初対面覚えてる?」
「……はい。まだ私が、社長になる前に一度お会いしましたね」
「そう。タレントなりたてほやほやの頃やったから……あの頃ジャスティナちゃんは十三歳か。子供やなぁ」
「はは……本当に……」
アイドル、タレント、俳優など、多くの芸能人が集まる大型番組にありがたく出演した時のことだった。あの時はまだ、山田紅夜の売り出し方針もさほど決まっていなくて、あるがままに進んでいた記憶である。大阪の大きい会場で行われた撮影で、迷子になっていたジャスティナちゃんをId∞lの楽屋まで案内してあげたのだ。「大阪の地で失敗した、お父さんに呆れられてしまうかも」と不安そうな彼女を見て、気が紛れるよう色々と雑談をしながら案内してあげたのをよく覚えている。
「あれからジャスティナちゃんが社長になるまでの七年一度も会ってなかったから、社長になったジャスティナちゃん見た時は成長しすぎててほんまビビったわ」
「関西のテレビ局でばったり会ったんですよね」
「そうそう。その前から記事やらなんやらで写真は見たりしてたけど、実際二回目会うたのはその時やったな」
あの頃のオレは、初めてジャスティナちゃんに会った時と比べて、夢を見失っている時期だった。義務感にも近い感覚で仕事をこなす日々。明るくて面白い山田紅夜をみんなが求め、それに応える日々。
「あの時、ジャスティナちゃんがオレになんて言ったか覚えてる?」
「え! わ、私なにか失礼なことを……?」
「いや、違くて……『この前の歌聞きました。歌手活動はやったりしないんですか?』って言ったの、覚えてない?」
「……すみません、あまり記憶が」
あの日ジャスティナちゃんが言った歌というのは、その数日前に放送されていたバラエティのワンコーナーで、企画として歌ったもののことだった。ほんの数フレーズを歌っただけで、特に誰も関心を持たないような番組の一場面。それを、彼女が切り取ってくれたのが印象的だった。理由を聞けば「以前会った時に歌もやってみたいと言っていましたし、実際とても似合うと思ったので」とさらりと返されたのを覚えている。あの時雑談として話したこと――オレの初心を、彼女が忘れずにいてくれたことは、オレにとって大きな出来事だった。
「あの頃はさ、バラエティで騒ぐことで認められて、褒められて……それだけだった。君だけが、オレの違う顔を見ようとしてくれてたんやで」
「そんな……あの頃から、紅夜さんのファンの方々はあなたのもっと深い部分を見ていましたし……」
「はは、せやね。今になってそれもよく分かる。でも当時はな、ジャスティナちゃんにどうしようもなく救われた」
それから少しの期間悩んで、アイドルになることを決めた。所属していた事務所に猛反対をくらい、ジャスティナちゃんに相談したところ、Id∞lに円満に移籍できるよう手を回してくれたのである。おかげで、元事務所の人とも気まずくなることなく、今こうしてアイドルとして活動しているのだ。
「Id∞lに行ってから、ジャスティナ社長はオレの女神みたいなもんやってん」
「女神!?」
「そう。ジャスティナ社長についてけば絶対大丈夫。ジャスティナ社長を信じていれば大丈夫。そない思ってた」
無論、それはオレだけではない。蒼も、燈真も、紫音だってジャスティナ社長という存在を圧倒的に信頼していた。オレが初めて会った時にまだ子供に見えた彼女が、MaTsurikaをしっかりと育てている姿は、見る度に崇拝心を増幅させていたとも思う。
「でもそんな女神に、急に見捨てられてしもうて。当日までは、絶対になにか理由があるんやってそない思ったりもしたけど……移籍先があまりにも酷い事務所で、女神はすぐ海外に飛び立っていくし、あぁ、ほんまにオレらのこと邪魔になったんやな……って、絶望した」
話しながら、あの頃の苦しみが蘇る。思わず苦い顔をすれば、目の前でジャスティナちゃんも泣きそうな顔をした。再会して間もないが、彼女は社長の頃よりも、表情が豊かになったと思う。社長の仕事を嫌っていなかったとは思うが、やはり重荷ではあったのだ。そんなことにもオレは気づかず、信じていた女神に捨てられた悲しみから、次第に憎しみに近い感情を生み出していた。
「加藤ジャスティナを見返してやる! って……そんな風にも思ったりして……。多分、MaTsurikaの中でそんな気持ちを持ってアイドル活動しとったのオレだけちゃうかな。他のみんなは、ジャスティナちゃんが戻ってきてほんま嬉しそやったし」
「そんな。紅夜さんの反応が、正しいんです……」
「そんなことない。オレな、最近ずっと自分の単純さに腹が立ってた。だからジャスティナちゃんともどう接していいのかよう分からんくて、避けてた部分もある。ごめんな? でも、ようやく分かってん。加藤ジャスティナは人間なんやな。オレと同じ人間、かつ、優しすぎる女の子。それなら、悩む必要そないあらへんのやな」
振り返ってみれば、ほとんど八つ当たりだったのだ。ジャスティナちゃんを勝手に神格化して、裏切られた気になって、自分が間違っていたと認められずに再会後も彼女に当たって……。オレは本当に最低だ。
「すんませんでした。これまで、避けてしもうて」
深く頭を下げる。彼女の顔は見えないけれど、目の前で焦っている姿は容易に想像ができた。顔を上げて、と不安そうな声で言われて見上げた先には、予想通りの表情がある。
一年前、震えを隠してオレたちに別れを告げた女神は、表情豊かな人間になって戻ってきてくれた。それが今はとても嬉しい。
「今日、話しかけてくれてありがとう。オレ、やっぱりジャスティナちゃんめっちゃ好きや」
彼女がオレを救ってくれたあの日、崇拝へと転じてしまった好意がいま、より俗物的なものに変わっていくのを感じる。だけどそれは決して気分の悪いものではなくて……凝り固まった心が解れていくような心地良さがあったのだった。
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