第3話 ユーザネーム”空白”

「俺の通っている学校は、まぁ普通の共学のとこだよ。別に珍しくもない」

「部活とかしてるんですか?」

「あー、俺バイトしてるから帰宅部。中学はバスケやってたけど」

画面の向こうの虚空さんのテンションが上がっているのが伝わってくる。

「バスケ部!って言ったらあれですよね!ゴールデンダンク!」


ゴールデンダンクとはバスケブームを引き起こすまでの人気になったマンガである。

元ヤンキーだった少年がバスケの魅力にとりつかれ、様々な困難を乗り越えながらも部員全員でインターハイを目指すめちゃくちゃ熱いマンガだ。


「お?読んでるんだ。37巻分の物語がたったの3ヶ月の出来事なんて信じられないよな」

「私、すごい好きなシーンあるんです!それは・・・」

ゴールデンダンクは名シーンばかりだ。不良になってしまった少年がもう一度バスケがしたいです・・・!と顧問の先生に懇願するシーンは涙なくては語れない。


「いいからドーピングだ!っていう・・・」

「おめぇまじぶん殴るぞ?!」

それは足を怪我した主将がこの試合のためにテーピングしてでも出るという、ここも感動もののシーンなのだが・・・。

その”テーピング”の部分を”ドーピング”に差し替えたコラ画像がネットに流出したのである。おそらく日本人ならほとんどの人が知っているであろう名作マンガ。だからこそ、そのコラ画像の威力もすさまじかった。すべての感動が無に還るのを彰人は体感したのだ。


「・・・お前、ゴールデンダンク読んでないだろ」

「えっ?やだなぁ読んでますよ!ちゃんと!」

自信満々に言う虚空さんに対して、ゴールデンダンクを読んでいる人なら絶対わかる問いをかける。

「主人公がバスケを始めて、挫折を経験してどんな髪型になったか言ってみろ」

画面上の虚空さんが困ったような表情になっている。


「・・・えーっと・・・ウルフカット?」

「んなわけねーだろ」

なんで挫折を経験してそんなおしゃれカットになるんだよ。


虚空さんが泣きそうな声で懇願する。

「ああー!待って待って!退出しないで!」

「なんでそんな嘘をつくんだ?読んでないなら読んでないでいいだろ」

「だってだって・・・イルポンさんと共通の話題が欲しくて・・・」

「だとしても、嘘をついて相手に合わせるなんて間違ってるだろ。俺は実際傷ついたぞ」

「ごめんなさい・・・」

彰人はため息をついた。彼女に思ってもらえることはうれしいことだが、嘘をついてまでしてほしいなんて思ってないからだ。


虚空さんはおずおずと聞いてきた。

「あの・・・バイトってどこでどんなお仕事を?」

「んー、都内で本屋のバイトだよ」

そう答えてからしまった、と思った。虚空さんが彰人の思った通りなら・・・

「じゃあ、今度会いに・・・!」

「来なくていいからな!」

都内在住ということが虚空さんにばれてしまった。今度会いに来るということは、おそらく彼女も都内在住なのだろう。


「あの・・・どうしても会ってくれませんか?一度だけ、一度だけでいいんです・・・」

それはチャラい男の先っちょだけ!と何も変わらない気がした。一度会ったら多分それでは済まないだろう。短期間だが彼女は明らかに彰人に依存していた。

「うーん・・・」

彰人はパソコンの前で腕を組み考える。別にそこまで嫌かと言われればそうではないし、ここで会わないという選択をすれば引きこもりが加速するかもしれない。虚空さんに興味がないと言えば嘘になる。都内にいるならもしかしたらもう会ってるかもしれない。

彰人は一つの条件を思いついた。それはちょっと卑怯な手かもしれないが、今後の彼女のためだ。


「じゃあ、一度だけなら」

それを聞いたアバターが狂喜乱舞する。

「ほ、本当ですか!やったー!」

「ただし」

「・・・ただし?」

彰人は会う条件を伝えた。

「ちゃんと学校に行くこと。これが条件」

アバターがめちゃくちゃショックを受けた顔になり・・・

「にぇ?!」

何語かわからない言葉が虚空さんの声で聞こえてきた。


「ななな、なんでですかー!イルポンさんは優しいんですか?!おにちくなんですか?!」

「俺は別に普通だし。あと”おにちく”じゃなくて”きちく”と読むんだぞそれ」

「ウワァン!会いたい!けど、学校に行きたくない~!」


「もし、これから縁があって出会うとしても、俺としてはちゃんと学校を卒業してほしいと思っている。一緒に胸を張って歩きたいから」


そう。高校まではちゃんと卒業すべきだ。その先はその人の選択で構わない。卒業してすぐ働いてもいいし、大学に進学してもいい。そして願うならば高校生活をエンジョイしてほしいと彰人は思った。


「これから・・・一緒に・・・」

「虚空さんが何が原因で学校に行かなくなったかは知らない。もしかしたらつらいこともあるかもしれない。でも学校に行かないままだったら、ずっとつらいままでこの先も過ごすことになると思う。それだけは絶対にしてほしくないんだ」

「イルポンさん・・・」


感動的なシーンだと思うのだが”イルポン”という間の抜けた名前がすべてを台無しにしていた。もっと気の利いた名前にすればよかった。


「私、イルポンさんに会えたら変われる気がします。だから会ってくれますか?」

「うん。じゃあ明日空いてるかな?駅前のマグダナルダでいい?」

「はい!私のヌイッターフォローしてください!着いたらDMで連絡します!」

虚空さんはとても嬉しそうだ。こんな自分でも誰かを喜ばせることができるんだなと彰人も嬉しくなった。

「あとでフォローしとくよ。ヌイッターアカウントもIlluponだから」

「はい!私、明日のために準備しますね!どうしよ~!」

別に駅前のマグダナルダで会うだけだ。彰人にとってはそんなに特別なことじゃない。それでも服装とかちゃんとしたほうがいいよな?と彰人もそわそわしていた。そんな時・・・


”□□が退出しました”というメッセージログが出たことに気づく。


「えっ・・・?」

誰も来ないと思っていた虚空さんの配信にいつの間にか誰かが来ていたのか?しかし、入室したときの通知が来たような様子はない。メッセージログを遡ってみてもそれらしい文字は見つけられなかった。

それに”空白”とはどういうことだ?ユーザーネームに空白は使用禁止のはずだ。

彰人は焦りを感じた。


「誰かが俺たちの会話をずっと見ていたのか・・・?」

虚空さんの配信に19時の時点で入ったまま、バレン死体ンさんとジャスティスさんが退出してそのままになっていた。もちろん入室制限などをかけた様子はない。誰でも入ろうと思えば入れる状態になっていたのだ。


このことを虚空さんに伝えるかどうか迷う。ここで会わないとなれば虚空さんは深く傷つくだろう。せっかく自分を変えるチャンスかもしれないと言ってたんだ。その思いを無碍にしたくない。


「何か起きたとしても俺が守ればいいんだ・・・例えどんなことになっても」

何かをしようとしたら相手から近づいてくる必要がある。それに駅前のマグダナルダだ。下手なことはできないはず。彰人は覚悟を決めた。

そして虚空さんの配信は終了し、彰人は明日に備えた。


モニタの前、一人の男が含み笑いをこぼす。そしてこうつぶやいた。

「明日は虚空君に会えるんだな。楽しみだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る