第19話 変わってしまったこと
東京に戻って約一週間。私はNEXTプロダクションで事務担当として雇われていた。経歴が経歴なだけに、社長補佐、副社長などの候補も上がったが、そんな役職に就いて父親に存在がバレてしまっては困る。それに、未だにMaTsurikaしか所属アイドルがいないこの事務所では、どの役職になろうがやる仕事は大して変わらない。なので、大人しく事務職として就職させて頂いた。
これまで緑と桃菜(たまに社長)で全ての事務や営業、広報などをこなして成り立っていたらしいが、私が増えたことでようやく作業分担がはっきりと決まったようだ。細かい分類はあるものの、私は表に絶対に出ないという約束である。事務所としても、元大手社長の加藤ジャスティナが働いていると知られるのは印象が良くないだろう。
……と、いうわけで。私はあれから毎日事務所にこもりっぱなしである。元々の予定では、今頃各地をめぐってのんびりしているはずだったのに……と思わずにはいられないが、またMaTsurikaと共に過ごせることは素直に嬉しい。
しかし、そう素直に思えるようになったのは、NEXTプロダクションに入社した以上に大きな出来事があったからだろう。MaTsurikaも他の社員も出払っていて、一人のオフィス。壁に設置されたテレビの中では宙くんの俳優転向についてのニュースが流れていた。
原作通りに進めなければ、と警戒していたMaTsurikaよりも今暴走しているのが画面の中にいる彼である。彼は謎に私に恋をしてしまったようで、アイドルを辞めて俳優になると宣言してしまった。マツショクのFDでは、MaTsurikaメンバーと宙くんの対立が必要不可欠なはず。しかし肝心の宙くんはアイドルを引退してしまって。この世界がこんなにも大きく原作から離れてしまったのは、ここがゲームの中だと気づいてから初めてのことだった。
事務所に一人きりだったのをいい事に、私は仕事をしていた手を止めて手帳を開く。考えを整理するために、白紙のページに思い出せる限りの原作の内容まとめていくことにした。
まず、マツショク無印のあらすじを振り返っていこう。舞台はアイドル戦国時代の現代日本。プロデューサーを志していた主人公・松田桃菜が唯一内定を貰えたのは、社長が仕事をしないNEXTプロダクションのみ。そこに所属するのは、大手事務所から見限られた四人組アイドルグループMaTsurikaだけ。彼らを育てると決意した桃菜は、MaTsurikaと共に大きなアイドルの大会【IDGP】にて優勝を目指すことになる。そうして彼らと切磋琢磨していく間に特定のメンバーと恋仲になるのだ。
次に、FDのあらすじ。IDGPで優勝を果たし、順風満帆のアイドル生活を送るメンバーたち。しかしアイドルとして活動していく中で、徐々に個人の足りない要素が露呈するようになる。そんなとき、MaTsurikaがもともと所属していた大手事務所のトップアイドル・篠宮宙と合同ライブの話が持ち上がった。IDGPはグループ参加が条件のため宙は出場すらできないものの、実質の殿堂入り扱いである。そのため、運営側からの報酬としてソロアイドルの宙とMaTsurikaの合同ライブが提案された。ライブを実現するにあたり、更に自分の欠点とぶつかることになるMaTsurikaのメンバーたち。その困難を、桃菜との愛のパワーで乗り越えていくのだ。
……誰がどう見ても、現状はFDの軸からは外れてしまっているだろう。ライバルとなる宙くんがアイドルを辞めてしまったのだ。念の為、個別ルートについても細かく覚えている限りを書き起こしていくが、やはり私が居る世界線はFDには存在していない。
ふと、疑問が沸きあがる。そういえば、桃菜は今誰と付き合っているのだろうか。蒼に手紙を送ったことから、何となく蒼なような気がしていたが、あれは私が勝手にやったことだ。桃菜と付き合ったならば蒼は私と二人きりで車に乗ったりしないと思うし、そもそも桃菜の前で私の手を握らないだろう。
残りのメンバーはどうだろう。彼らの様子を思い出したいが、いかんせんMaTsurikaは忙しい。数日後には、また違う県へとツアーに行ってしまうし、今はそのレッスンの合間を縫ってテレビの仕事をしている。
「……なんや、ジャスティナちゃん一人か」
メモ帳を眺めひとりでうんうん唸っていると、聞き慣れた関西弁が耳に入った。
「あ……紅夜さん。おかえりなさい」
「ただいま。……桃菜ちゃんおらんの?」
「松田さんは、今紫音くんのCM撮影に同行してます」
そっか。とだけ返すと、彼は会議室へと入っていく。バタンという音が何とも物悲しい。実はあの日から、紅夜さんとは気まずいままなのである。ここは狭い事務所で、仕切り等はあるにせよ、完全に隔離されている部屋は会議室だけ。そのため紅夜さんは、私と同じ空間にいることを避けて会議室に入ったのだろう。私は当然構わない。それだけのことをしたと思っているから。でも、そのせいで紅夜さんに気まずい思いをさせてしまうのが申し訳なかった。彼の出演番組を見ていると、普段と特に変わりはないが、どことなく疲れているような気がする。もしかすると、それも私のせいかもしれない。
一度、きちんと話し合うべきだろうな。と感じて、会議室へと向かう。紅夜さんのこの後一時間程の休憩を挟んで移動する形になるのだろう。ならば、その前に話をしなくてならない。間が開けば開くほど、関係というのは拗れてしまうから……。
会議室のドアをノックすると、少し間を置いて許諾が返ってきた。ゆっくりとドアを開けば、紅夜さんは小説にしおりを挟んでいるところだった。それは、彼が出演することの決まっている映画の原作小説。そういえば、今日彼はその映画の顔合わせに行っていたんだった。
「どした?」
「邪魔してしまってすみません。紅夜さんと、一度きちんとお話したいなと思いまして……今、いいですか?」
何となく、気まずい空気が漂う。しかし、小さく頷いてくれた紅夜さんは、私に向かいに座るよう指し示した。お辞儀をして、彼の前に着席する。何だか面接みたいだ。いざ向かい合うと、いまいち何から話せばいいかが分からない。「私のこと避けてますよね?」を導入にする訳には行かないし、「私のことどう思います?」も違うだろう。無難に世間話から入るべきか?
「……はは、気まずそうやなぁ」
黙っていた時間としては、数秒程度だったと思う。沈黙を破ってくれたのは、紅夜さんの方だった。
「ごめんな、困らせて」
「え! いえ、謝るのは私の方で……!」
「もうジャスティナちゃんは十分謝ってくれたで」
「いえ、謝っても許されないことをしたという自覚はあります。紅夜さんに、許しを乞うつもりで来たんじゃなくて、今後私の存在が紅夜さんにとって障害にならないように話し合いができればと……」
言葉を選んで、偉そうにならないように気をつける。だけど、私が何を言っても「なら出ていけよ」という結論にしかならなくて、次第に言葉尻が小さくなってしまう。紅夜さんは小さく息を吐いた。
「……オレはな? これまでジャスティナちゃんを、あんまり人間って思えてなかった」
「へ。それは、どういう……」
「せやなぁ。少し、昔話をしよか」
懐かしむような優しい声色。私は自然と姿勢を正した。
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