第18話 イリア
「ただいま戻りました。お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
鏡の前で服装をチェックしていると、一度部屋を離れたイリアリアが戻って来た。
二度も泣いてしまったことで腫れていた彼女の目元は、どんな魔法を使ったのかすっかり元通りになっている。
それどころか、彼女の表情は今までになく柔らかい。
「お尋ねしたいのですが、私には少し派手じゃないでしょうか?」
「そんなことないです。とてもお似合いですよ」
イリアリアの涙で濡れたシャツを着替えるにあたり、メレディスが用意した上着はブルーのベルベット。
歳をとってからは社交の場でも着ないような派手なチョイスだが、こっちの世界の人間であるイリアリアが言うなら問題ないか。
「もし着心地が悪ければ他をお持ちしますが?」
「いや、仕立てがいいし着心地はいいよ。ありがとう」
「とんでもございません」
メレディスが気遣ってくれたが見た目の好みで変える必要はない。
それに、こういうのもたまには新鮮で悪くない。
「ルシアンさま、メリーには親し気に話されるのですね」
あまり待たせるのもどうかと、席を勧めるべくイリアリアの方を向くと彼女から不意打ちをくらった。
「えーっと、それはどういう意味でしょうか……?」
特にメレディスと親し気に話していたつもりがなく困惑してしまう。
彼女の意図が分からない。
「その話し方は普段のものではないと思うのですが、違いますか?」
「おっしゃる通りです。言い訳させて頂くと、あなたのような高貴な方と話すのは慣れておりませんので、失礼があればお許しください」
俺が生きてきた世界に位の上下はなかった。
あったのは力の上下のみ。
だが、それでも基本的には相手は客か敵か味方だ。
敬語を使う場面は存在しない。
「そうではありません。出来ればいつも通りのルシアンさまとお話ししたいのです」
「……私は、いつも私ですが?」
困惑から立ち直れない俺にメレディスが口を挟む。
「イリアさまはルシアンさまに私と話すような口調でお話しして頂きたいようです。もちろん、私はどうかと思いますが」
「もうっ、メリーったら余計なことを付け足さないで。お嫌でしょうか、ルシアンさま?」
なんだそんなことか、ようやく合点がいった。
「いや、君がそう望むなら別に俺は構わないよ」
「ありがとうございます、ルシアンさま!」
俺がイリアリアに気を遣っているのは、彼女から敬意を感じたからだ。
周囲の人間と異なる話し方をされても戸惑うだろうと配慮したに過ぎない。
本人がそう望むなら言葉遣いなんて何でもいい。
だからメレディス、お前の目が細くなっても俺には通用しないぞ。
絶対に駄目ならもっと強い言葉で言え。
「じゃあ、イリアリア」
「どうぞイリアと」
途端、メレディスからの圧が膨らむのを感じた。
もしや彼女は王女の護衛も兼ねているのだろうか。
少し背筋が寒くなってきた。
俺は武闘派ではないのだ。
「どうぞイリアとお呼びください。ルシアンさま」
「いや……しかし、やはり物事には段階というものがあると思うのだ。今日のところは——」
「段階、ですか……先ほどはあんなに優しく抱きしめてくださったのに……」
体感温度が一気に下がった。
これは、どっちだ……。
抱きしめたことを思い返して怒っているのか、それとも彼女を悲しませていることを怒っているのか……。
もはや真冬のシベリアに居る方がマシである。
「……イリア」
「はいっ、ルシアンさま」
俺は震えながら名前を呼んだ。
すると、春の陽気で雪が解け花が咲き誇るように彼女が微笑む。
名前一つで喜んでくれるとは、おかげで俺の震えも止まった。
もう彼女から視線を逸らせないぞ、特に後ろは絶対駄目だ。
きっとブリザードが吹き荒んでいる。
「イリア、そろそろ座って話そうか」
「はい、そう致しましょう」
イリアリアの手を取りソファーへエスコートする。
あたたかい彼女の指先に触れ、自分の手の冷たさに気づく。
……何者なんだ、あのメイドは。
俺は怖れおののきながら自分も席に着いた。
「あんなに偉そうな口を叩いておいて何だが、私には頼れるものが何もない。出来る範囲で、イリアに迷惑が掛からない範囲で援助を頼みたい」
「もちろんですっ、全力で協力させていただきます!」
俺の情けないお願いにイリアリアは笑顔で即答してくれた。
気持ちは嬉しいのだが、やはり心配になる。
もちろん彼女に火の粉が降りかからないようにはするつもりだ。
それでも、ここを離れることになる以上、王国の動きがどうなるか知る由もない。
だが、たぶん心配なのは苦笑いしているメレディスも同じ気持ちだろう。
まぁ、最終的にダメな部分は彼女が止めるか。
俺は俺で細心の注意を払うしかない。
「ありがとう。じゃあ、まず私の置かれている状況をイリアがどう考えているか改めて教えてくれないか?」
「そう、ですね。状況はかなりまずいです。ルシアンさまを秘密裏に、始末しようという動きが進んでいます。私としては何らかの形で国にとって有益な存在であることを示し、陛下に方針を変えて頂こうと考えていたのですが……」
彼女の話してくれた状況はおおよそ予想通りだ。
「それなのに庭師と話していたから怒っていたのか。確認の儀というのに俺が行かなかったから」
「そういうことです。貴重なギフトが確認されれば打てる手は一気に増えますから」
彼女の言いたいことは分かる。
選択肢が多くなるのも間違いないだろう。
だが、彼女がどれだけここで守ろうとしてくれても、俺はこの国に、あの王の国に留まりたくないのだ。
「そうか。でも、俺はこれでよかったと思っている」
「どうしてですか?」
「まず、俺は帰る方法が無い中であの王に合わせる気がない。それに、いくら強力なギフトでも他に四人居るし、これまでは四人で十分だった」
「ですが、五人いらっしゃったのは今回が初めてで、どうなるかは分かりません。その、まだ各国との擦り合わせが行われておらず比べようがないので……」
彼女は申し訳なさそうに自国の方策を詫びるが、既に起きたことだし気にするだけ無駄だろう。
「それはもう置いておこう。話を戻すが、中途半端に力を持てば敵の危機感を掻き立ててしまうものだ。力を持ってここに残ったとしても、結局いつ始末されるかという恐怖に怯え続けることになっただろう」
俺がマイヤーに申し出たのは逃げ出すための数日を稼ぐだけの時間稼ぎ。
結局、庭師とはただの雑談に終わったが、そもそも大きな有益性を示すつもりは毛頭なかった。
仮に、ギフトに価値があれば、稼げたのは数日どころでは無いだろうが、俺に対する警戒度は比例して増えるどころでは済まなかっただろう。
「では、やっぱりルシアンさまは……」
「あぁ、俺はこの国から出ていくつもりだ。イリアにはそのために力を貸してほしい」
「……分かりました。ルシアンさまがそうお望みでしたら私には止めようがありません。そうですね……決行は明日の夜にいたしましょう。メリー、準備をお願い」
「畏まりました」
彼女の頭にも最終手段として既に用意されていたようだ。
目を閉じる一瞬の逡巡はあったようだが、すぐに結論が出たのがその証拠だ。
それにしても明日か……。
「一日で出来るのか?」
「メリーは優秀ですから」
「もちろんです、お任せを」
「二人ともありがとう、よろしく頼む」
俺は礼を言って頭を下げた。
さして気負う様子もなく承諾したところを見と可能なのだろう。
やはり内部の人間は有利というか……いや、この底が分からないメイドがやり手なのか。
とはいえ、これなら何かのトラブルで数日遅れることになっても余裕がある。
「姫さま、そろそろ広間に参りませんと」
話が一段落したところで、先ほどから時たま時計を見ていたメレディスが口を開いた。
イリアリアは仮にも王女、この後も予定があるのだろう。
そう思っていたが……。
「もうそんな時間ですか。ではルシアンさま、お食事に参りましょう。そんな顔してもダメです。計画を成功させるためにも必ず来ていただきます」
もしかして気を抜いていたのだろうか。
無表情のつもりだったのに、嫌だという気持ちが顔に出ていたようだ。
「分かった。分かったから、行くよ」
イリアに手を引かれて立ち上がる。
それにしても食事、広間ときたら面倒なのが居るに違いない。
しかし、理由は分からずとも自分のためだと言われたら素直に従うしかないか。
「ルシアンさまのお口に合うといいのですけれど」
いや、違う。面倒な連中は関係ない。
この世界で初めて心を許してくれた彼女とは順調に行けば一日しか過ごせないのだ。
嬉しそうに笑ってこちらを見る彼女と目が合うと、足取りは自然と軽くなった。
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