第15話 琥珀色に揺られて

 イリアリアはメイドに寄り添われ、ソファーに座り泣いている。

 少女とはいえ女性が泣くのを見ているのは如何なものか、そう思ってメイドに視線を送りバルコニーで待つことにした。 

 外に出ると存外にも時間が過ぎていたようだ。

 すでに陽が沈みつつあり空は綺麗に赤らんでいる。


 手持ち無沙汰に待っていて後で余計に気遣われるのも気まずいだろう、と昨夜の続きを愉しむことにした。

 失敗すれば間違いなく殺される。

 だからこそ、今を心ゆくまで堪能するのだ。


「殺されるつもりはさらさら無いけどな」

 蓋を開けて中身を口に含む。

 そして、舌の上で転がそうとしたまさにその時、ある疑問が頭に浮かんだ。

 酒臭い息で王女に接するのもどうなのか、と。


「……いや、もう遅いか」

 時すでに遅し、もう飲んでしまったし今さらだ。

 まだ一口とも言えるが、なにより他にすることがない。

 というか、一杯やって俺も落ち着きたい。

 俺は心を空にしてスキットルを傾けつつ、手すりに肘をついて夕焼けを眺める。

 

 聞いた話によると地球と火星でも色が異なるらしいが、この世界の夕焼けは元の世界と変わらず赤。

 月も同じく一つ。

 でも、こちらは一回りほど大きく感じる。

 こんな風に空なんて世界が変わってもそう変わらなさそうなものであるが、明らかに異なる点は昨夜すでに見つけている。


 何気なく見上げていた夜空に見知った星座が一つも見つけられなかったのだ。

 それに、見えすぎる数多の星々の煌めきが眩しく、人工の光に霞む夜空が無性に懐かしかった。

 地球では世界中のどんな場所でもどんな季節でも、夜空を見上げれば一つくらいは知っている星座を見つけられたものだ。

 昨夜の空は知らない点ばかりで線を描くことすらままならなかった。

 その点、夕焼けはいい。

 心がざわめくような赤でも、望郷の念を掻き立てられることなく浸っていられる。


 気がつくと、太陽が沈んでいき一番星が空へと浮かんだ。

 いずれこの夜空も好きになるのだろうか。

 今はまだ、ただただ美しいだけだ。

 そんな俺の心を知る由も無いがようやく落ち着いたのだろう、イリアリアがメイドに付き添われてバルコニーへと出てきた。

 その目は少々赤みが残るものの、泣いて溜まっていたものが少しは出せたのか表情は晴れ晴れとしている。


「随分とお待たせして申し訳ありません」

 にこりと笑うその顔はこれまでで一番輝いていた。

「気分はいかがですか?」

「はいっ、すっきりいたしました」

 彼女ははにかんで頬を赤らめつつそう答えた。


 うん、ばっちりとはいかないだろうが、まぁ大丈夫そうだ。

 メイドに目をやると嬉しそうに会釈されたので、こちらも軽く頭を下げて返しておいた。

 その俺たちのやり取りを見て恥ずかしかったのか、イリアリアは俺が手にしていたスキットルに興味を示した。


「手にされているのはなんですか? 意匠の施された銀細工のようですがルシアンさまの世界の物でしょうか?」

 照れて話題をすり替える可愛らしい彼女にちょっと悪戯心が沸き、冗談で誑かそうとしたところ彼女の肩越しに覗き込んだメイドが口を挟んだ。

「恐らく酒が入っているのでしょう。以前嗅いだことのある匂いがいたします」

 主に恥をかかせない優秀なメイドにより悪戯する機会は失われたが、彼女はそれ以上に有益な情報をもたらしてくれた。


「この世界にもウィスキーが?」

「呼び方は存じ上げませんがあると思います。ただし、私は強い酒を嗜みませんので同じものかどうかは分かりかねます」

「いや、それは自分で確かめてみるよ。それもまた楽しみだ」

 俺は熱烈なウィスキー愛好家というわけではない。

 でも、二度と手に入らないかもと思っていたものに、こんなに早くその手がかりを知ったのだ。

 ついさっきまで感傷に浸っていたこともあり心が躍ってしまう。


「ちなみに、どの辺で造られているかは知ってるか?」

「確か北方で造られているはずです。この辺ではあまり飲まれないので入手出来るかは分かりませんが……」

「いや、あるかもしれないと分かっただけで十分だ。ところで、まだ名前をお尋ねしていなかったな」

「これは失礼いたしました。私はメレディスと申します。イリアリアさまの侍女を務めさせていただいております」

「ありがとうメレディス。ルシアンだ。よろしく」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 きちんと礼をして挨拶してくれる彼女に改めてこちらも名乗っておく。

 

 この世界のメイドは若い者も多い。

 それでいて立ち居振る舞いが洗練されていたが、改めて見ると彼女は別格だ。

 洗練された姿勢、所作の一つ一つが指先爪先まで無駄がない。

 いや、無駄が無さ過ぎる……。

 王女であるイリアリアに仕えていること、そしてその親密な関係性からも彼女が特別だということは分かる。

 が、ただの侍女にこれほどの動きが必要だろうか。


「どうかされましたか?」

「いや、この世界にもウィスキーはあるかもしれない、そう思うと少しね」

「さようでございますか。お気に召す物が見つかるとよいですね」

 とっさに誤魔化したが、少し見過ぎたようでメレディスに見咎められてしまった。

 しかし、あるのか……ウィスキー。


 他にも俺の心を慰める物があるかもしれない。

 そう思うとなんだか心強いような、それでいてどこか後ろ髪が引かれるような不思議な気分になった。

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