第二十九話 美星の挑戦(三)

 会議を終え戸部執務室へ戻ると、美星は使った資料を所定の場所に戻した。

 こういった会議の後は決まって護栄と浩然は奥の部屋へ籠って議論する。こうなると美星にできる事は何も無い。


「護栄様。侍女業務に戻ろうと思いますが、急ぎの御用はありますか」

「いいえ。大丈夫ですよ」

「浩然は?」

「特に無いよ。ほんと頑張るね。誰かにやらせればいいのに」

「まだ手は空いてるし。それに自分でやらなきゃ分からないこともあるわ」


 美星はぺこりと頭を下げると、侍女の控室に顔を出した。

 まだ昼を過ぎたばかりなので方々の清掃と洗濯はたんまり残っているだろう。

 余っている箒を手に取り広大な庭園へ向かおうと思ったが、その途中で何名かの侍女とすれ違った。

 するとちらちらと横目で見られ、露骨なひそひそ話をされる。


「七光りで護栄様とお近づきになるなんてさすがね」

「お嬢様は違うわ」


(無視よ。いいのよ今は七光りで)


「浩然様とも仲が良いんですって。男性文官ともしょっちゅう話をしているわよね」

「何それ。男侍らせたいだけなら家でやって欲しいわね」


(……は?)


 思わず陰口をたたいていた侍女達を振り向くとばちりと目が合った。

 別に言い返してやり合う気はないが、言っている事は問い質したい。


「侍らしてなんてないわ。戸部は男性職員しかいないだけよ」

「そうよね。護栄様といい浩然様といい、見目の麗しい方ばかり」

「……そう?」


 戸部の執務室を思い出すが、いつもやつれてくたびれている姿しか記憶にない。

 仕事で大変なのだから助けたいと思うことは多々あるが、見目が麗しいからなどと思った事も気にした事もない。

 特に護栄に関しては嫌味な性格と辛らつな物言いをするので、いくら見目がよくても好印象にはならない。それでも業務面では凄いから尊敬できる存在ではあるがそれだけだ。

 うーんと考え込むと、侍女達はむっとしてため息を吐いてきた。


「お嬢様には物足りないのね」

「いや、足りる足りないの話じゃなくて」

「まあどうせすぐ追い出されるでしょうけどね。覚えてなさい」


 そう捨て台詞を言い、侍女達は上品な歩行でさあっと立ち去って行った。


(……まさか私が嫌味言われるのって)


「護栄様は顔良いからね」

「きゃっ!」


 にゅっと後ろから現れたのは浩然だ。面白そうにくすくすと笑っている。


「解放戦争の逸話もあるし、直接関わらない女性からの支持高いんだ」

「待って。私が妬まれるのってお父様の七光りじゃなくて」

「護栄様だよ。侍女の申し送り中にかっさらったんでしょ? そんなの護栄様のお手付きみたいなもんだ。必然的に女性職員からの嫌がらせが始まり心挫けて辞めてくんだ、みんな」


 ふと会議で筋骨隆々の女性に言われた言葉を思い出す。


『精々気を付ける事だ。護栄付きをやりきった女はいない』


「気をつけろってそういう意味なの!?」

「うん。護栄様ってそういう人間的な配慮皆無だからみんな逃げるんだよ。特に女性」

「うわあ……腹立つぅ……」

「いいね。その調子で頑張って」

「どの調子よ! 頑張るの護栄様でしょ!」

「それそれ。その調子」


 浩然はけらけらと笑っているが、美星にとってはいい迷惑だ。

 苛ついていると、どこかに出かけていたのか護栄が扉を開けて入ってきた。


「私がなんです」

「あれ、早かったですね」

「ええまあ」


 護栄が何をしているかなど知らないしさして興味も無い。

 だが先代皇派が何でもいいからいちゃもんを付けたい気持ちが少し理解できてしまった。

 何か言ってやる、と美星は口を尖らせた。


「護栄様、よくいなくなりますけど何してるんです。まさかさぼってるんじゃないですよね」

「私だって息抜きくらいしますよ」

「へえ。意外と人間的なところあるんですね」

「どういう意味です」

「人間的な配慮が足りないという意味ですよ。ねえ、浩然」

「そうそう。それで反省もしないから」

「……何ですか突然」

「例の如く、護栄様に異性としての魅力を感じる侍女に嫌味言われたんですよ」

「いつものことですね。私の顔だけ見て色恋をする者は多い」


 けろりと護栄は受け流した。だがその台詞はなんだが――


「ご自分の顔が整ってる自覚はおありなんですね」

「は?」

「あはははははは! そうそう! だから護栄様が色仕掛けの台本通り動くと侍女はころっと味方に付くんだ!」

「そんなのすぐ寝返るわよ」

「寝返らないから嫌味言われるんだよ。姑息だけど有効なんだ」

「……なんか腹立つわね」

「あはははは。笑える」

「浩然」


 護栄は笑い倒す浩然をぺんっと叩くとため息を吐いた。


「侍女は重要です。職員の半数を解雇せねばならない状況になっても侍女は全て残します」

「まさか。文官武官は替えが利きませんよ」

「技術は身に着ければ良いだけです。けれど配慮や思いやりの心は育てられない。そしてそれが備わっている侍女こそ私に一番必要なんです。あなたのように」


 護栄はちらりと美星を見て、少しだけじっと見つめて来た。


「嫌味を言う人こそ味方に付けなさい。私に興味ある人ほど取り込みやすい」

「相当敵視されてるんですけど」

「適当な事言えばいいですよ。例えば備品変更は私の指示で、それは侍女を想いやってのことで急務とされた――とか」

「でもそれ嘘ですよね」

「嘘じゃないですよ。あなたの行動は浩然が見ている。浩然は私の意思を理解してる。あなた方の判断は私の判断になり、それが私の助けになる」


 少しずつだが認められ始めているという実感はあった。

 会議に参加なんて下働きでは絶対に無理な事だ。それが侍女になり護衛付きになり、隣に座れるところまで来た。


「頑張って下さい」

「は、はい! 頑張ります! やってみせます!」

「ほらそれ」

「それって何よ」

「今ころっと騙されたでしょ。これは殿下の考えた台本読んでるだけだよ」

「は?」


 浩然が紙を一枚ぺらりと見せた。

 そこには一言一句、今護栄が言った内容が書き綴られている。なんなら『ここで振り返る』まで指示がある。


「こういうのをたくさん覚えてるんだよね」

「……は?」

「嘘も方便ですよ」

「さ、最低……」

「ばれなきゃいいんです。さっさと仕事して下さい」


 護栄は浩然の手から台本を取り上げぐしゃりと握りつぶし、奥の部屋へ籠った。

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