#3 全然平気じゃねぇだろうが
そこからわたしたちは自然な流れで一緒に鞍馬寺を巡った。
三人は大阪に住んでいるらしい。お姉さんは響さんと名乗った。弟はヨシヒト。最後の一人は史郎くん。響さんと史郎くんが大学生で、ヨシヒトはわたしたちのひとつ上だった。彼らは一週間の『京都観光強化週間』というものを実行している最中で、毎日大阪から遊びに来ているんだとか。
「大阪と京都ってそんなにすぐ来られるものなんですね」
「地下鉄でわりとすぐだよ。京都からこっちの大学に通う子も多いしね」
響さんと史郎くんは年下のわたしたちを気遣って色々な話をしてくれた。響さんの颯爽とした感じや、史郎くんの穏やかでちょっと苦労人っぽい感じは、高校一年生のわたしたちにとても大人びて見えた。
ヨシヒトだけは、わたしたちと行動を共にするのが嫌みたいで、五歩後ろから仏頂面でついてきている。
わたしは彼を振り返り、本殿へ向かう九十九折参道の途中で足を止めた。
億劫そうな表情を崩さないヨシヒトが追いついてきたところで並んで歩きはじめる。
「名前、ヨシヒトじゃないよね」
「……あ?」
「本名を教えろっていうんじゃないけど。なんだか響きが違った気がして……」
確たる根拠があったわけではない。ただ、響さんが「ヒビキ」、史郎くんが「シロウ」と名乗ったときとは違う歪みが、「ヨシヒト」と言った声に乗っていた気がしたのだ。
ヨシヒトは左目を少し瞠って「おまえ……」と零した。
「……姉さんがくっつけてるモンも視えてんだよな」
「あの鬼さんのこと? 凄いね。あんなに強そうな守護霊、初めて視た」
「……そんだけ視えてんのによく京都旅行しようなんて思えたな」
「慥かに地元よりは多いけど、視えるだけだもん。たいして問題じゃないよ」
「それにしたって少し視えすぎで、聞こえすぎだ」
それをわたしに言われたって、望んで得た体質じゃないし。
九十九折参道を二人並んで歩きながら、わたしたちは視界のすり合わせをした。あそこに何か視えるか、あれはどう視えるか。今の鳴き声が聞こえたか、この足跡が視えているか。どうやらわたしは、普通の人間としてはかなり視えているほうのヨシヒトより、さらに広く多くのものを視て聞いているようだと発覚した。
そうか、
「他のみんなにはこれが全部視えないんだね」
「…………」
「まあ、今更自分に視えるのが生きた人間ばかりになったら、そっちのほうが嫌だけど……」
「……どういう意味?」
「うまくいえない。でも人間は怖いから、人間じゃないものが混ざってくれているほうが安心する」
ヨシヒトは何も言わなかった。
わたしもそれ以上にうまく説明できなかったから、黙ってくれてよかった。
なんとなく無言になって、前を行く三人を追う。よく知らない相手との沈黙なんて気まずくて当然なのだけれど、ヨシヒトの場合は初対面の「ブス」がよく効いていて、別にこんな失礼な人と喋らなくてもいいやと投げやりな気になった。
これはこれで気楽なのかも。
「携帯」
「なに?」
「携帯出せ。赤外線」
「なんで」
ヨシヒトが舌打ちを零した。この人なんでずっと不機嫌なのかしら。反抗期?
「こっちは三人全員視える体質だ。なんかあったら連絡しろ。あとで姉さんの番号ももらっとけ」
「……別に今までも平気だったけど」
ヨシヒトが顔を顰める。よくよく見れば線の細いきれいな顔立ちをしているのに、表情がこれでは台無しだ。
「全然平気じゃねぇだろうが。ブス」
その瞬間、ヨシヒトが視界から消えた。
参道の上のほうから降ってきたパンプスがヨシヒトの頭に直撃したのだ。ヨシヒトはすっ転んで頭を抱えた。痛そう。すごく痛そう。
パンプスが降ってきたほうを見上げると、響さんが球を投げ終えたピッチャーみたいな体勢で立っている。片方は裸足だ。
「照れ隠しに人の容貌を貶すな! 莫迦弟子が!」
「ちょっと師匠っ、やりすぎ、やりすぎです」
「やかましい! わたしはな、自分の語彙の貧弱さを誤魔化すために手軽な言葉で他人を貶めるタイプの人間が世界で最も嫌いなんだ。大体ひなたちゃんは可愛いだろうがバァカ!」
「響さん、あいつ昨日も去り際にブスって言いました」
「アア!? 二度目だと!?」
いえ、三度目ですね。……と思ったけど、言ったら収拾がつかなくなりそうだったので、わたしは黙って響さんのパンプスを拾った。
「ひなたちゃんすまないね、弟はいつまで経っても思考が八歳児なんだ。いや今日び八歳児だって女の子にブスなんて言わないな八歳児に失礼だ」
申し訳なさそうな顔の響さんの横で、まれほがまたヨシヒトに向けて中指を立てている。やめなさい。そっと両手で隠しながら、いいえ、と首を振った。
全然平気じゃねぇだろうが、と言ったヨシヒトの声が耳から離れない。
昨日出逢ったばかりなのに、彼はわたしの何を知っているというのだろう。そりゃ今までも妙ちくりんなのに追いかけられたりしたけれど……一回だけ神隠しみたいな状態になったこともあったけれど……大きな問題もなく生きてきたのに。
それからわたしたちは鞍馬寺の本殿へ参拝し、山を歩き回って、貴船神社まで足を伸ばした。
わたしはまれほに、まれほはわたしにお守りを購入して交換し、おみくじも引いてみた。史郎くんはデジカメを持っていて、響さんとヨシヒトだけでなくわたしたちの写真も撮ってくれた。
結局貴船口駅から出町柳までも一緒に戻り、そこでわたしたちはようやく解散することになった。
「写真、帰ったら現像して送るよ。嫌じゃなかったら住所教えてくれる?」
「とりあえずヨシヒト、ひなたちゃんと連絡先を交換しておきなさい」
「……なんでぼくが……」
響さんに言われたヨシヒトが渋々携帯電話を取り出す。さっき交換しようとしたとき響さんに邪魔されたので、多分拗ねているのだ。わたしも高校入学祝いで買ってもらったばかりの携帯電話を手に持った。
赤外線通信でお互いの連絡先を交換する。彼の電話番号やメールアドレスは、『古瀬義人』という名前で送られてきた。
「……、……か」
「ん?」
ヨシヒトが何かつぶやいた。
顔を上げて訊き返すと、彼はわたしの耳許に顔を寄せる。突然近付いてきた人間の体温に身を引こうとすると、ヨシヒトはわたしの腕を強い力で掴んだ。
「『しずか』」
「……なに?」
「復唱するな。極力呼ぶな。ただ電話がつながらないときとか、どうしようもなくなったら呼べよ」
じゃあな、人嫌い。
ヨシヒトはそう言って皮肉っぽく笑うと、わたしの背中をトンと押した。二、三歩蹈鞴を踏んでまれほに抱き留められながら、わたしは九年前の夏のことを思い出していた。あのときもこんな風に背中を押されたっけ。
ホテルに戻ったわたしたちはふかふかのベッドに倒れ伏して動けなくなっていた。
出町柳でヨシヒトたちと別れたあと、やや時間が余ったので急遽下鴨神社まで行ったのだ。脚が棒のようだった。履き慣れたはずのバレエシューズなのに靴擦れを起こして途中で絆創膏を貼ったくらいだ。
一足先に回復したまれほが「あ~~」と唸りながら起き上がり、室内用のスリッパをぺたぺた鳴らしながら窓際に寄る。
「なんか、京都って日没が早いよなァ」
「地元より東だからじゃない?」
重たい音を立てて開かれたカーテンの向こうを見てわたしは悲鳴を飲み込んだ。
窓ガラスにべたりと顔を押し付けるようにして、あの泥団子がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます