第14話 再就職は望んでない!

 緑さんとのディナーの約束は、残念ながらキャンセルとなった。コースで予約せず、席だけの予約にしておいたのが不幸中の幸いである。人気なオシャレ居酒屋であったし、すぐに空けてしまった席も埋まるはずだ。

 ……うぅ、でも居酒屋行きたかった!

 特段お酒が好きなわけではない。ただ、現状この空気が重すぎる。

「ええと……私も同席して良いんでしょうか……」

「……はい。松田、さん? 突然押しかけてごめんなさい」

 私が謝れば、初めて対面したヒロイン松田桃菜――心の中では、前世同様親しみを込めて桃菜と呼ばせて頂こう――は気まずそうに笑って椅子に腰かけた。そうして、長机にMaTsurika対裏方社員の構図ができ上がる。社長は出張中だ。

 一時間ほど前、MaTsurikaに目撃されてしまった私と緑さんは、あれよあれよという間に、NEXTプロダクションへと連行されていた。なぜ四人があんなにちょうどよく居合わせてしまったのか……連行される車の中で蒼に問えば、緑さんのスマホに入っている位置情報共有アプリを使ったらしい。何やら、以前遅刻しかけた燈真くんが自分を監視してくれ! と全員のスマホにアプリを入れてもらったことがあるようで……プライベートを知られたくない蒼や紫音くんは、即座に自分の位置発信をオフ設定に切りかえたようだが、緑さんはよく分からずオンのまま放置していたそうだ。

 そういうアプリに疎い緑、可愛いッ……! 解釈の一致ッ……! と、前世の記憶が叫んでいたが、現世の私としては、彼のその疎さが恨めしい。

「……ジャスティナ」

「は、はい!」

 全員が何から話せばいいか分からず黙り込む中、口を開いたのは蒼だった。思わず勢いよく返事をすれば、彼が少しだけ口角を上げる。

「まずは……おかえり」

 その言葉に、じわりと胸が暖かくなった。自然と涙が湧き上がってくる。だけど、私にはただいまと言う資格はない。こくりと頷いて、つい机へと視線を落とす。

「今日、コンサート中にジャスティナを見かけて……緑さんに電話したんだ」

「……私、見つかってたんだ」

「俺と燈真にはな。リフターの位置が良かったから」

「びっくりしました。まさか社長がいるなんて思っていなかったので……」

「すぐに声をかけたくなったけど……俺たちはアイドルだから。グッと堪えて、緑さんに何かして貰えないかと思って電話したんだ。……でも、適当に流されて」

 それまで優しかった蒼の声色が、最後で冷たいものに変わる。左隣で緑さんがびくりと跳ねるのが見えた。

「て、適当って……。……、悪かった。あの時は、ジャスティナさんが待ってたし、急いでたから」

 なるほど。私が突然「宙くんと一緒だ」なんて連絡を寄越したものだがら、蒼への対応が雑になってしまったのか。緑さんからすれば、蒼が探しているジャスティナと会う約束をしていたわけだし、緊急性もないから後回しにしてしまったのかもしれない。

「……緑さん、オレたちが謝ってほしいんは、そこやない」

 いつもは陽気な紅夜さんの冷たい声に、少しだけ緩んでいた空気が再び締まった。恐る恐る顔をあげれば、紅夜さんの表情は苛立ちで染まっている。

「詳しいことは知らんけど、見とる限り、二人はこの一年間に何回か会うてたんやろ? 今日だけやない。ずっとオレらのこと騙しとったわけや」

「……そうですね」

 紅夜さんの反応が正しい。彼の気持ちをしっかりと受け止めたくて、姿勢を正す。

「社長に捨てられた時、正直めっちゃしんどかったわ。何が起きたのか全然分からんまま放り出されて、蒼は心閉ざすし、燈真はずっと泣いとるし、紫音も自分のせいやって凹んどるし……もう、ダメかと思ったこともある。せやけど、最年長のオレがなんとかせなって必死になって、桃菜ちゃんの助けも借りて、何とかここまで上り詰めたんや。やのに……なんやねん、いきなり戻ってきて。何とか社長のこと乗り越えたと思えてたのに、病気とか言って……意味わからんねん……」

 眉間に皺を寄せる紅夜さんから、ダイレクトに苦悩が伝わってくるようだった。マツショクでは、割と移籍のことがコミカルに描かれている。だけど、実際に経験した彼らは悩み苦しんだのだ。他でもなく、ジャスティナ――私のせいで。

「えっと、えっと……紅夜さん、落ち着いて……社長……その、まず、知りたいです……一年前、何があったのか……」

 紫音くんは、去年よりも真っ直ぐとした目で私を見つめる。桃菜に出会い、逞しくなったのだろうか。その成長過程を、この目で見れなかったことを悔しく思う。

「……私が、MaTsurikaとの会議中に倒れたことがあったのは、覚えてますか? あの時、病院で検査を受けていて――」

 私は、MaTsurikaに洗いざらい話すことにした。心臓に病気が見つかったこと、手術が怖かったこと、MaTsurikaを手放さなくてはいけないと感じたこと……順を追って全てを話すうちに、涙が溢れそうになる、きちと謝罪をしなくてはならないのに、全てを話して謝罪できることがどうしようもなく私の心を軽くした。必死で涙を堪え、詰まりながらも言葉を紡いでいく。会議室に、私の細い声だけが響いた。

「ごめん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。許してほしいとは、言いません。元々、皆のコンサートを見たら、明日には、東京から離れるつもりでした。だから、だから……どうか、これからも変わらずに、アイドルを続けてください……お願いします……」

 緑さんが、私の背中をそっと撫でる。子供をあやすような優しい手に、堪えきれず涙が一筋零れてしまった。どれくらい沈黙が続いただろうか。実際は、それほど長くなかったのかもしれない。最初に口を開いたのは、いや、体を動かしたのは、蒼だった。立ち上がって、こちらに近づいてきたかと思えば、座っている私の傍で跪く。そして、そっと私の手を取った。

「ジャスティナ。気付いてやれなくてごめん」

「気付かれないように、してたから……」

「それでも。ごめんな。……それと、ありがとう。生きて帰ってきてくれて、本当にありがとう」

 蒼の手が暖かい。再び涙を零せば、その指で目尻を拭われた。蒼の反応をきっかけにして、燈真くんも私を許そうとしてくれる。紫音くんも同様に。

 しかし、紅夜さんは依然として複雑な表情をしていた。

「あの、皆さん。ひとつ、提案があるのですが……」

 それまで静観していた桃菜が、控えめに手を上げる。全員の視線が彼女に向いた。

「ジャスティナさんを、NEXTプロダクションで雇いませんか?」

「……!? ま、松田さん? 何言って……」

「私は、正直MaTsurikaを捨てたジャスティナ社長のことが理解できませんでした。こんなにも良いグループを作って、どうして捨ててしまったんだろうって……ずっと不思議で。でも、本当に見捨てたわけじゃなかったんですよね。こんなにもMaTsurikaのことを大事に思っているのに……このまま終わりじゃやっぱりダメだと思います」

 やはり公式ヒロイン。とても優しく真面目な子である。しかし、マツショクのFDにおいてジャスティナが雇われている状況なんて存在しない。一度原作通りに動いて上手くいった経験がある以上、今更違うことをするのも怖かった。

「……ジャスティナさん。僕も、そう思います」

「緑さんまで……」

「今日宙くんと三人で話した時、凄く楽しそうにアイドルの話をされてましたし……このまま見送るのは、あまりにも惜しいと思っていたんです」

 あの時間、彼は呆れて黙っているのだと思ってたのに、そんなことを思ってくれていたとは。蒼もそれに賛同するように私の手をさらに強く握った。紫音くんも、震えながら声を発してくれる。

「社長、また……僕たちを指導、してください……」

「紫音くんは、私のこと嫌いかと思ってました……」

「えぇ! そ、それは、お、畏れ、おおかっただけで……」

「俺も、社長ともう一度仕事したいです。俺バカなので、社長を見て初心思い出さないと、天狗になっちゃいそうですし……」

「燈真くんは、天狗になんてならないです……」

 彼らが優しすぎて、辛い。どうして私をこんなに簡単に許してしまうんだろう。ちらりと紅夜さんの様子を窺えば、彼はまだ難しい顔をしていた。その彼の様子で、少し救われたような気持ちになる。私がしたのは、それだけ罪深いことだったと思い出せるから。

「皆、ありがとうございます。でも、やっぱり、私は――」

「あぁもう……!」

「! 紅夜さん?」

「また勝手に居なくなられる方がよっぽど癪やわ」

「それって……」

「せやから、社長もこの事務所で働けばいいんやない? って、もう社長やないんか……」

 紅夜さんは私と目を合わせないまま、そうため息をついた。無理して皆と意見を合わせているのではないかと心配になったが、そんなことを訊ねる隙もなく、どんどん皆の中で私がNEXTプロダクションに勤務するように話がまとまってしまう。

「あのバカ社長辞めさせて、ジャスティナに社長になってもらおう」

「蒼さん、それはやりすぎです」

「やっぱり、プロデューサーじゃないですか?」

「桃菜ちゃん、それだと君の仕事なくなるかもしれんで?」

「じ、事務を募集しようかなって、この前社長が言ってましたけど……」

「あのId∞l元社長が、NEXTプロダクションの事務職ですか……」

「ま、待ってください。そもそも、私の意思は……?」

「それは、まぁ追追ということで」

「緑さん、意思に追追とかないです」

 私自身の気持ちはもちろん、まだFDの枠からはみ出してしまう不安は残っているのに、と軽く反抗をしてみるが、最終的に紅夜さんの「謝っといて一個も頼みを聞かんとか、ほんまに申し訳ないと思っとんのか?」という脅しにも近い言葉で、私のこれからが決定してしまったのだった……。

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