第二話 美星の決意(二)

 宮廷人は多忙だという。平和な日常が訪れたが、それを支える宮廷は誰もが東奔西走しているらしい。

 莉雹と彩寧もそうそう顔を見せるわけではない。響玄は不在のこともあるというのに、先触れも無く訪れるというのは珍しかった。


「莉雹様。彩寧様。お待たせ致しました」

「いいえ。すみません、急に」

「構いませんよ。しかし彩寧様がいらっしゃるとは珍しい。侍女は特に忙しいでしょう」

「はい。そこで響玄殿の力を借りたいと思い参りました」

「私にですか? 女性の繊細な仕事を私のような武骨者がお手伝いできるかどうか」

「まさか現場ではありませんよ。相談したいのは採用です。先代皇派が去り職員は半分以下になりました。人員があまりにも足りないのです」


 国民から圧倒的支持を得る天藍だが全く支持を得ない層があった。宋睿を支持していた宮廷人だ。

 宋睿に惚れ込み勤めていた宮廷職員と有翼人を嫌う者は宋睿こそが正義としていた。

 彼らの多くは天藍が立ったことで蛍宮を去ったが数名は残っていた。それが獣人職員である。


(追い出せばいいのに。どうして置いてやるのかしら)


 もし美星なら宋睿の部下が雇ってくれとやって来たらすぐさま追い返すだろう。

 けれど天藍は彼等を受け入れ政治に取り組んでいる。美星にその考えは理解できず、それだけで天藍は受け入れがたい存在だった。


「それで採用を強化するんですが、この人集めを手伝って頂きたいのです」

「なるほど。具体的にはどんな人員を?」

「天藍様を支持する者なら老若男女種族経歴問わず誰でも。教育から始めるので学の有無は問いません」

「それならいくらでもおりましょう。解放戦争で職を失った者は多い」


 響玄が従業員を増やしたのはそれが理由でもあった。

 全種族平等は国民の知識や技術も変えた。人間の高い知恵と技術が獣人にも広まり生活は豊かになったが、その裏で獣の特性を生かした職は廃業に追い込まれる者もいた。

 代表的な仕事は運搬業だ。蛍宮は大きく五つの地域に分かれる。東西南北、そして宮廷のある中央だ。

 北区は人間が多く東区は獣人、南区は別荘地で西区は未開拓の更地が多い。中央は商店や広場が多く交流が行われる区画だ。

 蛍宮国内で物流業務は獣人の独壇場だった。大きな荷物の運搬は肉食獣人の屈強な肉体に頼っていた。遠くへの郵便物や小さな荷物を運ぶのは馬のように脚力の強い獣種の独壇場だった。国内どこにでも一人で駆け回る。

 しかし人間は違う。ほぼ北区内で生活するため生活様式は知られていなかったが、人間は要所に配達拠点を設けて運搬を分担する人海戦術を行っていた。

 北区の中をさらに東西南北に分け、その中をまた東西南北に分ける。小さな区が幾つもあり、そこにそれぞれの運搬担当者がいる。

 一人でできる獣人からすれば効率が悪く情けないと思われる仕組みだったが、種族を超えて共生がかなった今、運搬ができる獣人は少数派となった。

 こうなるとできない大多数が可能な仕組みの方が重要になり、次第に優位だった獣種の技能は優先してはいけないものにすらなっていった。

 そうなると新たな仕事を見つける必要があるけれど、本能に頼った生き方しかしてこなかった獣人に単純な肉体労働以外は難しかった。国を出て森へ移住した獣人も多く、獣人国民の流出はわずかながら問題視され始めている。

 その対策として宮廷は生活保護制度と職の斡旋を手厚く施してくれた。おかげで職を失った獣人が生活に困ることも無い。

 だが羽根無し有翼人は別だ。健康になっても精神的障害が尾を引く者が多く、ついこの前まで迫害して来た獣人と人間に囲まれて働く事はできないのだ。

 無理矢理働こうとすれば身体を崩すが、羽を切り落とした苦しみはどんな医者にも治せなかった。


(だからお父様は別荘地の管理や清掃に羽無しを雇った。街から離れて家事の延長ならできる。救われた者は多いわ)


 響玄は日々多忙だがそのほとんどは有翼人のためだった。

 本業はいくらでも従業員へ回せるが、虐殺を生き延びた有翼人と、特に羽無しと心通わせることのできる者は少ない。少ない中で職を提供できる財力を持つ者はさらに少なく、そんなのは響玄くらいだったのだ。 


「響玄殿がいなければ死んだ者も多いでしょう。ですが気持ちは殿下も同じ。働けない者、特に有翼人は十分な生活保護を与えたいとお考えです。そこで今回は有翼人の採用を広げることになったんです」

「ほお……!」


 莉雹と彩寧は喜ばしい事だというかのように微笑んでいた。出来事としては喜ばしいのだろう。有翼人が聞けば皆喜ぶのかもしれない。

 だがその笑顔は美星の復讐心に火を点けた。


「ふざけないで!」

「美星!」


 美星は手に持っていた茶器を机に叩きつけた。茶は零れ机に広がり、莉雹と彩寧の足元にぽたりぽたりと垂れている。


「宮廷ですって!? 有翼人の命も尊厳も奪った宮廷のために働けと!?」

「代は変わりました。天藍様は有翼人も尊重すべきと」

「そんなの分からないわ! どうせ支配者のやることなんて同じに決まってる! 意味もなく私たちを殺すんだわ!」

「美星! 落ち着きなさい!」


 響玄は慌てて立ち上がり、ふうふうと息巻く美星の肩を抱いた。

 心を切り落とした羽無しは誰にも心を許さない。ましてや宋睿の縁者を内包する宮廷のことなど許せはしない。


「お前の気持ちは分かる。だが大切なのはこれからどうするかだ。憎しみは引き継ぐのではなく経験とし活かさねばならん」

「宮廷を許せというの!?」

「許さなくても良い。いや、忘れず心に留めておくべきだ。だがそれと有翼人の幸せは別だ。有翼人が幸せになるためにやるべきは復讐か? それで平穏な未来が得られるか? お前はこの一年をどう過ごした?」


 美星はこの一年、実に無為無策だった。

 響玄の店を手伝ってはいるが、実のところ別荘地で庇護を受けている羽無しと同じだ。響玄に与えられ守られ世を傍観しているだけにすぎない。

 美星はぐっと唇を噛んで俯いた。有翼人が幸せになる一助になるような事は何一つしてこなかったのだから。

 響玄は俯く美星をぎゅっと抱きしめてから莉雹と目を合わせた。


「莉雹様。美星を宮廷で雇用していただきたい」

「お父様!?」

「お前には力がある。財力のある父親。宮廷で地位のある莉雹様や彩寧様との縁。異種族から愛され生きてきた経験はそれを活かすことができるだろう」


 有翼人は人間から生まれるとされているが、生まれた子供が有翼人だった場合は捨てるか家庭内迫害となることも少なくない。

 だが美星は愛された。響玄はいつでも美星に優しく愛し続けてくれている。だから響玄と縁のある者とも交流をすることができた。

 それは全種族が平等でない世では奇跡のようなことだ。


「有翼人が愛し愛される場所を与えてくれるのは宮廷だ。お前は宮廷で志を同じくする者を見つけ、有翼人に安寧と幸福を与えるんだ」

「安寧と幸福? 私が……?」

「どうでしょう、莉雹様。美星は店の手伝いもしていますし、できる事はあるでしょう」

「そうですね。戸部(こぶ)に参加できれば羽無しの救済には最短かもしれません」

「戸部? 戸部って何ですか?」

「宮廷の財布を握る部署です。その長になれば莫大な金額と人を動かせる。響玄殿がやっていることを国内各地でやることもできるでしょう」

「羽無しのために、私が……?」


 美星は響玄から愛情を受けて育ち迫害とは無縁なお嬢様生活を与えてくれている。有翼人にとっては憧れの生活といっていいだろう。

 有翼人として生きることを否定された羽無しにとっても。


「……宮廷では礼儀作法が重んじられるんですよね」

「そうです。あなたは言葉遣いを直さないといけないでしょう。所作も歩き方も」


 ぐっと美星は拳を握りしめ、すっと莉雹を見上げた。

 いつも凛としている莉雹は美しい。ぴしっと伸びた背筋に走り回っても乱れない髪と化粧。立ち居振る舞いは礼儀作法の教本が具現化したようだ。


「先代皇派はまだ残っています。特に人事を担う吏部はまだ獣人優位。有翼人迫害の意識が無くなったわけではない。それでも挑みますか」

「やります! 私に礼儀作法を教えて下さい。宮廷人としてふさわしい作法を!」

「いいでしょう。そういった教育制度も今後必要。その先駆けになって下さい」

「はい!」


 美星は窓の外へ目を向けた。その視線の先には宮廷が聳え立っている。有翼人を迫害し虐殺した宮廷が。


(見てなさい。有翼人は私が救ってみせるわ!)

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