第二話 絶望から見た一筋の光
その施設を去り、私は新しい施設でまた利用者として働き始めました。
その施設で私は最終検品を任されるようになりました。私を検品に抜擢したのは、「細かいところまで見れるから」ということです。私の持つ本来の障がいの特性でもあったのですが、その検品ではそれが求められる検品だったのでやってみないかという事だったそうです。
私は真剣にその作業に取り組みました。細部まで確認する必要があるのですが、得意分野のせいか、目が特に疲れることもありません。むしろ、楽しく作業ができていました。内心、とても驚いたものです。
ですが、その施設の雰囲気が私には合いませんでした。悪いところではないのです。いい人もいます。ですが、どこか私には居心地が悪かったのです。
結局、半年くらいでその施設を去りました。その頃はある程度回復していると自分自身を過信していたので、私は一般就労することを決意したのです。当然、主治医は反対しましたが、私がどうしても一般就労したいという我が儘を言ったので、観念した主治医は一般就労の許可をくれました。
そして、仕事探しに私は駆けまわりました。いくつも見学に行ったり面接を受けたりしましたが、やはり「障がい者」というのが引っ掛かるのか採用には至らなかったのです。
そして、私は思いました。
「次で一般を受けるのは最後にしよう。これでダメならどこか施設で利用者として働こう・・・」
そう考えたのです。
そして、最後に一般を受ける場所として選んだのが「学童保育所」でした。私は行っていた短大の学科が教育系だったので「もしかしたら受かるかも・・・」と、藁にも縋る想いでそこを受けました。
面接が行われて、私が生まれつき「発達障害」であることを明かすと面接してくれた方に問われました。
「あなたはその障害をどこまで理解していますか?」
そう聞かれて、私は自分が知っている自分のその障害の症状を事細かに説明しました。「こんなことを言ったら不採用になるかもしれない・・・」という内容もありましたが、黙っていても良くないと思い、私は正直に話したのです。
その結果、私はその学童保育所で信じられないことに仕事をさせていただくことになったのです。
しかし、やはり私が障がい者だということを気に食わない人もいます。私はその職場で同じ立場の人に意地悪をされるようになりました。中にはとても良くしてくれる方もいましたが、その意地悪をしてくる人の攻撃に私は参ってしまい、精神の不調による微熱が下がらないという症状が私を襲い始めたのです。
そして、主治医から言われました。
「これ以上無理をしたら、その身体が壊れてしまいます。そうなる前にその仕事は辞めた方が賢明だと思いますよ」
そう言われて、私はかなり悩みました。学童では私に懐いてくれた子供たちも沢山いたからです。その子供たちのことを思うと辞めてもいいのかどうかすごく悩みました。その子たちの顔が浮かんできて、私は辞めることになっていいのか考えると、涙が溢れてきて止まらなかったです。ですが、このままでは体を壊して別の意味での入院になってしまう・・・。私は悩みに悩み、決断しました。
私は「学童保育所」を辞めて、利用者として施設に戻ることを決めたのです・・・。
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