第三話 全種族平等の救世主、皇太子天藍と鬼才護栄(一)
先代皇宋睿は肉食獣人こそ食物連鎖の頂点に立つと信じて疑わない男だった。
だが人間と有翼人を殺す事はなかった。それは優しさなどではない。労働力として従え、獣人こそが上位種と知らしめるためである。
しかし一部の獣人は非常に扱いが悪かった。それが猫や兎といった人間に愛玩される獣種である。
宋睿の圧政に耐え兼ねた獣人、特に愛玩される獣種は獣の姿で生きる者が多かった。愛らしい姿ですり寄り裕福な人間に飼ってもらうためだ。これを知った宋睿は愛玩獣種を蔑み、該当種族のみ増税を繰り返した。
だからこそ天藍が宋睿を討ったことは国民に衝撃を与えた。天藍はとても小さな兎だったからだ。
宋睿が見下し蔑んだ獣種の天藍ならば蛍宮を変えてくれると思わせるには十分だった。
けれどそうそうすぐに全てが変わるわけではない。
根付いた文化や金銭感覚、それによる流通といった『目に見えないもの』を変えるには国民の意識が一斉に変わらなければならない。
けれど響玄の庇護を受け不自由のない生活をしてきた世間知らずの美星はあまり実感がなかった。
だがそれでは国を変える働きどころか金を管理する戸部で働くなどできはしない。まずは世間を知らなくてはと、美星は父と共に買い物へ出ていた。
「金銭に関する問題点を勉強しよう。蛍宮で使うのは硬貨だな。銅と銀、金、白金だ。銅二十枚で銀一、銀十で金一、金百で白金一だ」
「金百って急に大きいわよね」
「一般市場ではまず使わない。それこそ宮廷や大きな商談くらいだ。一般家庭ひと月の生活費は銅八枚といったところだが、これに問題がある」
「物価が高いの?」
「いいや。金自体にだ。試しにそこの露店で筆を一本買ってみなさい」
「はい」
美星は銅一枚を受け取ると露店へ足を延ばし、響玄の指示通り筆を一本手に取った。
「これちょうだい」
「はいよ。百本で銅一ね」
「百? 一本でいいんだけど」
「あっそう。じゃあ他のも何か選んで」
「えっと……」
突如言われた事に混乱し、美星は思わず父を見上げた。響玄はよしよしと優しく背を撫でてくれる。
「そうだな。じゃあそこの飴玉を貰おう」
「まいど」
店主は大きな飴玉をごろごろと袋に詰めた。それは片手で持つのは大変なくらいで、筆よりもずっと多い。
「どうだ? 何か思うことはないか?」
「あるわ。どうしてわざわざいらない物を買わなきゃいけないの」
「そうだな。これが問題の一つ。金の種類が足りないから無駄遣いが増えるんだ。だが硬貨や紙幣を生産して流通させるのも一苦労。その余力はまだ無いだろうな」
「それは分かるけど、ひと月銅八なら飴玉なんて腹の足しにもならないわ」
「その通り。ではここでもう一つ問題だ。露店は物々交換もできるのは知ってるな」
「ええ。うちもいらない物は交換してもらうわよね」
「そうだ。じゃあこの飴玉で交換をしてみようか。あの装飾店がいい」
再び父に連れられ露店を覗いた。天一で高級商品を見慣れている美星にはどれも玩具のように見える。
「君。この耳飾り、筆と飴玉で交換できるかい」
「はあ? 馬鹿言うなよ。これは銅一だぞ」
「筆と飴玉も銅一よ」
「だから何だよ。俺はそんなのいらねえから。冷やかしなら消えな」
「いやすまんすまん。じゃあ銅一で」
「はいよ」
響玄は銅を一枚渡した。到底欲しい物ではないから冷やかした詫びといったところだろう。
「では問題だ。何故交換できなかったと思う?」
「いらないって言ってたわ」
「そうだな。つまり彼にとっては価値がないんだ。例え同じ額でも価値が無ければ交換は成立しない。だが交換できる店もある。あの露店に同じ耳飾りがあるから交換してみなさい」
「はあ……」
美星は筆と飴玉だけを持ち響玄の指示した露店へ赴いた。
店主は十歳にもならない少年で商品は多種多様だ。雑貨屋と言えば聞こえは良いが、商売意識など感じられない子供のままごとでしかない。
美星はその中から耳飾りを取った。
「この耳飾り、筆と飴玉と交換できないかしら」
「飴玉!? やったあ! いいよ!」
「え? いいの? ただの飴よ、これ」
「いいよ! 何個くれんの!? 全部!? 全部がいいんだけど!」
「もちろん全部でいいわ。筆もいる?」
「いらない! おい! 飴もらったぞ!」
少年は美星の手から飴玉を奪うと、後ろの天幕からわらわらと現れた数名の子供に分け与えた。
美星の手に残ったのは当初の課題であった筆と、ついでに手に入った耳飾りだ。
「筆いらないって」
「そうだな。これは店員によって価値が違うからだ。あの子達は耳飾りより飴玉の方が嬉しいんだ。これも問題なんだ」
「欲しい物が手に入るんだからいいじゃない。何が問題なの?」
「物の価値が一律ではないところだ。これでは国の価値が生活から揺らぐ。しかも硬貨種が少ないから物価がどんどん雑になり、これは生活格差を生みやすい」
「別にいいじゃない。価値がどうあれ今必要な物を手に入れなきゃやっていけないわ」
「その通りだ。だが運よく欲しい物と交換してもらえるかは分からない。だから天藍様はこれを見直し、必要な物はいつでも手に入る豊かな生活ができる国にしたいとお考えなんだ」
「理想は分かるけどいつになるか分からないじゃない。待ってられないわ」
「だか誰かがやらねばいつまで経っても叶わない。それをやるために金をやりくりするのが戸部なんだ」
「だったとしても皇太子にそんな事できるの? 政治と戦争は違うわ」
「そうだな。では少し解放戦争の話をしよう。戦争と言っても三日で終わった。これは覚えているな」
「……小鈴が殺された二日後だったわ」
美星の脳裏には今も小鈴の最期が刻まれている。
意味もなく、ただ気に食わないからという理由で殺された。それを想うと背に残った羽の付け根が痛む気がする。
ぎりぎりと拳を握り手を震わせると、響玄は何も言わず強く肩を抱きしめてくれた。
「普通国崩しが三日で成されることなどない。例えば北の明恭。現皇王を打倒する解放軍との戦争が一年は続いてるが決着がついてない」
「一年も!? 長すぎるじゃない。国民が困るわ」
宋睿が討たれたこの騒動は『蛍宮解放戦争』と称されるが、大袈裟だという者もいた。
戦争といえば一般的には年月がかかるものだ。体験したことはないが、三日で終わる戦争など聞いたことはない。
だからこそ全種族平等の天藍が立った喜びよりも有翼人狩りの憎しみが勝っている。戦争の被害より有翼人狩りの被害の方が圧倒的に大きいのだ。
「困るどころの話ではない。天藍様が三日で終わらせてくれなければ有翼人狩り以上に死者が出ただろう。背を見せろと言われたらお前も殺されたかもしれない」
「……背中ごと抉るわけにはいかないものね」
「抉ったとて傷跡で分かるだろう。今お前が生きているのは天藍様が与えて下さった奇跡なのだ」
小鈴の無残な姿が脳裏に浮かび、そこに自分の顔が重なった。
一歩間違えれば美星もああなっていたのかもしれない。なっていただろう。
匿い欺いた響玄も同罪とされたはずだ。生き延びたのは美星だけではない。
(私は天藍様に救われたんだ)
宮廷は憎い。だがそれは宋睿が率いた宮廷だ。
今宮廷を統べるのは全種族平等を掲げ実行している天藍だ。天藍が立たなければ金銭の不具合について考える余裕などなかっただろう。
ましてや生活を豊かにするための金銭について悩む事なんて、そんな贅沢な悩みはありえない。
それを知ると美星の視界は急にきらきらと輝き始めた。
「三日での終結は奇跡。その策を講じたのが」
「天藍様!?」
「いや。それは」
その時、急にざわざわと周囲が騒がしくなった。
あちこちから歓喜の声が上がり、露天商は店を放りだし、のんびり歩いていた大人も子供も一点へ向かって走っていく。
「何?」
「おお! 天藍様ではないか!」
「え?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます