#2 驚かせてすまないね
面と向かって堂々と大声でブスと言われたのは人生初だった。わたしの容貌に関する評価はさて措いても、初対面なのに失礼この上なかった態度には腹が立つ。……が、あの腹立たしい少年のおかげでこの世に戻ってくることができたのは動かし難い事実だ。
それに彼の言う通り、京都とは、視えている人間がボケッとしていていい土地ではなかった。
履き慣れたぺたんこのバレエシューズの足裏に震動を感じる。
京都に入った途端に異変があった──とまではいかないけれど、京都駅周辺からは明らかに人間じゃないものの密度が高かった。その辺を歩いている人間というのは大なり小なり靄をくっつけたり小鬼を背負ったりしているものだが、いつもより多い。町ゆく人間の数が多いからというのももちろんあるけれど、それだけじゃ説明がつかないほど。
善いものも悪いものもごちゃ混ぜだ。神社だから悪いものは近寄れないとかいうレベルではないみたい。そもそも善悪の基準が人間本意なのだと、わたしは今日思い知った。神社内にも善くなさそうなものはうじゃうじゃしている。
いつもより視界がうるさい。
聞こえるざわめきもやかましい。
しかも極めつけに、くぐる鳥居を一つ逸れただけで異界に引き摺り込まれた。あの世が近すぎる。京都ってすごいなぁと、なんだかもう呆れちゃうくらいだ。
「いい時間だな。晩飯食ってホテルに戻るか」
「うん、そうだね」
今朝早くに集合して、青春十八切符を利用し在来線を乗り継いできたわたしたちは、正直なところ京都駅に到着した時点でけっこう疲れていた。
稲荷駅近くのお蕎麦屋さんに入って、少し早めの夕食をとる。参道にも店のなかにも人間じゃないものが紛れ込んでいた。いちいち悲鳴を上げて反応するほどではないけれど、視界に情報量が多くて、少し疲れる。
あっという間に一日目が終わろうとしていた。
帰りにコンビニでおやつを買おうとか、明日は何時に起きようとか、そんな話をしながらお茶を飲んだとき、うなじの辺りにぴりぴりと不快感が走った。
……視線。
人間の視線とはまた違う。どろりと粘つくような情念を伴った、気味の悪い視線だ。
右手でうなじをさするわたしにまれほが首を傾げる。
「……ひな? どうかした?」
「ううん……」
まれほはわたしが視えていることを知っている。母親以外で初めて自分から打ち明けた相手だ。京都旅行をするにあたっても、多分挙動不審になると思う、と伝えてある。
「やっぱきつい?」
「まあ、地元よりは多いかも。でも平気」
平気かどうかなんて知らない。わたしは息をするように虚言を吐いてにこりと笑った。
だけど視えないまれほに何を言ったって解ることはないのだから、余計な不安は抱かせないに限る。
ホテルまでの帰路で、視線の主がわたしかまれほどちらかに憑いてきていることを悟った。
店を出る際にさっと目を走らせた範囲では、腰くらいの高さの達磨みたいなものがこっちを視ていたのを確認している。達磨といっても色は赤じゃなく、子どもが出鱈目に捏ねた泥団子みたいな雰囲気だった。体の半分くらいが顔で、気味の悪い笑みを浮かべている。
そいつは人混みに紛れてわたしたちと同じ電車に乗り込み、京都駅からホテルの間も一定の距離を保ってついてきた。
まだ至近距離までは来ていない。ホテルに近付く前に、まれほに断って何度か路地に入った。
泥団子に追いつかれる前に角を折れたり、道を変えたりして視線を切る。多分、今のところは視認していないと憑いてくることができないタイプだ。こういうのに憑け回されたことは一度か二度あって、中学生の頃に対策を確立してある。
二日目は、叡山電車で鞍馬駅へ向かう。鞍馬駅から鞍馬寺、奥の院参道から魔王殿や西門を経て貴船神社を巡る予定だった。
「思ったより山……」
「でも涼しいね」
ろくろく下調べもせず「とりあえず京都だ!」というノリで来てしまったわたしたちにとって、京都は小学校の修学旅行のイメージが強かった。四条とか、新京極とか、そういう街中しか知らないのだ。
これはいい運動になるぞぉ、と二人して気合いをいれつつ石段を上がりはじめる。心の端で、これはスニーカーで来るべきだった、と盛大に反省した。わたしは今日もワンピースにバレエシューズだった。
二人してひーこら言いながら山門に辿りついたところで、後ろから「もし」と話しかけられる。
「お嬢さんがた、昨日、伏見稲荷に来ていなかったかな?」
わたしたちよりもいくつか年上の女性だった。
すらりと背が高く、黒く艶のある長髪をうなじの後ろで結んでいる。白い半袖ブラウスの裾をハイウエストデニムに仕舞ったシンプルなコーディネートが異様に似合っていた。足元は、わたしより山を舐めていそうなヒールのパンプス。
わたしは思わず後退った。
とても雰囲気のある美しい女性だったからというのもある。本当の美人はナンパに遭わないってどこかで聞いたけど、そのくらいの迫力だ。けれどそれ以上に、その人の背負うものが凄かった。
鬼。
着物を着た鬼が抜身の日本刀を携えている。
わたしがこれまでに視てきた守護霊の類いのなかで、多分最も強い。
圧されたわたしを鬼がちらりと見下ろすが、特に反応しなかった。それでもすっかり固まってしまったわたしの肩に手を置いたまれほが、こてんと首を傾げる。
「はぁ、伏見稲荷、行きましたけど。それが何か?」
「やっぱりそうか。うちの愚弟がこちらのお嬢さんのお帽子を拾ったようでね」
「ぐてい?」
にこり、と笑った女性が振り返ると、山門に至る階段を二人の男性が上ってきていた。一人は昨日の少年で、もう一人は年上の青年。
嫌そうな顔をしている少年の手には、わたしが昨日伏見稲荷で落とした麦わら帽子があった。
苦笑している青年に肩を押されて、少年が麦わら帽子を突き出してくる。
「わざわざあのあと取りに戻ってくれたの……?」
「別に。ついでだよ」
ぱこん、と女性が少年の額を引っ叩いた。お姉さんだけあって強い。
「気になる女子に悪態をつく小学生男児か、おまえは。素直に京都の夏は暑いから熱中症が心配だったんだって言えばいいものを」
「京都の夏は暑いから熱中症が心配だなァっつって無理やりぼくらを裏鳥居に突っ込んだのは姉さんなんだけど」
「口が減らない弟だ。一体誰に似たんだろう」
「痛い痛い痛いアンタだよ!」
姉弟のやりとりを見てまれほは笑いながら、今日も貸してくれていた黒いキャップをわたしの頭から脱がせた。代わりに自分の頭に戻す。
で、わたしも帰ってきた麦わら帽子を自分の頭に載せた。
「ありがとうございます。お気に入りだったから……助かりました」
少年のほうに言ったらまたブスとか言いだしそうなので、わたしはお姉さんのほうに頭を下げる。
弟の頬っぺたをむいむい引っ張っていたお姉さんはにこりと牡丹のように笑った。
「驚かせてすまないね。でも害はないから」
──その言葉が、背後の鬼のことを指すのに気付いたのは、多分まれほ以外の全員。
わたしは薄く笑みをつくってうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます