第15話 幼馴染という存在
結局、NEXTプロダクションで雇われることは決定したのものの、当然ながら詳しい役職は後で社長に任命してもらうことになった。話し合いがとりあえず落ち着き、ようやく解散となる。
気付けば、時刻は十九時を過ぎていた。明日もレッスンや撮影が詰まっているMaTsurikaをこんな時間まで振り回してしまったことが申し訳なく、逃げるように会議室を抜け出す。
「ジャスティナ」
そそくさとビルを出ていこうとした私を、蒼が呼び止めた。
「家まで送ってく」
車のキーを見せられたかと思えば、いつの間にか手首を掴まれ、駐車場の方向に引かれていく。心配性はこの一年で変わっていないらしい。
「ダメだよ。大丈夫、送ってもらうにしても緑さんにお願いするから」
人気が急上昇中の大事な時期だ。スキャンダルなんて特にあってはならない。心配してあげたというのに、分かりやすくムッとした表情で返されてしまう。足を止めたところで、緑さんも駐車場に出てきた。
「あれ、まだ二人とも居たんですね」
「……あ、緑さん。お願いが――」
「お疲れ様です。緑さん、先に帰ってください」
「蒼、ちょっとムキになりすぎじゃない?」
私たちの顔を見比べた緑さんは、何かに気付いたようで、小さく頷くとそのまま一人で車に乗ってしまう。
「え、ちょっと……」
「スキャンダルにだけお気をつけて〜」
結局、緑さんの車はそのまま走り去ってしまった。元々彼に送ってもらうつもりなんてなかったが、蒼が中々頑固なことは知っている。ここで緑さんが助けてくれなければ、蒼は意地でも私を送り届けてしまうのだ。恨めしく蒼を見つめれば、無表情のまま見つめ返される。
「……お前さ、緑さんと結婚でもするの?」
「え! な、なんで」
予想外と質問に、思わず間抜けな声を出した。
「だって、もう社長と部下でもないわけだろ。なのにずっと連絡取り合ってたみたいだし。何でそんなに親しいんだよ。今日もコソコソ夜ご飯の約束したりして……」
「……と、特に深い意味はないよ……」
辞めた職場の人と交流を持つことは、そこまでおかしいことなのだろうか。
それに、緑さんは私のわがままで福利厚生充実の大手事務所から、何もかもが未完成の弱小事務所に移ることになってしまった。彼が望んでいたこととはいえ、言うなれば彼は私が起こした出来事の被害者だったわけだ。
そんな彼に、現状を報告する義務があるのは当然のことだったと思う。
「とにかく、結婚なんてしないよ。そもそも、数時間前までは東京に留まるつもりもなかったんだし……」
「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな……じゃあ、今はマンション借りたりもしてないのか?」
「うん。別荘から出てきてずっとホテル泊してる。ははは、住所不定無職だね」
「そんなあっけらかんと……」
呆れてため息をついた蒼が、少し考えた様子を見せてから、ふっと視線を落とす。何事だろうと首を傾げれば、緊張気味に蒼の口が開いた。
「……俺の家、来るか?」
「……えっ?」
「家、ないんだろ」
続けられた言葉に、思わず深いため息をつく。
「……あの。心配してくれるのはありがたいけど、蒼はアイドルで私はもう一般女性だから。迂闊に出入りはできないよ」
蒼は優しすぎだ。幼なじみに優しいのは素敵なことだけど、アイドルとして活躍している蒼が、付き合ってもいない女性を家に入れていいわけがない。しかも二人きりなんて論外だ。
「……は。社長の次は、一般女性か」
「えっ?」
自嘲気味に笑う蒼を見つめていれば、泣きそうな瞳と視線が交わる。真剣な眼差しに、どきりと心臓が跳ねた。蒼は言葉を続ける。
「今日、色々あったけど、俺は本当に嬉しかったんだ。ジャスティナが戻ってきて、俺のカラーを着てくれてて、みんなの前でもタメ口のままでいてくれて……」
「あ、敬語……」
言われてみれば、敬語のことなんてすっかり頭から抜けていた。MaTsurikaメンバーの前で、蒼にタメ口で喋ったのは初めてだったかもしれない。私はもう社長じゃないし、蒼にかしこまる必要はないから何の問題もないけど、改めて自分の中で社長という要素が失われたのだと実感する。
「なぁ。俺は、ジャスティナにとってアイドルの前に幼馴染じゃないのか? 俺が、お前にとって頼れる存在じゃないことが……すごく虚しい」
「……ごめんなさい」
言われて、はじめて自覚した。確かに、アイドルの一ノ瀬蒼を尊重するあまり、幼馴染の一ノ瀬蒼を蔑ろにしていたかもしれない。宙くんが仕事を休みたいと言った時は、あんなに簡単に宙くん自身の意思を尊重できていたのに、蒼にはそれができていなかった。
「ごめんなさい、蒼。蒼がアイドルになるためにどれだけ努力してたか知ってるから、余計距離を取っちゃってた」
私はもう、社長ではない。もちろん、アイドルとの接触には、最低限注意を払わなくてはいけないけど……もう少しだけ気を緩めてもいいのかもしれない。
「……蒼、送ってもらっていいかな。さすがに泊めてもらうわけにはいかないから、ホテルの駐車場までになるけど」
慣れないお願いに、少しだけ声が震える。蒼は一瞬固まったかと思えば、満足気に笑って、私の頭を軽く撫でた。またそんな危ないことをして……と思うが、これからは幼馴染の蒼も大切にしていきたい。ここは契約者専用の駐車場であるし、友人の範囲内での接触は、見逃すことにする。
「じゃあ、後部座席乗って」
「助手席じゃなくて?」
「あぁ。これなら多少親密感薄まるだろ」
蒼に後ろのドアを開かれて、何となく寂しい気持ちになった。それと同時に、これまで私が蒼から距離を感じずに居られたのは、蒼が私に幼馴染として接してくれていたからだと気付かされる。
「うん……その代わりいっぱい喋ろうね」
「はは。子供かよ。あぁ……でも、たくさん話そう。一年も会ってなかったんだしな」
二人が乗り込んですぐに車にエンジンがかかる。車の中ではMaTsurikaの曲が流れていた。
目的のホテルまではそれほど遠くなかったが、会話をしていたら楽しくて懐かしくて、蒼が遠回りしていることにも気付かない振りをする。
明日になれば、私はまたマツショクと違う流れになってしまった現状について考えなくてはならない。でも、今だけはマツショクのことも忘れて、ただこの時間を楽しみたかった。
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