第16話 一滴を巡る戦争
「あのっ、お酒がそちらの容器に入っているとしても、グラスが見当たらないのですが?」
少し浸っていた俺を引き戻したのは、メレディスの間にぐいっと割り込んできたユリアリアだった。
彼女の質問をそっちのけで話していたこともあって、ご機嫌斜めに見えるのは気のせいではないだろう。
「王女さまが推察された通り、これは私が身に着けていたものです。でも、グラスは必要無いのですよ」
そう説明すると蓋を開け飲むところを実演してみせた。
「ぇ、えぇっ、直接お飲みになるのですかっ!?」
「もちろんです。これは酒を携帯するための物ですので」
随分気になっている様子の彼女に蓋と飲み口が見えるように近づけると、彼女はすんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ごうとする。
……全く予想外の行動だが、こういう物に興味を持つ年頃なのかな?
「イリアさまっ、はしたないですよ!」
「だって気になるんですものっ。ルシアンさま、少しだけ私にも頂けませんか?」
「ダメですよ。ここではどうか分かりませんが、私の世界では飲酒は年齢で制限されておりました。失礼ですが王女さまはどう見てもその年齢に届いておりません」
法があろうと無かろうと未成年者である彼女の健康のため、俺は彼女の親じゃないが社会における年長者の務めというやつだ。
可哀相だが諦めてもらおう。
「そんなことおっしゃられても騙されませんよ、年齢ならルシアンさまも私とあまり変わらなさそうじゃないですか」
「あー……私は最適化というやつで変わってるようでして……いくつに見えます?」
「なるほど、勇者さまですものね。えっと、私がもうすぐ十五になりますから、ルシアンさまも同じか少し上くらいではないのですか?」
「です、よね……それでも、まぁ、その、私は中身が大人なので」
無理矢理取り繕ってみたものの、論理の破綻に内心冷や汗が噴き出てくる。
これで納得してくれるかぁ……?
それにしても、俺もしばらくは自重した方がいいかもしれないな。
なぜなら元の世界の規制の趣旨は先ほど自分で言った通り、未成年者の飲酒はその健康へ与える影響が大きいから禁止されているのだ。
最適化で俺の身体も若返っている今、全く関係ないとは言い難い。
若返った身体には痛み止め代わりの酒も必要ないしな。
「う~……」
半分涙目で上目遣いに見つめてくる彼女を見ていると、自分もアウトな気が増してきた。
説明仕切れないことも相まって、なんとも言えない罪悪感のようなものに苛まれる。
ひとまず自分のことは棚に上げておくとして、彼女のためなのだがどうも受け入れてくれそうにない。
「……ほんの少しでいいんです」
何がそこまで彼女を惹きつけるのかは分からないが、助けを求めるようにメレディスに目をやっても彼女も頑として首を横に振るばかりだ。
飲み方ももちろんそうだろうが、王女にこんな出所の分からないものを与えることは受け入れがたい、そんなところだろう。
どうしたものかなぁ……あぁっ、もう仕方ない、飲んでしまえっ。
「あーっ!?」
俺がスキットルを空にしていくのを見て彼女から悲痛な叫び声が上がった。
許せ、君のためなんだ。
けど、俺も涙を飲んで空にしたこと、いつか君にも理解してほしいところだ。
はぁ、もったいない……でも、これが慣れ親しんだ味だよなぁ。
「うぅ、全部飲んじゃったんですか?」
「申し訳ありません、王女さま。どうしても、今はまだあなたさまに飲ませることは出来なかったのです」
彼女の目を真っすぐに捉えて言い切ると、しょんぼりと目を伏せた。
ぐ……仮面を外し歳相応になってくれたのは嬉しいことだが、おっさんにこれは少々キツイ。
ここはフォローさせていただこう。
「……ですが、私がこれと同じとはいかないかも知れませんが、王女さまにおすすめしたい逸品を探して参ります。十分な年齢に達した時にまだ興味がおありでしたら、これに注ぎ私とともに嗜みましょう。これは約束の印として王女さまにお預けいたします」
俺が空になったスキットルを渡すと彼女はたちまち満面の笑みを浮かべた。
まだまだ先の事だがかなり不安になるな。
期待しすぎてがっかりしなければいいのだが……。
喜ぶ彼女と反比例するようにメレディスの視線は氷点下にまで落ちて俺に突き刺さる。
……そんな目で見ても俺は知らんぞ、イヤなら自分でなんとかしろ。
「それまで、出来れば大切に保管してください」
「ええ、分かりました。私にお任せください!」
彼女は少し移動しスキットルの銀細工を部屋の光に当てて眺めだした。
俺としては十分上手くいったと思えてほっと胸をなでおろしたのだが、ちらりと見たメレディスは喜ぶイリアリアの背を見てなんとも複雑そうな表情をしている。
おぅ、俺には脅迫紛いな目を向けてたのに随分違うな。
まぁ、メレディスが不安に思うのも分からなくはない。
どうも彼女はただ酒に興味があるというより、直に飲むことに興味があるように見えるからな。
俺が見ていることに気づいたメレディスが殺意すら籠っていそうな批難の視線を向けてくるが、そんなに焦ることはないと思うぞ。
その頃には彼女の興味も変わってるんじゃないか?
しかし、そんな俺の考えは楽観的なんてレベルではなかったかもしれない。
なぜなら、イリアリアがメレディスの背後で傾けたスキットルの口を指でなぞり、残っていた雫を指で集め口にしたのだ。
なんのことは無い、彼女はぜんっぜんこれっぽっちも諦めてなどいなかった。
彼女は指を咥えたまま目を閉じていたが、やがて不思議そうに小首を傾げてしまった。
……よし、見なかったことにしよう。
幸いメレディスは気づいていないようだし、これ以上は何も起こりようがないだろうからな。
彼女は未だに俺に、考え直せ、未来に可能性を残すな、と言わんばかりのジト目を送り続けている。
ふっ、だが残念だったな。
俺たちでいくら繊細な外交交渉を行おうとしても無駄なんだよ。
根本を理解させないと興味には勝てないんだ。
この年頃の子たちにはな。
そういえば友人が愚痴っていた。
ちゃんと約束してスマホに制限をかけても、目を盗んで親のスマホで勝手に解除していたって。
……今時の子どもってのは大したものだ。
ま、知らぬが何とやら、そのまま俺を悪者として責めているがいいさ。
だからイリアリア、こっそりと直接口を付けようとするのを今すぐ止めろ!
俺の視線に気づいた彼女は恥ずかしそうに俯いて頬を染めたけれど、不審に思ったメレディスが振り返る頃には何事も無かったように銀細工を愛でていた。
俺はそれ以上このことについて考えるのを止め、少し耳に赤みが残るイリアリアを促して部屋の中へと戻った。
全く、生きた心地がしないな……。
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