第22話 彼女の心の守り方
「申し訳ございません」
あくる日の朝、俺はイリアにふたたび頭を下げられていた。
どうにも謝られる心当たりがない。
「俺はなぜ謝られているんだ?」
「昨日ついかっとなってルシアンさまを庇い立ててしまったので、マイヤーから余計に目をつけられるようになったかもしれません……」
彼女の表情からは自分のせいで俺の命をより危険にさらしてしまった、そんな後悔がありありと見て取れる。
俺は全く気にしていなかったが。
まぁ、これも彼女の優しさか。
「確かにそうかもしれないが、こうして堂々と会うことが出来たというメリットもある。それよりも俺が逃げた後にイリアたちの関与が疑われないかが心配だ」
「それは大丈夫だと思います。これでも私はお姫さまですから」
確かにそうなのだが、無事にここを出られたとしても彼女たちに責が及んでは意味がない。
いくら俺やメレディスが気をつけても、自分から飛び込まれては困るのだ。
少しずつ釘を刺すしかない。
「あっ、ではこういうのはどうでしょうか。逃亡が発覚した後に手がかりを提供するのです。もちろん偽物の手がかりですが」
手を上げてのイリアの提案は追手をかく乱するために使い古された手段だ。
その分効果は保障されている。
しかし、今回はともにあるデメリットが看過できない。
犯罪捜査に積極的に関与する人間は怪しくなるものだ。
偽情報を流す駒を使い捨てに出来るなら俺も候補に入れるが今回は違う。
むしろイリアの安全は何よりも確保されなければならない。
ただでさえ俺を庇っていた彼女が、俺を捕らえる捜査に前のめりで挙句妨害しているように映れば、さすがに王女というだけでは見逃してもらえないだろう。
「ダメだ。嘘と看做されれば手助けしたのではと余計に勘繰られる」
「イリアさま、ルシアンさまのおっしゃる通りです。私も賛成いたしかねます」
捜査技術のレベルが分からないから何とも言えないが、俺がなりふり構わず逃げた場合、この世界の人間ではロクに手がかりすら見つけられない可能性もある。
イリアに嘘はつかせられない。
「けど、イリアから疑いを逸らすためにも何かしらの情報を与えるというのは悪くない。追手には本物の痕跡をくれてやろう」
「本物の、ですか。で、でも、それではルシアンさまが危ないのでは……!?」
「落ち着け、大丈夫だから。用意する計画は一つじゃない、本物の逃走計画を二つ用意するんだ。実際に使うものと使わないものをな」
「えっと……それでは実際に使わなかった方は結局偽の情報になってしまうのではないですか?」
彼女の言っていることは正しい。
もし追手が経路を二つとも見つければ片方は偽物ということになる。
「本質はな、だが少し違う。まず、俺が偽装する経路、追手に見つけさせる経路のことだが、二人にとっても痕跡が見つかって初めて仔細を知ることになる」
「知らなければ疑われても答えようがない、ということですね」
「そうだ。だが、俺が計画した方しか見つからなければ、それがどれだけ困難に思える計画でも奴らが勝手に想像して誤認してくれるだろう」
「なるほど。恐らく捜索はマイヤー様の指揮で行われるでしょうし、王城への侵入ではなく脱走ですから、経路自体はそこまで詳しく調べられないでしょう」
メレディスの言葉に頷いて肯定を示す。
そう、今回は王城への侵入ではなく脱出だ。
これが侵入であればその経路は虱潰しに探されるだろうし、はたまた脱出でも刑務所からとなればその仔細はとことん追求されるだろう。
しかし、ここは王城で奴らの目的は脱出方法ではなく俺、実際に逃走中の俺なのだ。
俺が捕まらない限り、どこへ注力するかは火を見るよりも明らかだろう。
「もちろん、これにはある程度完璧な脱出手段をメレディスが用意出来れば、という前提がある」
「そういうことになるのですね。メリー、あなたが頼りよ。ルシアンさまに危害が及ばないよう、準備をしっかりお願いね」
「お任せください、イリアさま。必ずやご期待に沿ってみせます」
メレディスは淀みなく主命に応じたが、イリアには少しやきもきさせることになるだろう。
追う技術と逃げる技術はいたちごっこ、この世界の人間の方法で逃げれば痕跡は必ず見つかる。
イリアが望むような完璧な逃走は簡単ではない。
というよりも、むしろ今回に限れば全く見つからず逃げ切っては駄目なのだ。
早々に逃げ切れば、完全に行方を暗ませば、俺を追うための人的資源が責任逃れのための捜査の見直しに割かれかねない。
見つかって追われてこそ、危険はイリアから遠ざかる。
「ところで、なぜマイヤーが指揮を執るんだ。奴は治安維持も任されているのか?」
「いえ、実際に捜索するのは王都の守備隊や兵士でしょうが、追手の目的を完遂するには事情を知る者が指揮を執る必要がありますので」
「そうか、俺が勇者として召喚されたことはまだ機密だったな」
「はい、実際は何らかの罪人として追われることになるかと」
メレディスの言葉を聞いたイリアが顔を曇らせ口を開く。
「罪人にされるなんて……申し訳ありません」
「追手がつける形だけのものだ。俺は気にしないよ。うん、話しておくべきなのはこんなところかな」
自分が犯罪者だと卑下したことは一度もないが、それでも追われる身だったことは確か。
だからというか、元々自分の良心に反していなければ、罪かどうかなんて自他の物の見方の違いに過ぎないというのが持論だ。
それでも、彼女の気持ちは嬉しい。
「イリア、君の助力が無ければ俺の命はここで潰えていたかもしれない。君のためにも必ず生き延びてみせるが、改めて心の底から感謝の言葉を伝えたい」
「ルシアンさま、私はなにも……。それに、私こそ感謝しているのです。ですが、今はこの危機を乗り越えてください。またお会いできるその時に、私からも感謝の言葉を伝えさせてほしいのです」
揺れる視線が彼女の心の裡を如実に物語っていた。
「そうか。じゃあ、代わりと言ってはなんだが、これを」
俺は外して置いてあったネクタイから純銀製のタイピンを抜いて渡す。
クリップではなく十五センチほどの簪に近い見た目で、飾り部分には三枚の羽が中心のサファイアをやんわりと包むようにあしらわれている。
過去に同じタイプのタイピンで窮地を抜けたことがあり、それ以来お守りとして身に着けていたが、恐らくこれからの旅では却って足を引っ張りかねないだろう。
「まぁ、なんて美しいのでしょう……まるで本物の羽みたい……。これを私に?」
「お守りのようなものだが、俺にはもう身に着ける場面もないし金に換えるのもちょっとな。だから、邪魔じゃなければぜひ受け取ってほしい」
「ありがとうございます。では、預かっておきますね。これ通してあなたの無事を祈ります」
彼女は受け取ったタイピンを胸の前に抱いて穏やかな表情でこちらを気遣ってくれる。
この健気な子を悲しませる訳にはいかない。
心の中で決意を新たにした。
それからの俺たちはというと、合間に昼食代わりの軽食をつまみながら楽しく会話して過ごした。
昨夜の会食でイリアが望んだ通り、俺が愛した街並みや風景についても話した。
思い返せば、元の世界についての話は訪れた土地の思い出や旅の記憶を絡めた話がほとんどだった。
あえてそうしているのは分かっていたが、イリアは利用価値のありそうな知識を掘り下げようとはせず、他愛のない話に目を輝かせて聞いてくれるのは少し嬉しかった。
一方で、こちらからもこの世界のことを彼女たちに質問したのだが、どうしてもこれからのことが頭にあるのだろう。
国々の情勢や軍の馬の速度など逃亡における実利的な情報を優先して伝えようとしてきた。
イリアの気持ちはありがたかったが、もう少しふつうに楽しい話しを聞かせて欲しいと伝えると、彼女は少し面映ゆい表情をして謝罪すると自然な受け答えをするようになった。
そして、話題は思い出したかのようにギフトのことになった。
神から与えられていたギフト、それは俺の心を今までになく揺さぶるものだった。
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